愛の許し|自分を愛し、他人を許す
自分を許すには愛することです。
自分の醜さや愚かさを愛することで許すことができるのです。
自分の醜さを愛する心で、他人のことも愛することができるのです。
今日は「愛の許し|自分を愛し、他人を許す」と題して、愛の許しについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
●愛の許し|自分を愛し、他人を許す
○愛の許し|自分を愛し、他人を許す
自分を許す方法は?
他人を許すことについては、その人にはその人の事情があったかもしれないと思うことで仕方なかったのだと思うことができますが、
自分を許すとはどういうことなのでしょうか なぜあの時そうできなかったのだろう?という考えから抜け出すことが難しいことがあります
どういう思考ができたら自分を許せるのでしょうか
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12295325702)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
許すのではなく、愛することです。
許そうと思うから。
許さないといけないと思うから、「許せない自分」を許すことができないのです。
許さなくていいのです。
自分の醜さ、愚かさを、そのまま愛するのです。
立派な自分も愚かな自分も、優れた自分も劣った自分も、ありのままに愛することです。
仏教では人間は我利我利亡者だと教えられます。
人間は、愚かで醜く、わがままでズルくて、失敗もします。
そんな自分を許すことなんてできません。
人間は、そんな神様のような存在ではないのです。
だから、せめて愛するのです。
まだ、何もできない赤子を母親が大きな愛で包むように、愚かで醜い自分を愛することが、結果として許しになると思うのです。
○不変の愛
他人を許すことも、自分を許すことも、「愛」することで包み込めると思います。
ところが、他人のことは「事情があったのかもしれないから」と許すことができると質問文にあります。
つまり、この許すは、「愛」ではなく、文字通り「許す」なのです。
「許す」という言葉には「許せない」という反対の概念が存在します。
何か事情が変われば「許せない」に変わってしまうほど、グラグラと頼りないものです。
「愛」も、言葉の上では、そうに違いないように思われると思いますが、それは同じ「愛」という言葉であっても、深さが違うのです。
たとえば、恋人を思う「愛」と母が子を思う「愛」は、同じでしょうか?
字は同じ「愛」ですが、深さがまったく異なります。
母子の愛では「愛」は不変です。どのようなことがあっても「愛」がなくなることはありません。
他人を愛するということと、母が子を愛するということは、同じ言葉であっても区別しなければなりません。
それと同じで、自分を愛するという愛は、不変の愛なのです。
話が矛盾するようですが、それほどの愛を他人に向けることができたなら、許すということは、とても容易くなるということです。
○ひとつの深い思い
「許す」は、自分以外の他人を許すこと。無罪放免にするということです。
これは事情が変わったり、新たな事実が発覚した時に、再び「許せない」に変わる可能性を秘めています。
ところが「愛」は違います。
愛とは、分かつことができず、変わることがない「ひとつの深い思い」です。
これは本来、自分以外には向けられない思いだと考えます。
なぜなら、自分以外に、この人生の初めから終わりまでを共にする存在はいるでしょうか?
何度裏切ろうが、失敗しようが離れることができないのです。
他人なら、良い所だけを見て、悪い所には目を瞑ることだってできます。
だから、許すことができるのです。
ところが、自分の場合は、そういうわけにはいきません。
良い所も悪い所も、嫌でも見続けないといけないのです。
「許す」なんて、生易しい概念では包み込むことができないのです。
だから、許すことをやめて、どんな自分でも愛するのです。
母が子を愛することができるのは、もともとひとつだったからです。
肉体は別々になりましたが、「自分」と言っても言い過ぎではない存在、それが子なのです。
そして、本当に他人を許そうと思うなら、それほどの愛を向けなければならないということなのです。
では、ごきげんよう。さようなら。
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ぜひ、お読みください。m(_ _)m
●愛の許し|自分を愛し、他人を許すのまとめ
今日は「愛の許し|自分を愛し、他人を許す」と題して、愛の許しについて考えました。
○愛の許し|自分を愛し、他人を許す
許すのではなく、愛することです。
許そうと思うから。
許さないといけないと思うから、「許せない自分」を許すことができないのです。
○不変の愛
母子の愛では「愛」は不変です。どのようなことがあっても「愛」がなくなることはありません。
他人を愛するということと、母が子を愛するということは、同じ言葉であっても区別しなければなりません。
それと同じで、自分を愛するという愛は、不変の愛なのです。
○ひとつの深い思い
愛とは、分かつことができず、変わることがない「ひとつの深い思い」です。
これは本来、自分以外には向けられない思いだと考えます。
なぜなら、自分以外に、この人生の初めから終わりまでを共にする存在はいるでしょうか?
何度裏切ろうが、失敗しようが離れることができないのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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