生きる意味なんて?|幸せの定義と生きる意味

そもそも生きる意味はなく、「どう生きるか?」が生まれてきた理由になります。
幸せになりたいと思うから、「幸せになるために生まれてきた」という意味が生まれるのです。
今日は「生きる意味なんて?|幸せの定義と生きる意味」と題して、生きる意味について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
●生きる意味なんて?|幸せの定義と生きる意味
○生きる意味なんて?
生きるとはと考える時に
人は幸せになるために生まれてきたという人が
いるのですが、なんか違和感があるのです。
生まれたら、幸せになることを目指すのはなんとなくわかるのですが。
幸せになるということを達成するための手段として生まれることをしたということですよね。
だったら生まれないことが1番ってなりません?
僕は生きることに意味はないと考えていますが。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14294306259)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
生まれてきた理由は「わからない」というのが正解ではないかと思うのです。
正解と言うか正直?
どう生きるか?によって解釈が変わるモノではないかと思います。
だから、「生きるとは?」これに正解はないのです。
原因と結果が逆になってしまいますが。(そもそも原因があって結果があるというのも本当?)
「幸せになりたい」と思って生きれば「幸せになるために生まれてきた」となるわけです。
人は今にないものを探すという習性があって、「今じゃないどこか」に、幸せがあると感じてしまいます。
だから、「幸せになるために生きる」ことになるのだと思うのです。
なので、そもそも「生きることに意味がない」という考えには同意します。
どう生きたいか?どんな人生にしたいか?を思った時に、便宜上「何のため」かを自分の中に設定するということです。
本当は、そんなモノはないのかもしれません。
○「本当の幸せ」に気づく
異論、反論あるのを承知で言うと、宗教は、先に「どう生きるべきか?」が教えとしてあるのだと思うのです。
その理由として「何のために生まれてきた」ということが設定されているのです。
ですが、これは人を導くための方便です。(方便=仏教で、人を真の教えに導くための仮の手段)
幸せに導くための方便なのです。
「幸せ」という概念は「不幸せ」があって成り立ちます。
幸せと不幸せはセット(ひとつのこと)なのです。
幸せと不幸せの抽象度をひとつあげた上位概念(言葉がないので)を便宜上「本当の幸せ」とすると。
「本当の幸せ」に導くための方便なのです。
2024年の冬ドラマ「おっさんずラブリターンズ」の最終回で蝶子さん(大塚寧々)が言ったセリフがあります。
「幸せの中にいると、自分が幸せだっていうことに気づきにくいでしょう?」
幸せというのは、幸せだけでは成り立たない、気づきにくいものなのです。
ですから、修行をすると苦しみから解放されるという言い方になるのです。
苦しい修行をすることで、その解放感である幸せに気づくのです。
これは、「本当の幸せ」に気づくための方便であって修行することが目的ではないのです。
○生まれてきた意味
話を元に戻すと。
人間が「なぜ生まれてきたか?」はわかりません。
そんなモノがあるのかどうかも怪しいです。
なので、この人生で、どんな生き方をしたいか?を自分で決めるのです。
才能とか、生い立ちとか、そんなモノに囚われず。逆に言えば今の自分を受け入れて、今の自分でどんな人生を生きるのか?目標を決めるのです。
そうすると、それが生まれてきた意味になるのではないでしょうか。
そして、一日一日を、そのために一日として生きるのです。
アントニオ猪木さんの引退の言葉です。
「この道を行けばどうなるものか。 危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。 踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。 迷わず行けよ、行けばわかるさ。」
では、ごきげんよう。さようなら。
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Unlimited会員なら0円で購入できます。
ぜひ、お読みください。m(_ _)m
●生きる意味なんて?|幸せの定義と生きる意味のまとめ
今日は「生きる意味なんて?|幸せの定義と生きる意味」と題して、生きる意味について考えました。
○生きる意味なんて?
どう生きたいか?どんな人生にしたいか?を思った時に、便宜上「何のため」かを自分の中に設定するということです。
本当は、そんなモノはないのかもしれません。
○「本当の幸せ」に気づく
苦しい修行をすることで、その解放感である幸せに気づくのです。
これは、「本当の幸せ」に気づくための方便であって修行することが目的ではないのです。
○生まれてきた意味
才能とか、生い立ちとか、そんなモノに囚われず。逆に言えば今の自分を受け入れて、今の自分でどんな人生を生きるのか?目標を決めるのです。
そうすると、それが生まれてきた意味になるのではないでしょうか。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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