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汚れた心で世界を見ると苦しみを生む

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『汚れた心で世界を見ると苦しみを生む』

これって実はものすごく当たり前のことだと思います。

なのに、その当たり前のことを修行とか、科学の力とか、知識とか、力技で、多少汚れていても幸せな結果を得る方法がないかと人類は願ってきたのではないかと思います。

人間は煩悩の塊です。煩悩を消すことは出来ません。

煩悩とどう付き合うかを腹を括って向き合わないといけないのです。

今日は『汚れた心で世界を見ると苦しみを生む』と題して、汚れた心で世界を見ると苦しみを生むについて考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

汚れた心で世界を見ると苦しみを生む

ブッダの真理の言葉

私たちは外の世界を五感を通じて認識しています。

認識するとき、心がそれを解釈しますが、その心が汚れていると、それが苦しみになります。

ブッダ真理の言葉では、

ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。

ブッダの真理の言葉(岩波文庫)中村元

と記されています。

では、汚れた心とはどんな心でしょうか?

何をしなければ、あるいは何を思わなければ汚れていないといえるのでしょうか?

逆に綺麗な心とは?どんな心でしょうか?

真理の言葉の奥行きにあるのは、そんな問いではないでしょうか。

お釈迦様が本当に考えて欲しかったのは、それぞれが、その問いに自分なりの答えを出すことだったと思います。

その問いに自分なりの答えを出し、正解ならば苦しみから解放され、解放されないとしたら、さらなる探求をしないさいということだったのではないでしょうか。

自分に気づきながら言動する

先ほどの問いに絶対的な正解というのは存在しません。

絶対的な汚れた心というものはありませんし、綺麗な心もありません。

同じ絵を観ても、美しいと評価する人もいれば、凡百だと評価する人もいるように、絶対的に汚れた心も綺麗な心もないのです。

その心を評価出来るのは自分自身だけです。

その答えは、今自分が苦しみを感じているのか?あるいは平安を感じているのか?

今の自分の内側を見つめてみればわかります。

自分が話し、行ったときに、いつも自分の内側とつながり、自分が苦しいか?それとも平安か?を確認しながら話したり行ったりする訓練をします。

苦しければ、自分の言動が汚れた心から発せられているということです。

平安であれば綺麗な心から発せられているということです。

訓練を始めた当初は、言った後に、行った後に汚れた心であったことに気づいて遅かったということが多いですが、だんだんと気づくのが速くなり、気づきながらも思わず汚れた心の言動が出てしまうこともありますが、そのうちに気づいて止めることが出来るようになり、そうすると綺麗な心からの言動が出来るようになります。

綺麗な心から言動が出来るようになると、平安な心で過ごせるようになります。

善行とは悪行をしないこと

人生はたくさんの瞬間の積み重ねですから、いつの瞬間も綺麗な心でいることは出来ないかもしれません。

ですが、人間はそもそもが煩悩の塊ですから、汚れた心でいることが普通なんです。

その汚れた心だらけの中でひとつでもふたつでも、汚れた心に気づいて止めることが出来て、その時だけでも美しい心からの言動を行うことが出来たら、それだけで素晴らしいことなのです。

善い行いとは、善いこと、正しいことをすることではなく、悪い行いをしないことなのです。

綺麗な心じゃない自分を責める必要はありません。

ただ、今自分が汚れた心から言動を行おうとしてしまっていることに気づき止めることが出来たら、それだけで素晴らしいのです。

汚れた心で世界を見ると苦しみを生むのまとめ

今日は『汚れた心で世界を見ると苦しみを生む』と題して、汚れた心で世界を見ると苦しみを生むについてついて考えました。

ブッダの真理の言葉 
汚れた心とはどんな心でしょうか?
何をしなければ、あるいは何を思わなければ汚れていないといえるのでしょうか?
逆に綺麗な心とは?どんな心でしょうか?

自分に気づきながら言動する 
自分が話し、行ったときに、いつも自分の内側とつながり、自分が苦しいか?それとも平安か?を確認しながら話したり行ったりする訓練をします。
苦しければ、自分の言動が汚れた心から発せられているということです。
平安であれば綺麗な心から発せられているということです。

善行とは悪行をしないこと 
人間はそもそもが煩悩の塊ですから、汚れた心でいることが普通なんです。
その汚れた心だらけの中でひとつでもふたつでも、汚れた心に気づいて止めることが出来て、その時だけでも美しい心からの言動を行うことが出来たら、それだけで素晴らしいことなのです。
善い行いとは、善いこと、正しいことをすることではなく、悪い行いをしないことなのです。

今日も読んでいただきありがとうございます。

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