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流れに乗る|誰も見ていなくてもお天道様は見ている

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昨日に引き続き、ともいき信聞塾での気づきを書きます。

使い古された言葉かもしれませんが『流れに乗る』と言います。

ただ、そうは言ってもどうすればいいのか?

どんな心持ちでいればいいのか?

その辺りを書いていきます。

今日は『流れに乗る|誰も見ていなくてもお天道様は見ている』と題して、流れに乗るについて考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

流れに乗る|誰も見ていなくてもお天道様は見ている

流れに乗る

今日も先日の信聞塾での気づきをお話します。

『流れに乗る』とは、どういうことかというと、流れに逆らわないということ。

流れに逆らわないというのは、要するにありのままでいることです。

オープンな心でいるということです。

隠そうとしたり、隠すために抵抗するから、他人は何かあるのではないか?とそれを暴こうとします。

暴かれたくないから、また抵抗する。

抵抗するから、それ以上の力で暴こうとする。

この繰り返しです。

だからといって何でも言うことを聞くとか、従うというわけではありません。

後ろめたい心ではなく、何を見せても大丈夫な心でいて、その上で自分の主張をするということです。

人だけではありません。

肝心なのは、この世界に対してそうあることが一番大切なことです。

人は世界の中の一部に過ぎません。

人がいるところだけオープンにしても、人が見ていないところでは人に見せられないようなことをしていては意味がないのです。

問題はこの世界すべてです。

実はこれが難しいのです。

誰でも家と家の外では服装が違うように、人が見ているところと見ていないところでは区別をすることは出来ますが、人が見ていても見ていなくても、いつも同じでいるというのは実に難しいと思います。

人間性が優れている人のことを『裏表がない人』と表現することがあります。

本当の意味で裏表がない人になることが出来れば完全に『流れに乗る』ことが出来るのです。

誰も見ていなくてもお天道様は見ている

日本だけではなくて、多くの国で太陽信仰というのがあります。

日本の太陽神といえば天照大神さま(あまてらすおおみかみ)です。

最近では死語なのかもしれませんが『誰も見ていなくてもお天道様(太陽)は見ている』と昔から言います。

誰も見ていなくても神様は見てくれているという意味です。

誰も見ていなくてもお天道様は見ているんだから、人が見ていなくても正しいことをしなさいという道徳教育です。

もうおわかりだと思いますが、お天道様とは自分のことです。

自分の心は知っているということです。

誰も見ていない。けれど自分は全部知っているわけです。

行動だけではなく、どんな思いで行動したかまで、すべて自分は知っています。

どんな思いで行動しなかったかも自分が一番知っているのです。

理解されなくてもいいと。

すべては自分が知っているのだから、自分に恥ずかしくない行いをするというのがありのままの自分でいることです。

ありのままの自分でいることで流れに乗ることが出来るのです。

水のように生きる

水は流れに逆らうことはありません。

しかし、川には石や流木があったり、また川自体も曲がりくねっていたり、流れに逆らわずにありのままでいたとしてもスムーズに流れることばかりではありません。

私たち人間も同じで、いくら気持ちではありのままの自分でいようとしても抗うことが出来ないということもあると思います。

また人間の心はそんなに強いものではなく、恥ずかしさや自分を守りたい一心で心にもないことをしてしまうこともあります。

『そんな自分を責めてはいけない』と思いたいところですが責めてしまうのもまた人間です。

ですが、責めてはいけないもまた流れに逆らっているのではないでしょうか。

『流れに乗る』というのは、そんな障害だらけの人生で障害物にぶつかりながらそれでも逆らわずに生きていくことです。

ぶつかったら痛いのは当たり前です。

痛くていいのです。

怪我をした自分を責めないことです。

でも責めてしまいますよね。(笑)

でも、そんな自分を責めなくていいんだと気づけばいいと思います。

『迷いの中に悟りがある』のですから。

老子は『上善如水(じょうぜんみずのごとし』と言いました。

水は、柔らかくしなやかでありながら、一方では硬いものを穿つ(うがつ)破壊力を持ち合わせています。

しかも、万物に恵みを与え、争うということなく低いところに留まろうとします。

ただ、これは人と争わないということ以上に自分自身と争わないということだと思います。

それが『水のように生きる』ではないでしょうか。

流れに乗る|誰も見ていなくてもお天道様は見ているのまとめ

今日は『流れに乗る|誰も見ていなくてもお天道様は見ている』と題して、流れに乗るについて考えました。

流れに乗る 
人間性が優れている人のことを『裏表がない人』と表現することがあります。
本当の意味で裏表がない人になることが出来れば完全に『流れに乗る』ことが出来るのです。

誰も見ていなくてもお天道様は見ている 
誰も見ていない。けれど自分は全部知っているわけです。
行動だけではなく、どんな思いで行動したかまで、すべて自分は知っています。
どんな思いで行動しなかったかも自分が一番知っているのです。
理解されなくてもいいと。
すべては自分が知っているのだから、自分に恥ずかしくない行いをするというのがありのままの自分でいることです。

水のように生きる 
人と争わないということ以上に自分自身と争わないということだと思います。
それが水のように生きるではないでしょうか。

今日も読んでいただきありがとうございます。

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