他人を変えたければ、自分を変えろ!|他人は自分の心の映し鏡
自分が変われば、他人も変わるのでしょうか?
他人は自分の心の映し鏡であり、世の中は自分の心の映し鏡です。
自分の見方、考え方が変わるので他人の見え方が変わるのです。
今日は『他人を変えたければ、自分を変えろ!|他人は自分の心の映し鏡』と題して、他人は自分の心の映し鏡について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
他人を変えたければ、自分を変えろ!|他人は自分の心の映し鏡
他人を変えたければ、自分を変えろ!|他人は自分の心の映し鏡
自分が変われば、人は変わる。
と、言いますが、
自分が変わっても、変わらないヤツはいると思いますが、どうでしょう?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14282502554)
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
自分が変わっても他人は変わりません。
たとえ変わったとしても、自分が変わっていなければ、そうは見えません。
『自分が変わると、他人も変わる』のではなく、自分の見方や考え方が変わるから、他人が変わって見えるのです。
自分の考え方や価値観が変わるから、他人に対する評価が変わるということです。
裏を返せば、他人が変わって見えないということは、自分は変わっていないということなのです。
表面的な行動や態度を変えたとしても、自分の中身が変わっていなければ、他人は変わっては見えません。
『他人は自分の心の映し鏡』とは、そういうことなのです。
『世の中は余の中』だと、いつも申し上げているのも同じことです。
世とは、『自分以外』のすべてのことです。
世は余(自分)の映し鏡なのです。
余が変われば世も変わって見えます。
世を変えようと思うなら余を変えなければならないのです。
『世直しは余直し』なのです。
今の自分を知るには世を見ること
世は余(自分)を映しています。
世というと、世界という大きなモノをイメージすると思いますが、小さい単位でいえば、自分が暮らしている部屋も世です。
『部屋は自分を映す鏡』です。
毎日部屋を掃除する人でも、病気や怪我をしている時は掃除をする気になりません。
心の調子が悪い時でも、やはり掃除をする気にはならないでしょう。
部屋は今の自分を映しているのです。
部屋が散らかっているのは心が散らかっているからだといいます。
ですが、いつも散らかっていると、改めてそれが調子が悪いとは思わないでしょう。
部屋が散らかっているのが当たり前の人は、心や身体の調子が悪いのが当たり前(普通)なのです。
今の自分を知るには世を見ること。そして素直にそれを受け入れることです。
それが、良いとか悪いというのは、その後の話なのです。
『相手を変えたい』は自分の都合
『世が乱れている』と思った時、それは本当に世が乱れているのでしょうか?
『乱れている』というのは人間がジャッジすることです。
乱れていると感じているのは自分です。自分の価値観では乱れているのです。
それは、自分の都合なのかもしれないのです。
置き換えると、『相手を変えたい』は自分の都合なのです。
『自分が変わったのに相手が変わらない』というのも自分と同じになることが良いことだという自分の都合です。
相手が変わったら、自分の生き方や考え方が変わったのだと気づく。相手は自分の心の映し鏡ですから、ただそれだけのことなのです。
それが自分にとって都合が良いか悪いか?
『良いから変われ』という論理は実はおかしいのです。
では、ごきげんよう。さようなら。
電子書籍を出版しています。
Unlimited会員なら0円で購入できます。
ぜひ、お読みください。m(_ _)m
他人を変えたければ、自分を変えろ!|他人は自分の心の映し鏡のまとめ
今日は『他人を変えたければ、自分を変えろ!|他人は自分の心の映し鏡』と題して、他人は自分の心の映し鏡について考えました。
他人を変えたければ、自分を変えろ!|他人は自分の心の映し鏡
『自分が変わると、他人も変わる』のではなく、自分の見方や考え方が変わるから、他人が変わって見えるのです。
自分の考え方や価値観が変わるから、他人に対する評価が変わるということです。
裏を返せば、他人が変わって見えないということは、自分は変わっていないということなのです。
今の自分を知るには世を見ること
部屋が散らかっているのが当たり前の人は、心や身体の調子が悪いのが当たり前(普通)なのです。
今の自分を知るには世を見ること。そして素直にそれを受け入れることです。
『相手を変えたい』は自分の都合
『世が乱れている』と思った時、それは本当に世が乱れているのでしょうか?
『乱れている』というのは人間がジャッジすることです。
乱れていると感じているのは自分です。自分の価値観では乱れているのです。
それは、自分の都合なのかもしれないのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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