人生の結果は自分が原因ですか?|原因と結果の関係
人生の結果は自分が原因ですか?
さて、どうでしょうか?
原因とは何か?そして結果とは何か?で解釈が変わってくると思います。
原因と結果の関係とは?
今日は『人生の結果は自分が原因ですか?|原因と結果の関係』と題して、原因と結果の関係について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
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くろちゃんは、
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奇跡を感じている
くろちゃんです。
人生の結果は自分が原因ですか?|原因と結果の関係
人生の結果は自分が原因ですか?
自分の人生の結果は自分が原因ですか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10255591335)
『結果』とは『今』ということです。
これまでの結果が『今』でしょう?
そして、『今』とは色々な要素(原因)の集合体です。
生まれてから、色々な人と出会い、色々なことを学び、色々なことを経験し、そして自ら選んで行動してきた結果が『今』です。
どれかひとつでも違えば、違う『今』があったはずです。
つまり結果は違っていました。
ひとりの人との出会いも、自分が踏み出す一歩も人生の結果という意味では同じ重さです。
ゴルフで300ヤードを打つドライバーも30センチのパターも1打は1打ということです。
大げさな言い方ですが、今日でかけるときに左足から一歩を出すか、右足から一歩を出すかで人生は変るのです。
ですが、自分には預かり知らないことが結果に影響を与えていることだってあります。
ですから、自分だけが原因というわけではありません。
しかし、自分が選んだひとつの選択も結果に影響を与えていることも間違いありません。
自分の選択も原因のひとつです。
人生の結果は自分が原因ともいえるのです。
つまり、自分の出来ることを精一杯やって、結果は気にしない。
『人事を尽くして天命を待つ』という心境が大切だと思います。
どう考えると『私』が受け入れやすいか?
ここまでの話は二元の世界の話です。
ところが、非二元(ノンデュアリティ)の立場から言うと、すべて自分が原因ということになります。
『あなたは私 私はあなた』ですから、他人からの圧力によって自分の選択が余儀なくされたと思ったとしても、その圧力を感じたのは『私』だからです。
それが良い結果でも悪い結果でも、その圧力は外からの力ではなく、自分がそう感じた(解釈した)内側からの圧力だと考えます。
この場合もやはり自分の出来ることを精一杯やって結果を受け入れるしかありません。
そして、『すべては今のためにあったこと』と考えるのです。
今の結果は、今この瞬間だけを切り取ると悪い結果だとしても、その悪い結果があったからこそ、次の良い結果が起こるかもしれないのです。
『人間万事塞翁が馬』です。
二元も非二元も、考えるプロセスが違うだけで、受けいるべき結果は同じです。
教えや考え方、生き方に正解はありません。
どう考えると『私』が受け入れやすいか?
正解に寄り添うのではなく、『私』に寄り添うのです。
万教帰一
『万教帰一』、すべての教えはたったひとつのことを伝えるためにあるといいます。
『たったひとつ』、実はこれも言葉の綾なのです。
”ひとつ”とは、それ以外がある場合の言葉です。
この場合の『たったひとつ』は、たくさんある中のひとつではありません。
『全体がひとつ』ということです。
二元も非二元も受け入れるべき結果は同じということになるのは、選ぶべき正解があるのではなく、この仕組こそが正解だということです。
繰り返しますが、この仕組を受け入れるためにどう考えると『私』が受け入れやすいか?
どの教えが自分にとってしっくりくるか?
二元と非二元、どっちがお好みですか?ってことなのです。
人生の結果は自分が原因ですか?|原因と結果の関係のまとめ
今日は『人生の結果は自分が原因ですか?|原因と結果の関係』と題して、原因と結果の関係について考えました。
人生の結果は自分が原因ですか?
生まれてから、色々な人と出会い、色々なことを学び、色々なことを経験し、そして自ら選んで行動してきた結果が『今』です。
どれかひとつでも違えば、違う『今』があったはずです。
つまり結果は違っていました。
ですから、自分だけが原因というわけではありません。
しかし、自分が選んだひとつの選択も結果に影響を与えていることも間違いありません。
自分の選択も原因のひとつです。
どう考えると『私』が受け入れやすいか?
非二元(ノンデュアリティ)の立場から言うと、すべて自分が原因ということになります。
『あなたは私 私はあなた』ですから、他人からの圧力によって自分の選択が余儀なくされたと思ったとしても、その圧力を感じたのは『私』だからです。
それが良い結果でも悪い結果でも、その圧力は外からの力ではなく、自分がそう感じた(解釈した)内側からの圧力だと考えます。
この場合もやはり自分の出来ることを精一杯やって結果を受け入れるしかありません。
二元も非二元も、考えるプロセスが違うだけで、受けいるべき結果は同じです。
万教帰一
『万教帰一』、すべての教えはたったひとつのことを伝えるためにあるといいます。
この場合の『たったひとつ』は、たくさんある中のひとつではありません。
『全体がひとつ』ということです。
二元も非二元も受け入れるべき結果は同じということになるのは、選ぶべき正解があるのではなく、この仕組こそが正解だということです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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