自分を生きるのに他人の同意は必要ない|人間は元々ひとり
『自分を生きる』ことに他人の同意は必要ないですよね?
ですが、『自分』であることを認めて欲しいと思ってしまうものです。
ですが、認めてもらっても認めてもらえないなくても『自分』は自分でしかない。
そう気づくことが『自分を生きる』ということなのもかもしれません。
今日は『自分を生きるのに他人の同意は必要ない|人間は元々ひとり』と題して、自分を生きるについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
自分を生きるのに他人の同意は必要ない|人間は元々ひとり
『ありのままの自分』で生きていく
僕は、トランスジェンダーで母にカミングアウトはしたものの、診断書が欲しいなど、LGBTの話になると聞く耳を持ちません。寝たふりしたり、無視したり、怒鳴ったりされます。
僕も、勇気を振り絞って言っているのにそのような態度で接されたらストレスです。普段はとても優しいのですがその話になると豹変します。
そして、今日学校の先生から前に母と電話で話した内容を聞きました。僕と話す時はなぜ否定するのかも答えてくれないので初めて聞きました。否定する理由は今まで女として育てて来たから追いつかないらしく、名前も女だからつけた名前じゃないとの事でした。名前はすごく女の名前です。本当なのかって思いました。女として育ててきたってという話を聞いてショックでした。女として育て来たという言葉が頭から離れません。確かに母も混乱して当然です。でも、僕は悪いとこした訳じゃないのに怒鳴られたり、真剣な話をしているのに無視されたりされるのが嫌です。母とちゃんと話す機会が欲しいんですが、母が受け付けてくれない限り、話す機会なんてありません。母はよく僕に、「逃げたらダメ」などと話すのですが、1番逃げているのは母ということに最近気づきました。頭が混乱てるかもしれないけど、ちゃんと話を最後まで聞いて欲しいです。
話す機会をどうやって作ればいいですか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13268759438)
みなさん、ごきげんよう。
今日もよろしくお願いします。
トランスジェンダー問題。
それを受け入れられない母親。それと向き合っている子(文章から生まれ持った性が男か女か不明)という図式ですが、実は本質は違うと思います。
現代の社会問題として、そのことも見逃せませんが、その根っこにあるのは、他人に聞いてもらい、認めてもらうことで安心したいという人間の弱さだと思うのです。
もちろん、そいう気持ちも人間ですからあって当たり前で、”悪い”ということではありません。
だとすると、受け入れられない親としての気持ちも”悪い”わけではないと思うのです。
何が言いたいかというと、他人に認められないからといって、生き方を曲げられるのか?ということです。
性に関することは、生き方の根っこのことなので、他人が認めようが認めなかろうが、変えられるものではありません。
表面的に繕うことは出来たとしても本質を変えることは出来ません。
親に対して言うとしたら、自分が許さなかったら、子の性自認が生まれ持った性自認に戻るのか?ということです。
そんなことありえないのです。
自分が許そうが許すまいが変えられるものではないです。
それでも、親としては受け入れられないことだってあるわけです。
子(質問者さま)は自分が向き合っているのだから、親にも向き合って欲しいと思っています。そいう気持ちも理解出来るのですが、受け入れられない親の気持ちも理解してあげないといけないのではないか?と思うのです。
なぜなら、表面的な『許し』をもらっても仕方がないからです。
仕方なしに許すことはあっても、心から許せるほど簡単なことではないと思います。
だったら、認めてもらえない。受け入れてもらえなくても『ありのままの自分』で生きていくしかないはずです。
だから、聞いてくれないことを受け入れて、親が聞けるときが来るのを待つことも必要だと思います。
いつか受け入れられるときが来るかもしれないし、もしかすると一生こないのかもしれませんが、たとえ親子でも人の心はコントロール出来ませんので、『待つ』ということも必要だと思います。
自分の生き方を曲げない
さて、トランスジェンダー問題に目が行きますが、本質は違います。
他人に許しを得ることで、自分の生き方を正当化したいという人間のエゴの問題です。
本当なら、他人が許そうが許すまいが、自分の生き方をすればいいはずです。
ですが、人間はそれほど強くありません。
自分を信じる力が弱いのを他人の力で補おうとしてしまいます。
人間は弱いですから、それも仕方がないのです。
今回の質問の場合、許そうが許すまいが自分の生き方をするといって、親に何も言わないのもおかしいわけです。
ですが、言ったら受け入れてもらえないことも大方の予想がつく。
なので、受け入れてもらえないことを受け入れることが必要なんです。
そりゃ、そうだと。
自分が親の立場なら、簡単に認められない、許せないだろうと。親の気持ちを理解することです。
だからといって、自分の生き方も曲げないのです。
自分の人生です。
親でも最後まで責任は取れません。
まして、他人など、言わずもがなです。
人間は元々ひとり
人間の心は弱いです。
他人に同意を求めることで、自分を正当化して安心しようとします。
もちろん、同じ考えや意見でいてくれれば嬉しいし、安心します。
ですが、そうでないといけないと思い込んではいけないと思います。
そうでなかったら、自分が間違っているとか、特殊な存在だということではないのです。
人間は、みんな違います。
心は目に見えませんから、大きく違いがなければ、ひとつの意見に見えたり、それが社会の流れになったりすることがあります。
その時にひとりにならないことです。
実際は一人ひとり違います。
そういう意味では人間は元々ひとりなのです。
だから孤独になって欲しくないのです。
孤独になって苦しんだり、ありたい姿で生きられないことは、生きる意味を見失ってしまうくらいの大きな問題です。
だから、ひとりにならないこと。
人間は元々ひとりなんだということを見抜いて欲しいのです。
自分を生きるのに他人の同意は必要ないのです。
では、ごきげんよう。さようなら。
自分を生きるのに他人の同意は必要ない|人間は元々ひとりのまとめ
今日は『自分を生きるのに他人の同意は必要ない|人間は元々ひとり』と題して、自分を生きるについて考えました。
『ありのままの自分』で生きていく
仕方なしに許すことはあっても、心から許せるほど簡単なことではないと思います。
だったら、認めてもらえない。受け入れてもらえなくても『ありのままの自分』で生きていくしかないはずです。
自分の生き方を曲げない
他人が許そうが許すまいが、自分の生き方をすればいいはずです。
ですが、人間はそれほど強くありません。
自分を信じる力が弱いのを他人の力で補おうとしてしまいます。
人間は弱いですから、それも仕方がないのです。
人間は元々ひとり
心は目に見えませんから、大きく違いがなければ、ひとつの意見に見えたり、それが社会の流れになったりすることがあります。
その時にひとりにならないことです。
実際は一人ひとり違います。
そういう意味では人間は元々ひとりなのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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