不安な気持ちが起こったら?|幸せなときは幸せしかない
『幸せなときは幸せしかない』
ぜひ伝えたいことです。
『私と世界はひとつ』だということの説明でもあります。
世界が不安なとき私も不安なのです。
今日は『不安な気持ちが起こったら?|幸せなときは幸せしかない』と題して、幸せなときは幸せしかないについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
不安な気持ちが起こったら?|幸せなときは幸せしかない
幸せなときは、幸せしかない
なぜ、幸せになりたいと思うのか?
それは、何か不安だからです。
今自分が幸せなのか?どうか?確信がないのです。
意識、無意識の違いはあっても、幸せになるために生きている人は多いと思います。
だとしたら、間違いなく幸せではないです。
否定しているわけではありません。
気づいて欲しいのです。
幸せなときは、幸せしかありません。
幸せなときというのは疑いようがないのです。
幸せしかない。
ですから、ほんの少しでも、そこに疑いの余地があるのなら、幸せ100%ではないということです。
だからといって、『あなたは他人と比べて不幸せだ』と言っているわけではありません。
そもそも幸せ、不幸せは他人と比べるものではありません。
比べていること自体が不幸せなのです。
『で、そういうあなたは幸せなの?』と思った人。そう思うこと自体不幸せです。
他人のことは関係ないのです。
自分がどうか?だけがすべてです。
世界は自分の心の映し鏡
幸せなときには、他人の不幸せには目がいかないものです。
冷たいのではありません。
自分が幸せなときは、世界も幸せだからです。
世界は自分の心の映し鏡ですから、自分が幸せなら世界も幸せなのです。
ウクライナで戦争が起こっているのに、自分が幸せなら、幸せなのか?とお叱りを受けそうですが、ウクライナに限らず、自分の知っている範囲で戦争が起こっていれば幸せではありません。
ですから、ニュースで戦争を見ているとき、幸せではありません。
頭でウクライナのことを心配しているとき、幸せではありません。
ですが、ウォーキングしているときは幸せです。
それはウォーキングをしているときは、ウォーキングを楽しむことに集中しているからです。
もし、ウォーキングの最中にウクライナのことを考えていたら、幸せではなくなるでしょう。
何が言いたいかわかりますか?
幸せとか、不幸せというのは、自分の頭の中のことだということです。(心の中のこと、と言ってもいいです)
電車に乗っていて、となりで喧嘩している人がいたとしても、イヤホンで落語か何かを聞いていて、その喧嘩が起こっていることを知らなければ、喧嘩は起こっていないのと同じだということです。
イヤホンをとって、喧嘩が起こっているとわかれば、巻き込まれるかもしれないと不安になりますね。
それが不幸せなのです。
幸せの本質
デール・カーネギーの『人を動かす』の中で幸せの本質を知ることが出来る大好きな一節があります。
ある一流の精神科医の話しです。
「今、私の手元に、結婚に失敗した患者が一人いる。女性の患者だが、彼女は、愛情、性 の満足、子供、社会的地位などを期待して結婚生活に入った。ところが、現実は、彼女の希望を無残に踏みにじってしまった。夫は、彼女を愛してくれない。食事もともにしようとはせず、自分の食事だけ二階の自室へ運ばせる。子供も生まれないし、社会的地位も思わしくない。彼女は、精神に異常を来した。そして、狂気の世界で、彼女は、夫と離婚し、 旧姓を名のるようになった。今では、イギリスの貴族と結婚していると信じており、スミ ス侯爵夫人と呼んでもらわねば承知しない。また、子供については、彼女は、赤ん坊を毎晩産んでいると思い込んでいる。私が診察するたびに、彼女は昨夜赤ちゃんが生まれたと報告する」。
彼女の夢を託した船はことごとく、現実という暗礁に乗り上げて、こなごなに打ち砕か れてしまったが、今や、彼女は、狂気という輝かしい空想の世界にあり、彼女の夢をのせた船は、順風を帆に受けて、次々と港に安着しているのだ。
これは悲劇だろうか?私にはわからない。その医者もこう言っている。
「仮に私が、ただ手を差し出すだけで、彼女の異常を治せるとしても、私は、そうする気にはなれない。今のままのほうが、彼女は、よほど幸福なのだ」。出典:デール・カーネギー著『人を動かす』第2章『重要感を持たせる』より
僕は彼女のことを幸せだと思います。
もし、彼女のことを不幸せだと感じ、なんとかしてあげたいと思うとしたら、それは僕がそう思っていて、僕が不幸せだからです。
世界は自分の心の映し鏡です。
不幸せを見て、不幸せを感じるのは、出来事が不幸せな出来事だからではありません。
出来事にはそもそも幸せも不幸せもありません。
その出来事を幸せか不幸せか判断するのは自分の心なのです。
そして、その心を現実という名のスクリーンに投影しているのです。
幸せなときは、幸せしかないというのは、それが『私』の心だからです。
幸せになるために出来ること
では、どうするのか?
何も出来ません。
自分がそう感じることを止めることは出来ませんから。
ただ、自分次第だということを認めるだけです。
他人のせいにしないこと。
他人の評価も気にしないこと。
自分が何を見て生きていくかだけが人生を決めることを知ることです。
不安な気持ちが起こったら、それを認めて受け入れましょう。
だとしたら、自分はどうしたいか?
自分の中から沸き起こった思いに素直に正直に行動しましょう。
出来ることはそれだけです。
不安な気持ちが起こったら?|幸せなときは幸せしかないのまとめ
今日は『不安な気持ちが起こったら?|幸せなときは幸せしかない』と題して、幸せなときは幸せしかないについて考えました。
幸せなときは幸せしかない
幸せなときというのは疑いようがないのです。
幸せしかない。
ですから、ほんの少しでも、そこに疑いの余地があるのなら、幸せ100%ではないということです。
だからといって、『あなたは他人と比べて不幸せだ』と言っているわけではありません。
そもそも幸せ、不幸せは他人と比べるものではありません。
比べていること自体が不幸せなのです。
世界は自分の心の映し鏡
幸せとか、不幸せというのは、自分の頭の中のことだということです。(心の中のこと、と言ってもいいです)
電車に乗っていて、となりで喧嘩している人がいたとしても、イヤホンで落語か何かを聞いていて、その喧嘩が起こっていることを知らなければ、喧嘩は起こっていないのと同じだということです。
イヤホンをとって、喧嘩が起こっているとわかれば、巻き込まれるかもしれないと不安になりますね。
それが不幸せなのです。
幸せの本質
世界は自分の心の映し鏡です。
不幸せを見て、不幸せを感じるのは、出来事が不幸せな出来事だからではありません。
出来事にはそもそも幸せも不幸せもありません。
その出来事を幸せか不幸せか判断するのは自分の心なのです。
そして、その心を現実という名のスクリーンに投影しているのです。
幸せになるために出来ること
何も出来ません。
自分がそう感じることを止めることは出来ませんから。
ただ、自分次第だということを認めるだけです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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