Amazonで電子書籍を出版しました。

KindleUnlimited会員なら0円で購入できます。

ぜひ、お読みください。m(_ _)m

くろちゃんへの承認のクリックをお願いします
人気ブログランキング

課題の分離|自分も相手も自らの課題を見つめよ

amazonチャージ  コンビニ・銀行でチャージする度最大2.5%ポイント

アドラー心理学によれば、人間関係のトラブルは自分と他人の課題が混ざり合っていることが原因だといいます。

どちらにも責任も課題もあり、それを見極めることが大切です。

教育でも、教えられる側だけが姿勢を問われることがありますが、相手の魂に火をつけることができない教える側にも課題があります。

今日は「課題の分離|自分も相手も自らの課題を見つめよと題して、課題の分離について考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

●課題の分離|自分も相手も自らの課題を見つめよ

○課題の分離|自分も相手も自らの課題を見つめよ

 

課題の分ががしっかり出来ている人は、周囲から見て、またその人物と対した人から見て、冷たくみられたりしてしまうというのもしょうがないことなのでしょうか。

 

補足

× 課題の分ががしっかり出来ている人は

○ 課題の分離がしっかり出来ている人は

yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10293038875

※質問は原文ママです。

みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。

 

「課題の分離」とは、アドラー心理学の課題の分離のことを言っていると思います。

自分には自分の課題があり、相手には相手の課題があります。

「人間関係のトラブルは、“自分の課題”と“他人の課題”がごちゃまぜになっている状態から引き起こされる」とアドラー心理学では説いています。

つまり、起こった問題を、自分に責任があるのか?それとも相手に責任があるのか?と、どちらか一方に責任があるという考え方をしてしまうということです。

相手に責任があるなら、自分にはないし、自分にあるなら相手には責任がないと考えてしまうのです。

ところが、ひとつの問題は、ひとりの行為だけで起こるわけではありません。

それぞれに役割があり、それぞれに見落としや間違いがあるはずです。

行為は相手だけが行ったとしても、その間違いに気づけなかった、または指摘できなかった自分にも改善すべき課題があるということです。

「自分には自分の課題があり、あなたにはあなたの課題がある」。課題を分離すべきだというわけです。

そこまで毎回丁寧に説明することができれば、誤解も生みにくいかもしれませんが、たいていは相手の課題だけを言うことになってしまったり、相手も自分が指摘された部分しか聞きませんから「自分のことは棚にあげて」みたいに、相手に映ってしまうことが多いかもしれません。

質問文の「冷たくみられたりしてしまう」というのは、そういったことを指していると思います。

○「教育」にも課題の分離

 

「教育」にも課題を分離すべきところがあると思っています。

つまり、教える側には教える側の課題が、教わる側には教わる側の課題があると思うのです。

子が勉強もせず、いたずら好きで、遊んでばかりいるとしたら、それは子だけの課題ではなく、育てる親にも育て方が悪いという課題があるはずです。

自分は何も変えずに、子だけが課題を改善するべきだと考えるのは課題の分離ができていません。

これは、先生生徒、上司部下でも同じことです。

部下や同僚が真面目に仕事をしないとします。

真面目に仕事をしない部下や同僚に課題があることはもちろんですが、それを見て見ぬふりをしたり、相手に真面目に取り組もうと思わせられない自分にも課題があるのです。

明治に生まれ、昭和に活躍した哲学者で教育者の森信三先生の「修身教授録」にこうあります。

単に教科の内容を教えることだけでも、実に容易にならざる準備と研究等を要するわけですが、さらに眼を転じて、教育の眼目である相手の魂に火をつけて、その全人格を導くということになれば、私達は教師の道が、実に果てしないことに思い至らしめられるのであります。

その対処し得る道として、「人を教えようとするよりも、まず自ら学ばねばならぬということであります。」と記されています 。

つまり、相手の魂に火をつけるためには、自ら学び続ける姿を相手に見せなければならないと、森信三先生は言われているのだと思います。

相手の魂に火がつかないのは、「自分もこんな風になりたい」と相手に思わせられない自分の姿が課題なのだということです。

親子であれば、お父さん、お母さんみたいになりたいと、子に思わせられない親の課題です。

もしかすると、勉強もせずに遊んでばかりいる親の姿に、火をつけられている可能性すらあるかもしれないのです。

○自分は自分の課題に専念する

 

課題を分離するということは、物事をありのままに見るということです。

今、目の前にある問題は、どのような問題が重なって起こっているのか?ということをありのままに見るのが課題の分離だからです。

犯人探しという視点から物事を見るのではなく、冷静に問題点を分析し、何がどうなれば課題が今後起こらないのか?という視点に立つのが課題の分離です。

「私は私の課題を解決するから、あなたはあなたの課題を解決してください」。

これが課題の分離です。

先に述べた通り、たいていは相手の課題だけを言うことになってしまったり、相手も自分が指摘された部分しか聞きませんから「自分のことは棚にあげて」みたいに、相手に映ってしまうことが多いかもしれません。

ですが、だからといって、伝えることを諦めてしまったとしたら、それはそれで自分の課題です。

たとえ、相手に理解されないとしても、理解してもらうことに努めることが自分の課題なのです。

 

では、ごきげんよう。さようなら。

 

 

 

電子書籍を出版しています。
Unlimited会員なら0円で購入できます。
ぜひ、お読みください。m(_ _)m

●課題の分離|自分も相手も自らの課題を見つめよのまとめ

今日は「課題の分離|自分も相手も自らの課題を見つめよと題して、課題の分離について考えました。

○課題の分離|自分も相手も自らの課題を見つめよ
ひとつの問題は、ひとりの行為だけで起こるわけではありません。
それぞれに役割があり、それぞれに見落としや間違いがあるはずです。
行為は相手だけが行ったとしても、その間違いに気づけなかった、または指摘できなかった自分にも改善すべき課題があるということです。
「自分には自分の課題があり、あなたにはあなたの課題がある」。課題を分離すべきだというわけです。

○「教育」にも課題の分離
「教育」にも課題を分離すべきところがあると思っています。
つまり、教える側には教える側の課題が、教わる側には教わる側の課題があると思うのです。
子が勉強もせず、いたずら好きで、遊んでばかりいるとしたら、それは子だけの課題ではなく、育てる親にも育て方が悪いという課題があるはずです。
自分は何も変えずに、子だけが課題を改善するべきだと考えるのは課題の分離ができていません。

○自分は自分の課題に専念する
犯人探しという視点から物事を見るのではなく、冷静に問題点を分析し、何がどうなれば課題が今後起こらないのか?という視点に立つのが課題の分離です。
「私は私の課題を解決するから、あなたはあなたの課題を解決してください」。
これが課題の分離です。

今日も読んでいただきありがとうございます。

 

ともいき個人セッションでは、あなたのお話を聞くことで、あなたが見えていないもうひとつの現実をともに探します。目から鱗が落ちる体験になります。

「迷わない」「信じる」ことを超本気でやってます。
ともいき信聞塾はオンラインで開催中!!

くろちゃんへの承認のクリックをお願いします
人気ブログランキング
くろちゃんのメルマガ 日刊ともいきマガジンの登録はこちらです。
Amazonで電子書籍を出版しました。

KindleUnlimited会員なら0円で購入できます。

ぜひ、お読みください。m(_ _)m