目の前のことに集中する|二元と非二元、どっちがお好みですか?
『目の前のことに集中する』といっても解釈は人それぞれだと思います。
どう『目の前のことに集中する』といいのか?
そんなことをテーマに書いていきます。
今日は『目の前のことに集中する|二元と非二元、どっちがお好みですか?』と題して、目の前のことに集中するについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
目の前のことに集中する|二元と非二元、どっちがお好みですか?
目の前のことに集中する
『今を生きる』ということを言うときに、『目の前のことに集中する』という言い方をします。
この”目の前”という言葉の意味が誤解を招きます。
目の前というと、言葉の意味どおりに解釈すると、全体の中の一部分、目の前の部分のことだと普通は解釈します。
『今を生きる』という意味の『目の前』とは、全体の中の一部のことではなく、全体のことです。
最近、非二元(ノンデュアリティ)という言葉を多用していますが、それは『今を生きる』といったときの今を説明するときに、非二元という言葉が一番その概念を言い表していると思うからです。
たとえば、『目の前』という言葉を部分で捉えると二元なんですね。
『目の前の部分』と『目の前の部分以外』で二元です。
ですが、『目の前』を全体として捉えると非二元的な解釈になるのです。
全体として捉えるとは、どういうことかというと。
今自分が見えているもの。聞こえているもの。感じているものすべてということです。
非二元的な『目の前』とは、目の前に存在するすべてということです。
『今を生きる』の『今』を現在、過去、未来の『現在』のことだと解釈すると二元になります。
今と今以外(過去・未来)という二元です。
これを非二元的に表現すると、『過去を思っている今』、『未来を思っている今』ということになるわけです。
つまり、現在、過去、未来はすべて今にあるということになります。
どちらで世の中をみても起こることは何も変わりませんが、自分の解釈で景色が変わります。
この世界はひとつの大きな川の流れのようなもの
昨日のブログでも書いたのですが、二元と非二元、どっちがお好みですか?ということです。
どちらの考えで生きても起こる出来事は同じです。
ただ、その起こる出来事をどう解釈するか?という問題です。
解釈次第で、受け取り方が変わるからです。
どちらでもいいと言いながら非二元に肩入れをしているようになってしまいますが、僕は非二元で生きると決めていますので、肩入れするのはご容赦ください。
ただ、二元で生きることで楽しめたり、幸せになったり、がんばれる人がいると思います。
それを否定するつもりはありません。
二元というのは、自分がいて相手がいます。
原因があって結果があります。
正解があって間違いがあります。
そうすると、結果が思わしくないとき、原因が間違っていたから、結果が悪いという考えになるだろうと思います。
そうすると、間違った犯人がいるという話になってしまいます。
そうしたいわけではなくても誰かを責めてしまいます。
もちろん、それが自分の場合もあります。
しかし、非二元では、原因と結果はセット(ひとつ)だと考えます。
つまり、そうなると決まっていたんだと考えるわけです。
そして、それが一見悪い結果だったとしても、その結果がまた原因となって次の結果がありますが、それもセットであると。そしてその結果が良い結果だったとき、その前の一見悪いと思われた結果があったからこそ今があるということになります。
ですが、それは、はじめから決まっていたと考えるわけです。
つまり、すべて(この世界)はひとつの大きな川の流れのようなものであると捉えるのです。
目の前の幸せを感じることに心を傾ける
非二元だと犯人はどこにもいませんね。
いるとしたら、この世界を司る宇宙のような存在ですが、自分と宇宙を切り離した途端に二元になってしまいます。
自分は宇宙の一部であり、宇宙そのものです。
それが非二元です。
そうすると、人生に対してどんな態度になるかというと、人のせいにせずに今出来ることを精一杯やろうというところに落ち着くと思います。
『来た球を打つ』だけでいいという心境です。
なぜかというと、すべて決まっていて、自分ががんばっても結果は変わりませんが、だからといって手を抜いても仕方がないと気づくからです。
そう考えることも決まっていて、がんばろうと思うことも、手を抜こうと思うことも、そしてその結果もすべて決まっています。
手を抜いたら楽で、一生懸命にやるとしんどいとしたら、それは二元です。
手を抜いてもかまいませんが、それも決まっているのです。
ですから、自分の心のままに、ありのままに素直でいることだけに傾注する。
目の前の幸せを感じることに心を傾ける。
それが『今を生きる』ということなのです。
目の前のことに集中する|二元と非二元、どっちがお好みですか?のまとめ
今日は『目の前のことに集中する|二元と非二元、どっちがお好みですか?』と題して、目の前のことに集中するについて考えました。
目の前のことに集中する
『今を生きる』の『今』を現在、過去、未来の『現在』のことだと解釈すると二元になります。
今と今以外(過去・未来)という二元です。
これを非二元的に表現すると、『過去を思っている今』、『未来を思っている今』ということになるわけです。
つまり、現在、過去、未来はすべて今にあるということになります。
この世界はひとつの大きな川の流れのようなもの
非二元では、原因と結果はセット(ひとつ)だと考えます。
つまり、そうなると決まっていたんだと考えるわけです。
そして、それが一見悪い結果だったとしても、その結果がまた原因となって次の結果がありますが、それもセットであると。そしてその結果が良い結果だったとき、その前の一見悪いと思われた結果があったからこそ今があるということになります。
すべて(この世界)はひとつの大きな川の流れのようなものであると捉えるのです。
目の前の幸せを感じることに心を傾ける
人生に対してどんな態度になるかというと、人のせいにせずに今出来ることを精一杯やろうというところに落ち着くと思います。
『来た球を打つ』だけでいいという心境です。
なぜかというと、すべて決まっていて、自分ががんばっても結果は変わりませんが、だからといって手を抜いても仕方がないと気づくからです。
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