自尊心が高い人は好かれる?|素直さが大切

自尊心は、自分の価値を認める気持ちです。しかし、それが劣等感の裏返しであるプライドや、自尊心を傷つけたくないコンプレックスになると、他人からは好感を持たれません。
自尊心が高い人が好かれるためには、自分の優れたところも劣ったところも素直に認めて表現することです。そうすることで、素直な心を持ち、周囲から信頼されるようになります。
今日は「自尊心が高い人は好かれる?|素直さが大切」と題して、自尊心が高い人について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
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感謝しています。
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くろちゃんです。
●自尊心が高い人は好かれる?|素直さが大切
○自尊心が高い人は好かれる?
そもそも自尊心の高い人というのは好かれるものなんですか?
自尊心は持っていて悪いとは言わないが、決して表には出さないというほどの覚悟をもって、それを持つのであれば、悪いとまでは言うつもりもないが。
間違った認識でしょうかね。
補足
間違った認識なのかもしれないが、自己卑下も自尊心も、その根っこについては、劣等感と優越感の根っこが同じであるように、同じものではないかなという気もします。上がれば下がる、下げれば上がるの理屈で、そういうものは、どちらも持たない自然体が良いように思います。難しいことですけど。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10290532240)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
補足にある自然体というのが「素直」な状態ということだと思います。
人間は優れたところも劣ったところもあるものです。
その両方を素直に認めて表現することができるのは、自尊心と劣等感を包みこんだ素直な状態だからです。
劣等感の裏返しである「プライド」や自尊心を傷つけたくない「コンプレックス」を抱くことは他人からも見抜かれて、あまり好感を持たれないのではないでしょうか。
プライドが高いという言葉はあまり良い意味で使われませんが、本来人間として生まれてきた以上、自分の生き方に理想とプライドを持つべきだと思います。
ところが、そのプライドが実は劣等感の裏返しだとすると、最近の表現ですと「痛いヤツ」なわけです。
また、傷つきたくなくて劣等感を持ちすぎると、謙虚を通り越して周りには卑屈に映ります。
なので、その両方を包みこんだ素直な状態、自然体でいられることがいいように思います。
○来た球を打つ
「来た球を打つ」という言葉が好きで、またそういう生き方でありたいと常に思っています。
「来た球を打つ」とは、あそこに来たら打とうとか、こういう球なら打とうと考えるのではなく、どこに来ても、すぐにその球に対応できる自分でいるということです。
つまり、何が来てもいつでも対応できるように心を手ぶらにしておくことです。
こうあって欲しいと、心が何か特定のことを期待していると、思ったことと違う出来事が起こったときに対応が遅れたり、できなかったりします。
どんな球が来てもいいように、すべてを想定することはできません。
だとすると、逆に何も待たない、想定しない。来た球はすべて打つと決めることです。
そのためには、いつも素直で手ぶらな自分でいなければいけません。
何かに囚われていては、到底対応することはできないのです。
○素直さが大切
プライドが高い人は、あまり良い印象を持たれません。
それが優越感や劣等感の表れだからです。
誰しも優越感、劣等感はあるものですが、それを受け入れて「素直な心」で統合すると、とても爽やかな「誇り」として他人の目に映ります。
人は、その人の資質や能力に惹かれるのではないと思います。
人間は誰でもミスをするし、間違うこともあります。
この人なら自分を裏切らないという信用に安心と信頼を寄せるのです。
裏切らないというのは、考え方が一貫していて、いつでも筋が通っているということです。
悪いことをすれば叱るし、良いことをすれば褒めてくれる。それが過不足なく行われるという信頼です。
そういう生き方をしていれば、好かれるというよりも尊敬されるのです。
何より、自分が自分のことを尊敬できるのです。
では、ごきげんよう。さようなら。
電子書籍を出版しています。
Unlimited会員なら0円で購入できます。
ぜひ、お読みください。m(_ _)m
●自尊心が高い人は好かれる?|素直さが大切のまとめ
今日は「自尊心が高い人は好かれる?|素直さが大切」と題して、自尊心が高い人について考えました。
○自尊心が高い人は好かれる?
プライドが高いという言葉はあまり良い意味で使われませんが、本来人間として生まれてきた以上、自分の生き方に理想とプライドを持つべきだと思います。
ところが、そのプライドが実は劣等感の裏返しだとすると、最近の表現ですと「痛いヤツ」なわけです。
○来た球を打つ
「来た球を打つ」とは、あそこに来たら打とうとか、こういう球なら打とうと考えるのではなく、どこに来ても、すぐにその球に対応できる自分でいるということです。
つまり、何が来てもいつでも対応できるように心を手ぶらにしておくことです。
○素直さが大切
人は、その人の資質や能力に惹かれるのではないと思います。
人間は誰でもミスをするし、間違うこともあります。
この人なら自分を裏切らないという信用に安心と信頼を寄せるのです。
裏切らないというのは、考え方が一貫していて、いつでも筋が通っているということです。
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