理不尽な扱いを受けるのは?|世界は『私』の心の表れ
現実世界は『私』に対する世界の反応です。
目に見えること、目に見えないことの区別なく、『私』の生き方に対して世界からの反応が返ってきています。
ですから、私が変わると反応も変わります。
良いとか、悪いに関係なく、ただ反応として返ってきています。
その反応が望ましいものでなければ『私』が変わればいいのです。
今日は『理不尽な扱いを受けるのは?|世界は『私』の心の表れ』と題して、理不尽な扱いを受けるのは?について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
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そして、
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ありがとうございます。
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くろちゃんです。
理不尽な扱いを受けるのは?|世界は『私』の心の表れ
世界は『私』の心の表れ
世界は『私』の心の表れだというお話をします。
『現実は自分の心の映し鏡』とも言います。
会社で『私』ばかりが周囲の人から不当に扱われているとします。
たとえば、同じことをしてもあの人は注意されないのに、『私』だけが注意をされるなど。
これも、『私』の心の表れです。
逆の場合を想像してください。
『私』は、みんなに平等に接していますか?
注意すべきことは、どんな人であっても注意するでしょうか?
理由は色々とあったとしても、ひとりひとり対応が違うはずです。
たとえば、本来ミスをするような人ではないけれど、ケアレスミスで起こったと判断した場合。
こういう人にはわざわざ注意しなくても自分で考えて、次のミスがないようにするだろうと思うかもしれません。
たとえば、言ったら口ごたえする後輩。
こんな後輩、別にかわいくないし、言ったら口ごたえされると、それに付き合うのが面倒だから、言わないと思うかもしれません。
逆に、少々理不尽でも先輩の言うことは素直に聞いてくれる人にだと、『私』の自尊心を満足させてくれるので、たいしたことでなくても注意してしまうかもしれません。
どんな理由があるにせよ。
『私』は相手をみて、それに相応しいと思う扱い方をしているはずです。
他人だって同じことです。
他人にとって、『私』は、そう扱うのに相応しい人間なのです。
それが正解か?どうかは別としてです。
目の前で起こる現実世界は『私』の心の表れです。
『私』がどんな風にこの世界で生きているか?
その応えが世界では表現されているのです。
『私』の心を世界は表してくれています。
他人を変えるよりも『私』を変える方が圧倒的に早い
それを自覚することが出来たら、『あの人が悪い』とか、『なんで、あの人はそんな理不尽な考え方なのだろう?』とか、『どうしたらあの人に私のことがわかってもらえるだろう?』とか考えなくなります。
考えても仕方ないというよりも、問題はそこではないと気づくからです。
『私』の生き方が世界に表れているのだから、他人を変えようとしてもそれはほとんど無意味です。
ほとんどと言ったのは、まったくではないからです。ひとりひとり考え方が違うので、同じ『私』でも正当に扱ってくれる人と、不当に扱う人がいるでしょう。
ですが、これが『私』を間違わせているのです。
どういうことか?というと、不当に扱う人ばかりだと、さすがの『私』もいい加減に『私』に問題があると気づくでしょう。
ですが、そんな中にも出来た人がいて、優しく接してくれる人がいます。そうすると、その人の対応が正しくて、不当に扱う人の性格が悪いとか、人間性に問題があると思ってしまいます。
もちろん、これだって、何が正解かはわかりません。
ですが、間違いないのは、他人を変えるよりも『私』を変える方が圧倒的に早いということです。
『すべての人は世界を変えたいと思っているが、 自分を変えようとは思ってはいない。』とは、作家トルストイの言葉です。
現実は『私』に対する世界からの賜り物
たとえば、会社でうまく上司に取り入る、いわゆる処世術に長けた人というのがいます。
それを見て『私』はどう思いますか?
なんかズルいとか。あんな風には生きたくないとか。そこまでして出世したいの?とか。
色々なことを思うかもしれません。
逆に見習おうと思う人だっているでしょう。憧れる人だっているかもしれません。
『私』が思ったことは、そのまま世界に表れます。
上司におべんちゃらを使えとか、うまく立ち回れと言っているわけではありません。
この世界はそんな単純ではありません。
こうしたから、こうなんてそんな単純なものではありません。
たくさんの人が色々な考え方をしながら生きているからです。
しかもコロコロと考えを変えながらです。
たとえば上司には好かれても、同僚や後輩からは嫌われるということもあります。
たとえ出世しても、自分の意に反して生きることは『私』を苦しめるかもしれません。
ただ、これだけは間違いないのは、今目の前で起こっている現実は、これまでの『私』に対する世界からの賜り物だということです。
それをいただいて、これからどう生きていくか?
他人は変えるのではなく、『私』はこれからどう生きていくか?が大切だということです。
理不尽な扱いを受けるのは?|世界は『私』の心の表れのまとめ
今日は『理不尽な扱いを受けるのは?|世界は『私』の心の表れ』と題して、理不尽な扱いを受けるのは?について考えました。
世界は『私』の心の表れ
目の前で起こる現実世界は『私』の心の表れです。
『私』がどんな風にこの世界で生きているか?
その応えが世界では表現されているのです。
『私』の心を世界は表してくれています。
他人を変えるよりも『私』を変える方が圧倒的に早い
『私』の生き方が世界に表れているのだから、他人を変えようとしてもそれはほとんど無意味です。
ほとんどと言ったのは、まったくではないからです。ひとりひとり考え方が違うので、同じ『私』でも正当に扱ってくれる人と、不当に扱う人がいるでしょう。
ですが、これが『私』を間違わせているのです。
どういうことか?というと、不当に扱う人ばかりだと、さすがの『私』もいい加減に『私』に問題があると気づくでしょう。
ですが、そんな中にも出来た人がいて、優しく接してくれる人がいます。そうすると、その人の対応が正しくて、不当に扱う人の性格が悪いとか、人間性に問題があると思ってしまいます。
もちろん、これだって、何が正解かはわかりません。
ですが、間違いないのは、他人を変えるよりも『私』を変える方が圧倒的に早いということです。
現実は『私』に対する世界からの賜り物
今目の前で起こっている現実は、これまでの『私』に対する世界からの賜り物だということです。
それをいただいて、これからどう生きていくか?
他人は変えるのではなく、やはり『私』はこれからどう生きていくか?が大切だということです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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