自分キャラとおさらば
それぞれ自分のキャラは、こんなキャラだと思っていて、それを壊すことが出来ないと思っている人も多いと思います。
ですが、自分らしく生きている人を見ると、こんな風に生きたいと思うこともあると思います。
ですが、そんなときに邪魔をするのが自分キャラです。
自分も他人もそう思っている自分キャラを裏切ることが出来ない。
これがかなり自分の生き方に制限をかけています。
今日『自分キャラとおさらば』と題して、自分キャラについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
自分キャラとおさらば
自分に素直に正直に生きている
先日、石原莞爾のことを書いたときに、東條英機の副官を務めた西浦進(陸士34期)が言った石原評を書きました。
『石原さんはとにかく何でもかんでも反抗するし、投書ばかりしているし、何といっても無礼な下戸だった。軍人のくせに酒を飲まずに周りを冷たい眼で見ている、だから嫌われるのも当然だ』。
その記事で一緒に紹介した竹田恒泰さんの『東京裁判と石原莞爾』という動画で石原莞爾のこと知って、正直にまるで僕みたいだなと思ったのです。
そして西浦進の石原評など、まさに自分のことを言われているような気がしました。
何でもかんでも反抗してるし、投書ばかりしているというのは、今でいうと、仲間うちのLINEのグループに指摘ばかりしているというようなことでしょう。
そして、問題があればすぐに噛み付くので、傍から見れば反抗ばかりしているように映るでしょうし、結構無礼なことをサラッと言うんですよね。
本当に僕みたいだなと思うし、また『自分に素直に正直に生きている』そんな自分が好きなんです。
もちろん、ある程度嫌われているというか、鬱陶しいやつだなと思われているのも自覚していますが、自分に正直に生きれば、ある程度嫌われたり鬱陶しいと思われてるくらいで然るべきだと思っています。
むしろ好かれたり人気者になっているようじゃいかんくらいに思っています。(笑)
人間は変わる
今ではこんな僕ですが、こんな風になったのはここ7〜8年より、最近のことだと思います。
それくらいから、どんどんその色が強くなっていった感じです。
特にセミナーをするようになってから、どんどん濃く強くなっていきました。
師匠がそんな感じだったので、はじめはその猿真似みたいなところから始まったのですが、それがいつの間にか自分になっていました。
2018年に脳出血をしてからは、完全に今の自分になった気がします。
そして、そんな自分でいたいし、そんな自分で人生を全うしたいと思っているので、その色は益々濃く強くなっていくだろうと思っています。
では、その前はどんな人間だったかというと、あまり思い出せませんが、とても自信のない人間だったということは言えると思います。
子どもの頃から野球をしてもレギュラーになれませんし、勉強も好きな科目以外はパッとしませんので勉強が出来たわけではありません。
やれば出来るという内に秘めたものは持っていましたが、それを表に出すことが出来ない性格でした。
ブログによく書きますが、弟とケンカをすると負けていましたので、負け癖がついた四半世紀プラス10年という感じです。
やはり、そんな自分を変えたのは師匠との出会いです。
あんな生き方がしたいと思いました。
自分を信じる生き方です。
今でも迷いが出たときに師匠ならどうするだろう。なんて言うだろうと思います。
別々の道を歩くようになっても、側にいてもらっている感じがします。
やり方は違っても、あり方は変わらない。
根っこは同じだと思っています。
自分キャラとおさらば
僕がこの『ともいき』で伝えたいことはたくさんあるし、たとえ話も色々とします。
ですが、そのどれもが言葉では言い表せないひとつのことを伝えたいのだと思っています。
その中の表現の方法として、人は変われるということがあります。
正確を期するならば、人間は変化し続けている(諸行無常)のだから、何を持って自分とするかは自由であると思っています。
たとえば、私は今から鈴木太郎(仮)になると思えばなれると思っています。
見た目は、くろちゃんのままですが、心は鈴木太郎です。
ただし、鈴木太郎が思っている鈴木太郎ではなく、自分が思っている鈴木太郎です。
じゃ、なれないではないかと言われるかもしれませんが、普段だってそうでしょう。
鈴木太郎を決めているのは『私』ですから、いくら『私』が思っている鈴木太郎は、本当の鈴木ではないと鈴木太郎が言ったとしても、それはわかりませんから。
だから、なれるんですね。鈴木太郎に。
その理屈と同じで、師匠のような生き方をしたいと思って、そう決めるとなれるんですよ。
師匠が何を考え、どんな意図を持って行動しているかはわからなくても、自分が解釈した師匠。つまり、自分がこんな生き方がしたいと思った生き方は出来るわけです。
そういう意味で人は変わることが出来ると思っています。
今では、くろちゃんのように生きたいと言ってくれる人もたまにですが表れます。
『なれますよ』と申し上げます。
そう決めるだけです。
実行することは、最初だけですが、少し勇気がいりますけどね。
よく言われるのは、『自分のキャラ』ですね。
『変わりたいけど、自分はそういうキャラじゃないので』。
誰もがわかっていることだと思いますが、そのキャラは自分が思い込んでいる自分のキャラです。
もちろん、私たちが他人のことを、あの人はこういう人だと思っているみたいに、『私』のことを『こういう人だ』と思っている他人の思う『私』像があることも間違いありません。
それも人の数だけあります。
人の数だけあるということは、そもそも確固とした自分キャラなんて存在しないということです。
私が思っている自分キャラと他人が私を思っている自分キャラはそもそも一致しない。
だとしたら、たとえ急に変わったとしても『あれ!?そんなキャラだっけ?』くらいの反応しかありません。
むしろキャラ変に一番抵抗があるのは自分自身です。
だから最初は少し勇気がいります。
少しというのは、時間でいうと一瞬です。
その一瞬だけ辛抱すれば新しい自分が手に入れられるとしたらどうでしょうか?
あんな風に生きたいと思った生き方をするために必要なのはほんの一瞬を乗り越える勇気です。
自分キャラとおさらばのまとめ
今日『自分キャラとおさらば』と題して、自分キャラについて考えました。
自分キャラとおさらば
キャラ変に一番抵抗があるのは自分自身です。
だから最初は少し勇気がいります。
少しというのは、時間でいうと一瞬です。
その一瞬だけ辛抱すれば新しい自分が手に入れられるとしたらどうでしょうか?
あんな風に生きたいと思った生き方をするために必要なのはほんの一瞬を乗り越える勇気です。
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