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愛を悟る|真の愛とは|愛憎一如

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すべてのことには段階があり、深さがあります。

愛もそうです。

愛という言葉はひとつですが、目に見えない段階、深さがあります。

真の愛について、考えを書きます。

今日は『愛を悟る|真の愛とは|愛憎一如と題して、愛という言葉の奥行きにあるものを書いていきます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

愛を悟る

悟るとはわかること。すべてを見通せるようになることです。

愛を悟るとは、愛というものがわかること。

しかし悟ることで愛というものがわかるということもありますので、悟りの愛とも言えます。

愛とは悟りであり、悟るということは愛というものの本質がわかることだと思うのです。

渇愛

愛というものは、満たされるということがありません。

満たされたと思ったら”もっともっと”と、さらに今まで以上の愛を求めてしまいます。

好きな人が出来たら、最初は思うだけで満たされていたものが、それでは足りなくなって、告白したくなります。

告白して付き合えるようになったら最高に幸せで満たされた気持ちになりますが、それだけではもう満足できなくなり、毎日会いたくなります。

今度はそれでは足らず一緒に暮らしたくなり、そうなるとそれだけでは足らなくなり、もっともっと愛して欲しいと思うようになります。

海水を飲んだら逆に喉が渇くように、愛を手に入れたらさらに今まで以上の愛が欲しくなります。

これを仏教では”渇愛”といいます。

愛とは渇愛なのです。

惜しみなく愛は奪う

「愛は自己への獲得である。愛は惜しみなく奪うものだ。愛せられるものは奪われてはいるが不思議なことには何物も奪われてはいない。しかし愛するものは必ず奪っている」
--有島武郎

愛は惜しみなく与えることですが、有島武郎の言葉にもあるように、同時に奪うものでもあります。

愛する人には時間もお金も惜しみなく与えたい。なんでもしてあげたいと思います。

しかし、そのときには同時に相手にも時間やお金を使わせているわけです。

与えてもいますが、奪ってもいます。

愛するということは、愛されたいと思うことでもあります。

渇愛し、もっともっとと相手の愛を要求します。

愛の実態として、与えるものであると同時に奪うものであるといえるのです。

愛憎一如

可愛さ余って憎さ百倍といいます。

愛するがゆえに許せないということがあります。

どうでもいい人のことを憎むことはありません。

自分と関係が深い人だからこそ許せないのです。

愛している人、信頼していた人から裏切られたり、期待通りにならないと憎しみが湧きます。

今まで好きだった分、逆に憎しみが湧くのです。

関係が浅い人には最初から何も期待しませんので、期待を裏切られることもありません。

愛と憎しみは紙の裏表のような関係です。

”愛憎一如”愛と憎しみはひとつなのです。

愛とは実に一方的なものです。

自分の思いしかわかりませんから、相手の愛がそれを下回ると憎しみに変わる愛憎一如なものです。

愛したいと同時に、愛されたいという思いがあって、相手の愛を計ってしまいます。

期待を下回ると逆に苦しみになってしまうのです。

真の愛とは

愛というものの性質をいくつか例をあげてきました。

愛とは不完全なものだなと思います。

渇愛しかり、愛憎一如しかりです。

人間が純粋に愛だけという状態でいることは大変難しいことです。

また恋愛、家族愛、仲間への愛、母国愛、人類愛・・。

これらは特定の人に向けられた愛です。

愛するということは区別でもあります。

好きな人とそれ以外、愛する家族とそれ以外、愛する仲間とそれ以外、愛する日本人とそれ以外。

それ以外が憎しみの対象になることもあります。

そこに差があるのです。

悟りとは差をとることだという人がいます。

悟りとは差がないこと。区別がないことです。

区別をなくすためには愛憎一如であることを悟ることです。

マザーテレサの言葉(マザーテレサの言葉ではないらしいですが)に、『愛の反対は憎しみではなく無関心』という言葉があります。



憎しみは愛の裏返しです。

関心があるということ。その根っこにあるのは愛なのだということです。

そして渇愛です。

愛されたいという気持ちをなくし、愛するだけで満足することです。

その拠り所になるのは、相手の愛を疑ってしまったときに愛憎一如を思い出すことです。

相手もそうなのだと思い直し、自分がただ愛すればいいのだと気づくのです。

愛だけでいっぱいにすること。

これが真の愛だと思うのです。

愛を悟る|真の愛とは|愛憎一如のまとめ

今日は『愛を悟る|真の愛とは|愛憎一如と題して、愛という言葉の奥行きにあるものを書きました。

渇愛
満たされたと思ったら”もっともっと”と、さらに今まで以上の愛を求めてしまう。

惜しみなく愛は奪う
愛の実態として、与えるものであると同時に奪うものであるといえるのです。

愛憎一如
愛したいと同時に、愛されたいという思いがあって、相手の愛を計ってしまいます。
期待を下回ると逆に苦しみになってしまうのです。

真の愛とは
愛だけでいっぱいにすること。これが真の愛だと思うのです。

今日も読んでいただきありがとうございます。

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