人のせいにせず事のせいにする|これからの人生を変えていく
人生で起こるすべてのことは自分にも原因があります。
それは結果は様々な要因の集合体だからです。
他人のせいでもあるし、自分のせいでもある。
天気が悪いことが原因のこともあるし、今日のご飯は美味しくないのが原因かもしれない。
人のせいではなく、事のせいなのです。
今日は『人のせいにせず事のせいにする|これからの人生を変えていく』と題して、人のせいにしないについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
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人のせいにせず事のせいにする|これからの人生を変えていく
人ではなく事に原因を求める
【虐待されて来た事も自分のせい、ですか?】
先日座禅と共に仏教の教えを聞いてきました。「自業自得」について説話があり、すべての物事は自分のせい(良い結果も悪い結果も)という話がありましたが、
私の旦那は10代半ばまでずっと酷い虐待を受けて育ってきた人で、陰のある人です。
(中略)
先の説話を聞いていた時に「こういう彼の性分や、無駄にされたような彼の人生もそれも彼自身の責任なのか・・?」と思い、あまりにキレイ事言ってんな。と思いその説法の場を後にしました。
(中略)
そこで、こういううちの旦那のようなケースもやはり自分の責任、という話になるのか? 誰かのご意見、知恵?を聞きたいなと思いました。
うちの旦那は昔の事は振り返らないよう努めてはいるようですが、やはり苦しんでいる時があります。それも他責にするな、というのはむごい事に感じてます。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14261760209)
自業自得とか、因果の道理といいますが、仏教ではすべての結果は自分に原因があると教えれます。
確かに、この質問者さまが言われるように、まだ幼い子どもに虐待されたのは自分のせいだというのは適切ではないと思います。
ただ、仏教が言っている原因というのは、自分だけに責任があるということではないと思います。
あくまでも原因のひとつであるということです。
結果というのは、様々な要因の集合体です。
当事者だけではなく、たとえば仕事でイライラするようなことがあったとか、その日の天気が悪いからとか、ご飯が美味しくないとか、ほんの些細なことでが原因になることがあります。
その中のひとつに自分もあるということです。
もちろん虐待している親にも原因があります。
誰かが悪いとは決められないのです。
ですから、人ではなく事に原因を求めます。
あの出来事があったおかげで
質問者さまのご主人は、自暴自棄になって勉強にも関心が無かったし、ロクな人間じゃなかったと言われているそうです。
それは、やはり虐待されたことが原因です。
ですが、それを親のせいにしても過去は変わりません。
他人と過去は変えられないと言います。
他人のせいにして、過去がなかったものになるのなら、それもいいと思いますが、過去は変わりません。
そこで、今の自分があるのは、”あの事”があったからだと考えるのです。
そして、そうなったひとつの原因として、自分がそれを受け入れたからだと考えます。
今後同じようなことがあったら、断固受け入れないと考えるのです。
こう思えれば、過去は変わりませんが、過去にあった出来事のせいで自暴自棄になる必要はないと思えるのではないかと思います。
なぜなら、自暴自棄になれば、またそれが原因で次の結果を生みます。それがいい結果になるような気はしませんよね。
あの出来事があったおかげで、強い人間になれたということだってあるかもしれません。
生きている人間を苦しみから解放しようとするのが仏教
質問者さまと回答に対するやり取りの中で、このような返信がありました。
後から大人たちの賢い知識で語る事は可能ですが、子供の頃には「じゃあ自分の人生をどお切り拓いていこうか」等という展望は開けない気がするのです。 そしてその影響としても、その後の彼の人生もほんとうに大変なモノでした。
目黒で起きた小さな女の子も命を落としました。賢い知恵が解るようになるまで生きのびられなかった人の命は、はい、そこまでよ。というのがこういう説法の教えなのかな。。と感じてしまったのも事実です
おっしゃる通りだと思います。
仏教は、生きている人間のためのもので、しかも大人が作ったものなので、子どもに理解しろといっても難しいと思います。
それは、生きることが辛く苦しいというところから仏教がスタートしているからだと思っています。
生老病死という生きている以上、避けられない苦しみから逃れるためのものが仏教です。
死ねばすべての人が極楽浄土に行けます。
生きている『今ここ』を極楽浄土にするための教えが仏教です。
生きていることが苦しいというのは、質問者さまのご主人のように、大人になってもいまだ過去に縛られているということも苦しみのひとつです。
そういった生きている人間を苦しみから解放しようとするのが仏教の教えだと理解しています。
他人と過去は変えられません。
ですが、今ここで自分の考え方、生き方を変えるだけで、これまでも、そしてこれからの人生も変えていくことが出来るのです。
人のせいにせず事のせいにする|これからの人生を変えていくのまとめ
今日は『人のせいにせず事のせいにする|これからの人生を変えていく』と題して、人のせいにしないについて考えました。
人ではなく事に原因を求める
結果というのは、様々な要因の集合体です。
当事者だけではなく、たとえば仕事でイライラするようなことがあったとか、その日の天気が悪いからとか、ご飯が美味しくないとか、ほんの些細なことでが原因になることがあります。
その中のひとつに自分もあるということです。
もちろん虐待している親にも原因があります。
誰かが悪いとは決められないのです。
ですから、人ではなく事に原因を求めます。
あの出来事があったおかげで
今の自分があるのは、”あの事”があったからだと考えるのです。
そして、そうなったひとつの原因として、自分がそれを受け入れたからだと考えます。
今後同じようなことがあったら、断固受け入れないと考えるのです。
生きている人間を苦しみから解放しようとするのが仏教
生きていることが苦しいというのは、質問者さまのご主人のように、大人になってもいまだ過去に縛られているということも苦しみのひとつです。
そういった生きている人間を苦しみから解放しようとするのが仏教の教えだと理解しています。
他人と過去は変えられません。
ですが、今ここで自分の考え方、生き方を変えるだけで、これまでも、そしてこれからの人生も変えていくことが出来るのです。
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