人生は全て自分に責任がある|起こる出来事から自分を知る
人生で起こることは全て自分に責任があるといいます。
全てと言われると抵抗があると思います。
たとえば他人に騙されたのまで自分の責任かよ?と思うかもしれませんが、自分が騙しやすそうな顔をしていたり、生き方をしていたら、騙す方も悪いですが、そんな生き方している自分にも責任があると思いませんか?
課題を分離して考えたら、認めざるを得ないところがあると思うのです。
今日は『人生は全て自分に責任がある|起こる出来事から自分を知る』と題して、人生は全て自分に責任があるについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
人生は全て自分に責任がある|起こる出来事から自分を知る
人生は全て自分に責任がある
「自分の今の人生は、全て自分に責任がある」
とはいいますが、果たして本当にそうなのでしょうか。
(中略)
先日も妹に突然罵詈雑言を浴びせられ、
そんなんだからお前の人生はうまくいかねぇんだよ!と怒鳴られました。
以上のような話でも、今の人生は私のせいなのでしょうか。
といって他人のせいにして安心できるわけでもないですが。
すべて自分の責任だという言葉を見聞きすると、すごく責められているような深い後悔の念に襲われます。
もっともっと反省しろということでしょうか。
普段も人からぶつかられたり嫌味を言われるし、見知らぬおばあさんにお金を(少額ですが)騙し取られたりしたこともありました。
宗教にも声をかけられるし…
なんなのでしょうか。私はそんなに欠陥人間なんですか?
生きるの辛すぎる
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10265587535)
みなさん、ごきげんよう。
今日もよろしくお願いします。
「自分の今の人生は、全て自分に責任がある」と言います。
これは、やったこともやらなかったこともすべて自分に返ってくるという意味です。
『私は何もしていないのに!』と思うかもしれませんが、何もしていなかったから、何もしなかった結果が返ってきているのです。
確かに、生まれ落ちた環境や境遇は自分のせいではありません。
選んで生まれてきたわけではありませんので、それを自分のせいにされたのでは受け入れられないと思います。
ですが、その境遇に負けてしまったとしたら、それは自分のせいかもしれません。
ソフトバンクの創業者、孫正義さんが大変な貧乏な家に生まれたというのは有名な話ですが、そんな境遇から、孫さんのような大企業家になれないことを負けたといっているわけではありません。
生まれ落ちたところがゼロだとしたら、それを1にも2にも出来なかったとしたら、それはやはり自分の責任だと言わざるを得ないのではないか?ということです。
『そんなんだからお前の人生はうまくいかねぇんだよ!』という妹さんの言葉は、そういうことを言っているのかな?と感じました。
起こる出来事から自分を知る
起こる出来事で自分を知ることが出来ます。
人に何かを頼まれるのは、頼んだらやってくれると思われているからです。
人に騙されるのは騙せそうに見えているからです。
起こる出来事から自分を知り、それが自分の望む自分でなければ変える努力をする。
それをまったくやらなかったとしたら、やらなかったという結果が自分に返ってきます。
そういう自分を知った上で、そういう自分で生きていくと決めることも素敵な生き方だと思います。
だから、自分の思う通りにならないことを『人のせい』にしてはいけません。
他人に騙されたり、不当な扱いを受けるのは、自分がそういう人間だからです。
騙せそうだったり、不当な扱いを受けても何も言わないと思われるような生き方をしている結果だと思ってください。
たとえば、細かいことをグチグチという経理担当の人がいたとしたら、領収書を出すときに『経費で落としてくれるかな?大丈夫かな?』と細心の注意を払って領収書を出しませんか?
でも、めくら判で、ろくにチェックもしない経理担当だったら、少しくらいおかしなやつでも混ぜとけば一緒に落としてくれるだろうと思いますよね。
確かにおかしな領収書を混ぜた方が悪いですが、それでもOKだと思わせた経理担当にも責任がありますよね。
ここで、アドラー心理学の『課題の分離』です。
どちらが悪いかではないのです。
それぞれに課題があるんです。
おかしな領収書を混ぜた方には、そういうズルさという課題があり、おかしな領収書を出しても通るだろうと思わせた経理担当には、そう思わせた課題があるんです。
それぞれに、それぞれの課題があって、どちらが悪いという話ではありません。
それぞれに責任があるということです。
人生で起こる出来事は、すべて自分の責任というのは、課題を分離して自分の課題はすべて自分の課題として認めようということです。
自分を映す鏡を見る
『私はそんなに欠陥人間なんですか?』という問いですが。
人間には見えない部分というのがあります。
それは欠陥ではありません。
自分が他人からどう見えているか?というのは目には見えないのです。
ですから、起こる出来事、他人が自分をどう扱っているか?を見て、他人から自分はどう見えているか?を知るということが必要です。
そのことをよほど意識していたとしても、完全にそれが見通せる人というのはいないと思います。
人間は、自分に都合よく見ようとするからです。
ですから、人間は多かれ少なかれ、そういう意味では欠陥があります。
ですが、見ようとすること、わかろうとすることは必要です。
もし、それをわかった上で怠っているとしたら、それは欠陥なのかもわからないですね。
起こる出来事は、自分を映す鏡です。
自分の人生ですから、しっかりとその鏡を見ようとしてください。
では、ごきげんよう。さようなら。
人生は全て自分に責任がある|起こる出来事から自分を知るのまとめ
今日は『人生は全て自分に責任がある|起こる出来事から自分を知る』と題して、人生は全て自分に責任があるについて考えました。
人生は全て自分に責任がある
「自分の今の人生は、全て自分に責任がある」と言います。
これは、やったこともやらなかったこともすべて自分に返ってくるという意味です。
『私は何もしていないのに!』と思うかもしれませんが、何もしていなかったから、何もしなかった結果が返ってきているのです。
起こる出来事から自分を知る
起こる出来事から自分を知り、それが自分の望む自分でなければ変える努力をする。
それをまったくやらなかったとしたら、やらなかったという結果が自分に返ってきます。
そういう自分を知った上で、そういう自分で生きていくと決めることも素敵な生き方だと思います。
だから、自分の思う通りにならないことを『人のせい』にしてはいけません。
自分を映す鏡を見る
自分が他人からどう見えているか?というのは目には見えないのです。
ですから、起こる出来事、他人が自分をどう扱っているか?を見て、他人から自分はどう見えているか?を知るということが必要です。
そのことをよほど意識していたとしても、完全にそれが見通せる人というのはいないと思います。
人間は、自分に都合よく見ようとするからです。
ですから、人間は多かれ少なかれ、そういう意味では欠陥があります。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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