言葉にも課題分離|他人には他人の解釈がある
他人と会話をするとき、言葉の解釈や使い方が自分とは違うことがあることを忘れてはいけません。
言葉に囚われずに相手言いたいことや気持ち聞くことが大切です。
どれだけしっかりと聞いたとしても、言葉の解釈や使い方が違うことを忘れてはいけません。
今日は「言葉にも課題分離|他人には他人の解釈がある」と題して、言葉にも課題分離について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
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奇跡を感じている
くろちゃんです。
●言葉にも課題分離|他人には他人の解釈がある
○言葉にも課題分離|他人には他人の解釈がある
「言葉は放った瞬間、受け手のものとなる」これを真実だと受け止める人の割合はどのくらいでしょうか。私はかなり悲観的に見ております。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11295069841)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
アドラーの課題の分離と同じではないかと思います。
「課題の分離」とは、自分の課題と他者の課題を分けて考えることです。
アドラーは、「あらゆる対人関係のトラブルは、他人の課題に土足で踏み込むこと(あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること)によって引き起こされる」と言っています。
要は、自分の課題に他人を踏み込ませてはいけないということです。
他人の課題に踏み込んでもいけません。
それが人間関係ではトラブルの元になるからです。
他人の課題に踏み込むことで、相手に勝手な期待をして、その結果失望することも多々あります。
お互いが他人の課題に踏み込むことで、お互いがストレスを感じてしまうのです。
言葉の解釈でも、これと同じようなことが起こっていると考えられます。
聞き手には聞き手の解釈があり、話し手には話し手の解釈があります。
どう解釈するかは、人それぞれですし、相手がどう解釈しているかは知る由もありません。
自分と同じように相手が解釈していると思い込むことは、とても危なかっしいのです。
「あの時、こう言った」「そんなの聞いてない」。こういうやりとりは、誰にでも経験があると思います。
ですが、相手の解釈が自分と違うからといって、相手を責めることはできません。
相手から見れば、自分だって同じだからです。
○私がそう聞いた
会話において、課題を分離するためには、「私がそう聞いた」、そう思って話を聞くことです。
相手の言葉を自分がそう解釈したということです。
相手が言いたいことを理解したのではなく、「私がそう聞いた」のです。
もし、後から「そんなつもりで言ったのではない」と言われたら、それは受け入れるしかありません。
そこで「でも、こう言ったじゃないか」と言ったところで、それは水掛け論になってしまうだけです。
自分は相手の言いたいことを聞けていなかったのだから、今後はしっかり聞くようにするしかありません。
言葉というのは、人それぞれ解釈も使い方も違います。
なので、どっちとも取れるような言い方だったり、言葉に力がなかったりしたときは、質問するなどして、もう少し深く聞く必要があります。
しかし、どれだけ深く聞いたとしても「私がそう聞いた」という思いは忘れてはいけないのです。
○今からできることに目を向ける
繰り返しになりますが、どう解釈するかは、人それぞれですし、相手がどう解釈しているかを自分は知る由もありません。
そして、それは相手も同じです。
なので、相手の言いたいことをすべて理解するということは不可能ですし、自分の言いたいことをすべて伝えることも不可能です。
また、わかったつもりになること、伝えたつもりになることが一番危険なのです。
ですから、「私がそう聞いた」ということを忘れてはいけないのです。
そして、「そんなつもりで言ったのではない」と言われたら、受け入れないといけないのです。
しかし、それは何でもかんでも相手の言い分を聞くということとは違います。
「そんなつもりではなかった」という相手の言い分を聞いた上で、「だとすると」という風に言いたいことは言うべきなのです。
ここでも、「過去に執着せず」、今からできることに目を向けるのです。
では、ごきげんよう。さようなら。
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ぜひ、お読みください。m(_ _)m
●言葉にも課題分離|他人には他人の解釈があるのまとめ
今日は「言葉にも課題分離|他人には他人の解釈がある」と題して、言葉にも課題分離について考えました。
○言葉にも課題分離|他人には他人の解釈がある
聞き手には聞き手の解釈があり、話し手には話し手の解釈があります。
どう解釈するかは、人それぞれですし、相手がどう解釈しているかは知る由もありません。
自分と同じように相手が解釈していると思い込むことは、とても危なかっしいのです。
○私がそう聞いた
会話において、課題を分離するためには、「私がそう聞いた」、そう思って話を聞くことです。
相手の言葉を自分がそう解釈したということです。
相手が言いたいことを理解したのではなく、「私がそう聞いた」のです。
○今からできることに目を向ける
「そんなつもりではなかった」という相手の言い分を聞いた上で、「だとすると」という風に言いたいことは言うべきなのです。
ここでも、「過去に執着せず」、今からできることに目を向けるのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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