「自分で考えなさい」の真意とは?|決断力と責任感
なぜ、「自分で考えろ」と指摘されたのか?その真意は何のか?
求められているのは何のか?
今日は「「自分で考えなさい」の真意とは?|決断力と責任感」と題して、自分で考えなさいについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
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ありがとうございます。
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くろちゃんです。
●「自分で考えなさい」の真意とは?|決断力と責任感
○「自分で考えなさい」の真意とは?
たまには自分で考えろと言われました。
事務員です。
わからないことがあると、自分なりに調べますが、それでも分からないときは先輩に頼ります。
A先輩は快く教えてくれますが、ボスのベテランB先輩は、それじゃ私が、成長しないからAは教えるな、自分で考えさせろと言います。
私は何もせずに聞いてるわけでもないのにどうしてそんなことを言われないといけないのか理解できません。
ただ、自分は事前にこう調べてみたという事も話してはいません。
なぜなら、B先輩が○○(私)さんの、こう思いました、っていうね、「思いました」っていうのはいらないの。誰も求めてないの。それは○○さんの思い込みでしょ?だと思います、とか、そういう曖昧な言葉はいらないから!と言われるからです。
また、もっと昔の若い頃にも、違う人に人を頼るなと言われた事があります。
自分だって分からないから調べて答えを見つけてるのに、メールで教えてくださいばかりは困ると言われました。
なので私には至らないところがあると思います。
私は、自分で考えていないのでしょうか。
私は、どういう人間なのでしょうか。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14292414669)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
あくまで推測ですが、取れるべき責任を取っていない、自分でできる決断をしていないように映っているのではないでしょうか。
わかりにくいかもしれませんが、A先輩に相談した場合、A先輩でも判断を要する内容だったとして、その判断を質問者さまがするべきだとB先輩は言っているのではないか?と思いました。
自分でするべき決断を、他人に委ねているように映っているのかもしれません。
つまり、責任を負おうとしていないということです。
そんなつもりはないのかもしれませんが、結果的にそうなっているということに気づいて欲しいのではないか?と思います。
だから、自分で考えろというのは、「自分で考えて決めなさい」と言っているのだと思うのです。
そうだとしたら、自分で考えないと「成長しない」という言葉が理解できます。
部下から見たときに、上司の仕事は何か?ひと言で言うなら「決断」をすることです。
決めてあげること。責任を取ってあげることです。
それができなければ、いくら仕事ができても人の上に立つことはできません。
責任を取れるから上司なのです。
上に行けば行くほど、取らなければならない責任が大きくなります。
人間としても成長しなければならないということです。
○決断力と責任感
「自分で考えなさい」、「自分で決めなさい」と言われる人は、自分が決めていないこと、責任を負おうとしていないということに気づいていません。
微塵もそんなつもりはないのです。
むしろ、そうやって周りの人に相談する方が、失敗を回避できて安全で「良いこと」をしていると思っています。
新人だったら、その考え方は正しいと思います。なぜなら責任を取れないからです。
つまり、「自分で考えなさい」、「自分で決めなさい」と言われる人は、いつまでも新人のつもりなのです。
新人の頃は、それで誰からも叱られることはなかったのに、「なぜ、今は?」くらいに思っているかもしれません。
つまり、B先輩が言いたいのは、キャリアや力量を考えた時、そろそろ「自分で考えなさい」、「自分で決めなさい」ということなのではないか?と思います。
では、責任を取るとはどういうことか?
「リカバリする」ということです。
決断をして、それが間違った判断だった場合に、それをリカバリすることが責任を取るということです。
それができる人、しなければならない人が、責任を負わなかったり、決断を他人に委ねたりしていると、「自分で決めなさい」と言われるのです。
新人の時はリカバリの仕方がまだわかっていません。
だから、リカバリができる先輩や上司に決断を委ねなければならないのです。
○「解決」から「未然」へ
「ハインリッヒの法則」というのがあります。
労働災害でよく知られている、事故の発生についての経験則です。
「ハインリッヒの法則」」とは、労働災害の分野でよく知られている、事故の発生についての経験則。1件の重大事故の背後には、重大事故に至らなかった29件の軽微な事故が隠れており、さらにその背後には事故寸前だった300件の異常、いわゆるヒヤリハット(ヒヤリとしたりハッとしたりする危険な状態)が隠れているというもの。「1:29:300の法則」とも呼ばれます。
ハインリッヒの法則を「お客様からのクレーム」に置き換えても同じことが言えると思います。
ひとつのクレームの背後には、クレームに至らなかった29件の軽微なミスが隠れており、さらにその背後にはミス寸前だった300件の”心の緩み”があると思われます。
表面化するのは。クレームや事故になったモノだけです。
責任を負うためには、表面化していない300件以上の心の緩みを見る力がないといけないと思います。
リカバリするとは、表面化したクレームの対応はもちろん、同じクレームが二度と起こらないように改善策を考えることだからです。
「トラブルを解決する」から「トラブルを未然に防ぐ」ために、どうするか?
それが責任を負うということだと思うのです。
では、ごきげんよう。さようなら。
電子書籍を出版しています。
Unlimited会員なら0円で購入できます。
ぜひ、お読みください。m(_ _)m
●「自分で考えなさい」の真意とは?|決断力と責任感のまとめ
今日は「「自分で考えなさい」の真意とは?|決断力と責任感」と題して、自分で考えなさいについて考えました。
○「自分で考えなさい」の真意とは?
自分でするべき決断を、他人に委ねているように映っているのかもしれません。
つまり、責任を負おうとしていないということです。
そんなつもりはないのかもしれませんが、結果的にそうなっているということに気づいて欲しいのではないか?と思います。
○決断力と責任感
責任を取るとはどういうことか?
「リカバリする」ということです。
決断をして、それが間違った判断だった場合に、それをリカバリすることが責任を取るということです。
○「解決」から「未然」へ
「トラブルを解決する」から「トラブルを未然に防ぐ」ために、どうするか?
それが責任を負うということだと思うのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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