記憶の取り扱いと幸せに生きていくコツ
記憶の取り扱いを変えると幸せをコントロール出来ると考えています。
幸せのコツは記憶のメカニズムを見抜くことです。
今日は『【取り扱い注意】記憶の取り扱いと幸せに生きていくコツ』と題して、記憶の取り扱いについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
【取り扱い注意】記憶の取り扱いと幸せに生きていくコツ
『私』とは記憶の集合体
『私』とは記憶の集合体のようなものです。
もし、記憶がなくなってしまえば『私』が何者なのかわからなくなります。
そして、私以外のことを、このブログでは世界と言っていますが、『私』があるから『私以外』があるわけです。
つまり、『私』があるから『世界』があるのです。
『私』がなくなれば『世界』もなくなります。
記憶がなくなるということは世界もなくなるということです。
いやいやと。
『私』がいなくても世界はあるでしょう?と。
あったとしても、それは別の『私』、つまり別の人にとっての世界であり、『私』にとっての世界は『私』がなくなればなくなります。
『私と世界』でゲシュタルト(全体としてのまとまり)です。
私と世界を別々に認識しているのはゲシュタルトが崩壊している状態です。
『私』と、私が認識している『世界』はセットなのです。
私が認識している『私』も私が認識している『世界』も両方とも『私』が認識しているものです。
本当はひとつのまとまり、ゲシュタルトなのですが、人間の心は『私』を認識したときに、それ以外を『私以外』として別のものと捉えているのです。
それがゲシュタルト崩壊です。
前置きが長くなりましたが、記憶の話しです。
幸せになるコツは記憶の取り扱いによるのです。
『私』とは記憶の集合体です。
記憶も、私が記憶している『私』と、私が記憶している『世界』があって、両方『私』です。
『私』と『世界』を別々に捉えていることで不幸せが起こっているのです。
どういうことか?というと、『私』と『世界』を比較することで『私』が優越感を持ったり、劣等感を持つのです。
優越感を感じているとき幸せを感じ、劣等感を感じているとき不幸せを感じます。
もし、記憶がなくなれば『私』は消え『世界』も消えます。
もう何モノとも比べることがなくなり、幸せもなくなりますが、不幸せもなくなります。
ですが、生きている以上、記憶障害など、病気にならない限り記憶がなくなることはありません。
ですから、生きている間は、幸せを感じたり、不幸せを感じたりしながら生きていくのが人間です。
記憶の取り扱い
幸せになるコツは記憶をどう取り扱うか?です。
記憶喪失になるということではありません。
記憶の確かさは少し横に置いておいて、記憶していることが『私』にとっての現実ということになります。
幸せな記憶は幸せなのだから、そのままでいいとして。
不幸せな記憶を幸せな記憶にすることが出来たら、人はほとんどの時間を幸せな気持ちで生きていくことが出来るということになります。
コツは記憶というものをどう定義するかです。
『不幸せな記憶』って何ですか?
”不幸せ”な出来事の記憶のことですか?
それとも”記憶”を不幸せだと思っているのですか?
前者は過去のことであり、後者は現在のことです。
こういう風に整理したら答えは自ずとと出てきます。
『不幸せな記憶』とは、過去に起こった出来事を『現在の私』が不幸せだと評価していることです。
過去は変えられないといいますが、過去は変わります。
『現在の私』が過去の出来事の評価を変えることが出来れば過去は変わります。
やり方としてはこうです。
不幸せな記憶があったとき、『現在の私』は、そのことがあったおかげで良かったことを探すことが可能です。
それを見つけてやるのです。
たとえば、ハインリッヒの法則というのがあります。
「1件の重大事故の裏には29件の軽微な事故と300件の怪我に至らない事故がある」というものです。 ハインリッヒの法則は労働災害における怪我の程度を分類し、その比率を表しています。 その数字から1:29:300の法則と呼ばれることもあります。
引用:https://onl.la/eFWye1C
たとえば小さな事故が起こったとしたら、その事故のおかげで重大な1件の事故を未然に防ぐことが出来たと考えることが出来ます。
逆に重大な事故が起こったなら、その経験を活かし、これからは329件の軽微な事故を意識していこうと考えます。
考え方次第で記憶の評価を変えることが出来るのです。
記憶の取り扱いと幸せに生きていくコツ
記憶の取り扱い方を変えることが出来れば、幸せをコントロールすることが可能だと思っています。
仏教では、『一切皆苦(いっさいかいく)』と言って、人間が感じることが出来る刺激は痛みだけだというくらいです。
つまり、何も意識しなければ人間は苦しみを探して生きていくのです。
ですから、記憶の取り扱いは苦しみの取り扱いだといって差し支えありません。
苦しみと幸せはコインの表裏です。
いつも同時に存在しています。
記憶のメカニズムを見抜いて、自分でコントロールすること。
それが人生を幸せに生きていくコツです。
取り扱い注意】記憶の取り扱いと幸せに生きていくコツのまとめ
今日は『【取り扱い注意】記憶の取り扱いと幸せに生きていくコツ』と題して、記憶の取り扱いについて考えました。
『私』とは記憶の集合体
『私』とは記憶の集合体のようなものです。
もし、記憶がなくなってしまえば『私』が何者なのかわからなくなります。
記憶の取り扱い
幸せになるコツは記憶をどう取り扱うか?です。
記憶喪失になるということではありません。
記憶の確かさは少し横に置いておいて、記憶していることが『私』にとっての現実ということになります。
幸せな記憶は幸せなのだから、そのままでいいとして。
不幸せな記憶を幸せな記憶にすることが出来たら、人はほとんどの時間を幸せな気持ちで生きていくことが出来るということになります。
記憶の取り扱いと幸せに生きていくコツ
苦しみと幸せはコインの表裏です。
いつも同時に存在しています。
記憶のメカニズムを見抜いて、自分でコントロールすること。
それが人生を幸せに生きていくコツです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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