なんとなく生きていることへの不安|孔子の2つめの人生に気づく
人生はなんとなく生きると不安になってきます。
でも、がんばるとしんどい。
その外側にもう一本道があるのです。
それが2つめの人生です。
今日は『なんとなく生きていることへの不安|孔子の2つめの人生に気づく』と題して、なんとなく生きているについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
なんとなく生きていることへの不安|孔子の2つめの人生に気づく
なんとなく生きていることへの不安|孔子の2つめの人生に気づく
毎日がなんとなく終わるのが怖いです。
今が1番若くて楽しい時そんな今をなんとなく目標もなく1日が終わっている自分が惨めというかなんというか。
私は自分に自信がない上、他の人と比べてしまう癖があります。キラキラした目で夢を追いかけていたり自分の好きな事を全うしていたり周りの目を気にせず自分は自分なんだと堂々と生き生きしている人を見ると、凄いなと言う反面自分は何をしてるんだろうと思います。
私は幼い頃から夢がありましたが、成長するにつれこれは向いてないんだと思い諦めました。それ以降絶対にこれになるんだと言うものも何も見つけられません。
ダラダラ何となく過ごしていて後悔するのではと思ってしまいます。でも何をしたらいいのかも、どうやってこの先道を切り開いていくべきかもわかりません。
親に話すとそんなん考えすぎとも言われます。
なんかありきたりでくさいけど、1度しかない人生を思いっきり楽しみたいです。
なにかアドバイスいただきたいです。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11283568651)
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
『なんとなく生きている』。そんな風に自覚をもって生きている人は少ないと思います。
誰でも、自分なりに一生懸命に生きていると思っているからです。
ただ、他人と比べることができないので、どれくらい一生懸命に生きているかを測る術がありません。
ですから、質問者さまのように、『なんとなく生きている』と自分で認められたのはすごいことだと思います。
気づかなかったり、薄々気づいていても認めることができなかったりして、なんとなく毎日を過ごして一生を終える人も多いのではないでしょうか?
気づいたことがはじめの一歩だし、気づいたことで新しい世界がはじまります。
孔子は、
『人間には2つの人生があり・・。』
『そもそも1つしかないと気づいたとき、2つめが始まる』
と説きました。
気づかなければ、なんとなく生きることしかできませんが、気づいたのですから、なんとなく生きることも、なんとなくではなく一瞬々に意味を持たせた時間を積み重ねることもできます。
自分で選べる。そう考えるだけでこれまでとは違う景色が見えます。
それが孔子がいう2つめの人生です。
私たちはないものを求めている
一生懸命になれることがあるというのは、それだけで幸せです。
『忙しくてかなわん』。大いに結構なのです。
なんとなく毎日が過ぎていくと、悪いことをしているわけではないのにそれだけで不安になってしまいます。
予定がないと自分が世の中から必要とされていないような気がするのです。
行く場所がある。やるべきことがある。
本当は幸せなことのはずですが、学校に行ったり、会社に行くことを幸せだと感じる人は少ないでしょう?
ないと不安ですが、あると途端に義務みたいになって億劫になるのです。
忙しいと休みが欲しくなり、休みばかりだと予定が欲しくなります。
私たちは常にないものを求めているということを忘れてはいけないと思います。
仕事がないと仕事が欲しくなり、休みがないと休みが欲しくなるのです。
道の大きさが自分の大きさ
何が言いたいかというと、孔子がいう2つめの人生とは何か?ということです。
仕事がある人生がひとつめ。仕事がない人生が2つめではありません。
あるいは、ない人生がひとつめで、ある人生が2つめでもありません。
正解に縛られている人生がひとつめ、そして縛られた人生から解放された人生が2つめです。
正解に縛られている状態は視野が狭いのです。
ある点に集中してしまって、その周りが見えていません。
しかし、それから解放されると、その点の周りにある全体がボヤッと見える感じです。
ひとつめと2つめはまったく別々の道ではなくて、同じ道の一部分と全体のような関係です。
狭い道だと思っていたら、実は広い道だった。そんな気づきなのです。
しかし、それですべてかどうかはわかりません。
広い道だと思った、その外側にもっと広い道があるかもしれないのです。
あるいは、今は見えなくても、時間が経つと見えてくる道もあります。
道の大きさが自分の大きさでもあるのです。
では、ごきげんよう。さようなら。
電子書籍を出版しています。
Unlimited会員なら0円で購入できます。
ぜひ、お読みください。m(_ _)m
なんとなく生きていることへの不安|孔子の2つめの人生に気づくのまとめ
今日は『なんとなく生きていることへの不安|孔子の2つめの人生に気づく』と題して、なんとなく生きているについて考えました。
なんとなく生きていることへの不安|孔子の2つめの人生に気づく
気づかなければ、なんとなく生きることしかできませんが、気づいたのですから、なんとなく生きることも、なんとな
くではなく一瞬々に意味を持たせた時間を積み重ねることもできます。
自分で選べる。そう考えるだけでこれまでとは違う景色が見えます。
それが孔子がいう2つめの人生です。
私たちはないものを求めている
ないと不安ですが、あると途端に義務みたいになって億劫になるのです。
忙しいと休みが欲しくなり、休みばかりだと予定が欲しくなります。
私たちは常にないものを求めているということを忘れてはいけないと思います。
道の大きさが自分の大きさ
狭い道だと思っていたら、実は広い道だった。そんな気づきなのです。
しかし、それですべてかどうかはわかりません。
広い道だと思った、その外側にもっと広い道があるかもしれないのです。
あるいは、今は見えなくても、時間が経つと見えてくる道もあります。
道の大きさが自分の大きさでもあるのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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