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死の恐怖は『死』そのものより人を悩ます。死を非日常にしてしまった現代人ー養老孟司

人は死を怖れます。
死の恐怖は『死』そのものよりも人の心を悩ませます。

古からそうだったのでしょうか?

『死の壁』の著者養老孟司ようろうたけし先生のお話からなぜそうなったのかを解説していきます。

今日は『死の恐怖は『死』そのものより人を悩ます。死を非日常にしてしまった現代人ー養老孟司』と題して
人の悩みのベースにある『死』、人はなぜ死を恐れるようになったのか?について書いていきます。



世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

『死の壁』の著者 養老孟司

引用:https://toyokeizai.net/articles/-/200561

1937(昭和12)年、鎌倉生れ。解剖学者。東京大学医学部卒。東京大学名誉教授。心の問題や社会現象を、脳科学や解剖学などの知識を交えながら解説し、多くの読者を得た。1989(平成元)年『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。新潮新書『バカの壁』は大ヒットし2003年のベストセラー第1位、また新語・流行語大賞、毎日出版文化賞特別賞を受賞した。大の虫好きとして知られ、昆虫採集・標本作成を続けている。『唯脳論』『身体の文学史』『手入れという思想』『遺言。』『半分生きて、半分死んでいる』など著書多数。

引用:https://www.shinchosha.co.jp/writer/3194/

死の恐怖について語る動画 世界一受けたい授業「死の壁」

死の恐怖は現代人の慣習の変化よって起こっている

養老孟司先生曰く、
現代は死が特別なものになったと言います。

非日常になってしまったのです。

終戦直後くらいまでは人は家で産まれ、家で死んでいたのです。
死や生は日常の中にありました。
しかし、現代ではその両方が病院で行われます。

以前は自宅で亡くなり、自宅でお葬式を行う流れのなかで、遺族が自宅の風呂を使って遺体を清めることが自然に出来ていました。
最近では、病院で亡くなる人が9割を超えると言われるようになり、病院からそのまま葬儀場の安置室へ搬送されるケースも少なくなく、葬儀社の施設で湯灌を行うことが増えているようです。

引用:https://ososhiki.bellco.co.jp/knowledge/%E6%B8%85%E6%8B%AD%E3%81%A8%E3%81%AF/

医療が発達したことで寿命が延びただけでなく
こういった慣習が変わりました。

ですから死が特別なものになってしまいました。

死というものを日常から遠ざけてしまったことで
死を実感する機会が減りました。
人間はわからないものに恐怖を感じます。

非日常になったことで未知のもの。
わからないものになってしまいました。

死体を汚いもの扱いして触ることを嫌います。

死をみ嫌うものにしてしまったのです。

死の恐怖は死に対する考え方の変化にある

養老孟司先生曰く、
死と生は対照的に捉えられていますが
それは間違いで死は生の一部であるといいます。

人間は誰でも必ず死にます。100%です。

ですから、
生きていることの最終型が死なのです。

死は生の一部として存在しているのです。

言い方を変えると自然の一部。

生きてそして死ぬというのは自然の営みです。

死は自然の営みの一部分なのです。

その死を特別な行為にして日常から遠ざけてしまったのです。

死ぬことが悪いことのように扱ってしまい。

死は恐ろしいものになってしまったのです。

死の恐怖は現代人の文化にある

人間はなぜ死を嫌い恐れるのか?

そもそも死は生の一部でした。

自然の一部だったのです。

それが慣習が変わったことで
死はマイナスイメージを持つようになりました。

もともと日本は八百万やおよろずの神々がいる国です。

それは森羅万象すべてのものに神が宿るという考えです。

災害や災いにさえ神がいるのです。

それは言い換えるとすべてひとつ。
同じであるという考えです。

それが明治になり戦後を経て西洋文明を受け入れました。

そんな中、慣習とともに八百万の精神から二元論的な精神へと変化していきました。

二つに分けて物事を判断するようになったのです。

すなわち神と悪魔、善と悪、綺麗なものと汚いもの。

そして生と死です。

生は綺麗で死は汚いこと。忌み嫌うものへと変わっていきました。

土葬から火葬になり。

汲み取り式のトイレから水洗トイレへと変わっていったのです。(動画参照)

どちらの慣習がいいとか悪いという話ではありません。

ただ、そうして死を日常から遠ざけていったという話です。

そして二つに分けて判断するという考えは比較を生んで苦しみを生みます。

それが怖れになったのです。

昔の日本人が大切にしたもの。

それはつながりです。

村八分むらはちぶという今ではあまり聞き慣れない言葉があります。

村八分とは?

村の共同体には、みんなで助け合うべき行為が10個ありました。

「村八分にする」とは、これら10個の行為の内、「葬式」と「火事」以外の8つを断絶すること

引用:https://jijinews-kihon.com/mura-hachibu/
【共同体で助け合う10の行為】

①出産 ②成人 ③結婚 ④葬式 ⑤法事 ⑥病気 ⑦火事 ⑧水害 ⑨旅立ち ⑩増改築

昔の人は村の掟を破った人を村八分といっていわゆる絶交しました。
それでも葬式と火事だけは助けたのです。

それほどつながりが深かったのです。

変な言い方ですが『死』は守られていたのです。

ですから昔の人たちは死以上につながりが切れることを怖れたのではないかと思います。

本当は死は怖いものでも恐ろしいものでもない。

我々が生きている人生の一部なのです。

死の恐怖は『死』そのものより人を悩ます。死を非日常にしてしまった現代人ー養老孟司のまとめ

今日は死の恐怖は『死』そのものより人を悩ます。死を非日常にしてしまった現代人ー養老孟司と題して、
 なぜ現代人は死を恐れるのか?について考えました。

それは医療の発達や現代の慣習の変化によって
死を特別だと思うようになったことです。

人間は未知のもの、わからないものを怖れます。

昔は日常の一部だった『死』を非日常にしたことが死を恐怖にしてしまった原因だと考えます。

それが根本原因になって比較を生み、苦しみも生んでいるのです。

今日も読んでいただきありがとうございます。





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