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心はどこにある? |脳にあるのか?心臓にあるのか?| 心も身体も諸法無我

『心』は、人間のどこにあるんだろうか?

A「『心』は、人間のどこにあるんだろうか?」
B「うーん。やっぱり脳じゃないかな」
A「そうか。ところで、昨日の夕食はなに食べた?」
B「カレー」
A「美味しかったのかい?」
B「美味しかったよ」
A「美味しいという気持ちはカレーがもたらしたんだろう?君は脳の中にカレーがあるのか?」

以上の会話をあなたはどう思う?

引用:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10227513685

今日は『心はどこにある? |脳にあるのか?心臓にあるのか?| 心も身体も諸法無我』と題して、心というものが何であるかについて考えていきます。



世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

心はどこにある? |脳にあるのか?心臓にあるのか?

美味しいという感覚はカレーだけがもたらすものではありません。

場所や誰と食べるか?とか価格に対して味がどうか?で感じる美味しさも変化すると思います。

美味しさや価値を決定するのは心ですが、心は一定の場所にあるものではありません。

心は脳や心臓にあるものではないのです。

カレーを食べたときに感じる味以外に五感が感じる他の感覚。

聞こえるもの、見えるもの、触れるもの、匂うもの。
それらがひとつに集まったときに『心』が発生するという考えはどうでしょうか?

つまり、カレーのたとえの場合『美味しい』と感じたのが心です。

心は人間が何かを感じた瞬間、瞬間に、現れては消え、現れては消えしているのです。

心はどこにある?|心理学的観点

心はどこにある? | 心も身体も諸法無我

仏教に諸法無我しょほうむがという教えがあります。

諸法無我の意味

すべてのもの事(=諸法)は、互いに影響をし合い、何一つとして単体で存在する(=我)ものはない。実体はない。

カレーはカレーだけで存在しているわけではありません。

様々なスパイスとお肉や野菜、ご飯。
それらが合わさったときにカレーとして存在します。

カレーという独立した存在はないというのが諸法無我しょほうむがという教えです。

心もそれと同じなのです。

カレーがあって、それを食べるお店があって、一緒に食べる友人がいる。

それらが合わさってカレーの味が決定します。

『美味しい!美味しい!』と、とても美味しいと思ってお肉を食べていて、
それがカエルのお肉だと聞いた瞬間、おえ〜って(笑)

情報も心を決定する要素です。

すべてのことが、すべての要素によって『今』の心を決定する。

ですから、心は『コレ!』という決定的なものではないし、
心単体では存在できないのです。

心はどこにある? |すべては空である

すべてものが単体では存在できないのですから、
絶対的な悪人もいないし、絶対的に悪い出来事もないということになります。

すべてはくう。実体はありません。

悪人も悪い出来事も様々な要素が合わさったときに、自分がそう解釈しているわけです。

それが心です。

心が正しいのではないのです。

自分はそう解釈している。自分がそう思っているというのが正しいのです。

たとえば『”あの人”が私のことを嫌っている』というのは
様々な要素があって私の心がそう感じているのですが、
”あの人”がそう思っているという絶対的な事実からそう感じているのではなくて、
他の人の噂とか、
その人のちょっとした振る舞いとか。

もっと細かい話だと、
出勤時間のタイミングとか、社員食堂の席の位置とか。

小さい事象の集まりがそう感じさせているのであって。

”あの人”の本当の心はわからないのです。

心はどこにある? |心はあてにならない

心はあてになりません。

『自分がそう感じている』という意味ではひとつの事実として間違いありませんが、
そう感じていることの根拠は実に乏しいからです。

『自分の心に素直に正直に』というお約束を「ともいき」では大切にしていますが、
自分がそう感じていることは大切にしますが、
だからこそ、そう感じていることとしっかりと向き合わないといけません。

あてにならないということも含めてしっかりと向き合わないといけないのです。

本当にそうなのか?と問いかける姿勢が大切です。

自分が見えていない要素はないか?

先ほどのカエルのたとえのように、それを知ることで解釈が変わるということはないか?

今はまだ知らないけれど、それがあったとしたら、今出している答えは正しいのか?

心はどこにある? |脳にあるのか?心臓にあるのか?| 心も身体も諸法無我のまとめ

今日は『心はどこにある? |脳にあるのか?心臓にあるのか?| 心も身体も諸法無我』と題して、心というものが何であるかについて考えました。

脳にあるのか?心臓にあるのか?
心は脳にも心臓にもない。
心は人間が何かを感じた瞬間、瞬間に、現れては消え、現れては消えしている。

心も身体も諸法無我
情報も心を決定する要素。
すべてのことが、すべての要素によって『今』の心を決定する。

すべては空である
心が正しいのではない。
自分はそう解釈している。自分がそう思っているというのが正しい。

心はあてにならない
今はまだ知らないけれど、それがあったとしたら、今出している答えは正しいのか?

今日も読んでいただきありがとうございます。





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