世の中のせいにしない生き方|世の中は余の中にある

自分の考え方や生き方を変えることで、世の中のせいにしない生き方ができます。
世の中のせいにしないために事前にできることをしなかった自分にも責任があるのです。
今日は『世の中のせいにしない生き方|世の中は余の中にある』と題して、世の中は余の中について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
世の中のせいにしない生き方|世の中は余の中にある
世の中のせいにしない生き方|世の中は余の中にある
すべてを世の中のせいにしたくなってしまう。
そうしないためには?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12281347487)
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
世の中のせいにしないためには、考え方、生き方を変えることです。
『自分』があると自分以外のせいにしたくなります。
ですが、世の中は余(自分)の中です。
どういうことか?というと、世とは『自分との関係性』で成り立っているということです。
世の代表が『他人』ですが、自分以外の他人は、自分にとっての『あの人』『この人』です。
他人とは、自分にとっての『良い人』とか『悪い人』なのであって、別の人にとってはまた違った存在です。
あなた(他人)を決めているのは『私』。つまり『あなたは私』なわけです。
それを広くみたら、他人とは世であり『世の中は余の中』となります。
世を決めているのも余(自分)ということです。
世の中とは余(自分)の中にあります。
どんなことも世(他人)の中のせいではなく余のせいなのです。
問題を起こさせない人
職場のロッカーから、財布が盗まれた事件について話を聞きました。
その職場では、ロッカーに鍵があるものの、かけていない人も多かったそうです。
職場の上司は、『鍵をかけてなくて盗難にあった場合は鍵をかけていない人の責任だと思ってください』と言われたそうです。
その話を聞いて、僕も同意見ですと言いました。
盗んだ人がいるということは『盗ませた人』がいるということです。
盗んだ人はもちろん悪いですが、盗める状況を作った人には作った人の責任があります。
盗難というのは、盗む人だけでは成り立ちません。盗まれる人がいて成り立ちます。盗まれる人がいなければ盗む人を作らなかったのです。
盗れない人になるように努めていなければ責任がゼロとは言えないのです。
人間は『魔が差す』ことがあります。
普段はそんなことをする人間ではなくても、色々な事情があって、たまたまそういうタイミングに目の前にお金が置いてあったら、つい『魔が差す』ことだってあるのです。
『盗む人間が悪い』。それはその通りです。ですが、それを錦の御旗に自分は何もしないのでは世の中を良くすることはできません。
盗られるような状況を作らないこと。そういうことの積み重ねが世の中のせいにしない生き方です。
考え方、生き方を変える
盗難ほどではなくても、自分の周りに『サボる』とか『ズルいことをする』とか犯罪とまでは言えないくらいの悪いことをする人がいる場合も同じです。
目の前にそういう人がいるということは、そういうことを許している『自分』なのだと心得てください。
また、そういうことをする人から『こいつの前でサボっても何も言わないやつ』だと思われていると自覚をしてください。
つまり、同類だと思われているのです。
自分さえ真面目にやっていればいいと思っているから、何か問題が起こったときに他人(世の中)のせいにするのです。
問題が起こった時に、それを『未然に防ぐ人』でなかった自分にも責任があったと考える人なら、そもそも問題が起こる前の行動が違うし、問題が起こった時も他人(世の中)のせいにはしないのです。
『事前に予見して対策できなかった自分にも責任がある。次はないように事前にできることをしよう』。そう考えます。
考え方、生き方を変えるとは、そういうことを言っているのです。
では、ごきげんよう。さようなら。
電子書籍を出版しています。
Unlimited会員なら0円で購入できます。
ぜひ、お読みください。m(_ _)m
世の中のせいにしない生き方|世の中は余の中にあるのまとめ
今日は『世の中のせいにしない生き方|世の中は余の中にある』と題して、世の中は余の中について考えました。
世の中のせいにしない生き方|世の中は余の中にある
『自分』があると自分以外のせいにしたくなります。
ですが、世の中は余(自分)の中です。
どういうことか?というと、世とは『自分との関係性』で成り立っているということです。
問題を起こさせない人
盗難というのは、盗む人だけでは成り立ちません。盗まれる人がいて成り立ちます。盗まれる人がいなければ盗む人を作らなかったのです。
盗れない人になるように努めていなければ責任がゼロとは言えないのです。
考え方、生き方を変える
問題が起こった時に、それを『未然に防ぐ人』でなかった自分にも責任があったと考える人なら、そもそも問題が起こる前の行動が違うし、問題が起こった時も他人(世の中)のせいにはしないのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
ともいき個人セッションでは、あなたのお話を聞くことで、あなたが見えていないもうひとつの現実をともに探します。目から鱗が落ちる体験になります。
「迷わない」「信じる」ことを超本気でやってます。
ともいき信聞塾はオンラインで開催中!!
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません