ふたつめの自分|自分に素直に正直に

ともいきのお約束である『自分に素直に正直に』というのがあります。
その時の自分とは何か?
自分に素直になるとはどういうことか?
今日は『ふたつめの自分|自分に素直に正直に』と題して、自分と『自分に素直に正直に』について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
ふたつめの自分|自分に素直に正直に
自分とは何か?
『自分に素直に正直に』というお約束に対して、自分に素直になるとはどういうことか?を考えるなら、まずは自分とは何か?を紐解いておかなければなりません。
自分という言葉はひとつですが、自分はふたつあります。
少しわかりにくい話ですが解説していきます。
禅問答の中に両手をパンと叩いて、『どっちが鳴った?』という問答があります。
右手でしょうか?それとも左手でしょうか?
いやいや。
片手で音は鳴りませんから、両手が鳴っているが正解だと言う人もいるでしょう。
どれも正解です。
自分とは何か?という問いに置き換えるとわかりやすくなります。
『どっちが鳴った?』を『自分は何か?』という問いに置き換えるのです。
右手が自分で左手が相手だと置き換えます。
これは逆でも構いません。
最初に自分はふたつあると言いました。
右手が自分である。
ひとつめの自分です。
右手だけでも左手だけでも音は鳴りませんから、『両手が鳴った』。
両手があってひとつです。
つまり両手が自分である。
これがふたつめの自分です。
これは「他人は自分の映し鏡』という言葉でも表されます。
相手の言動行動を解釈しているのは自分ですし、相手をこういう人だと決定づけているのは自分ですから、相手は自分なんです。
つまり、ふたつめの自分とは『自分と相手』で1セットということです。
自分に素直になるとはどういうことか?
他人は自分の映し鏡
自分に素直になるとは、どういうことでしょうか?
色々な答え方があります。
相手は自分を映し出す鏡ですから、相手を見て自分を知り受け入れるということがあります。
たとえば部下が仕事中にもかかわらず、あなたがいる前で私語が多いとします。
通常は、部下が悪いと判断して注意をします。
しかし、これが映し鏡だとすれば、あなたの前では私語をしても許される、あるいは注意をされないと思っているという部下の心の表れです。
なぜ部下がそう思うかというと、あなたが普段から私語が多いと部下から思われているとか、あなたは注意が出来ない人だと思われているなどが考えられます。
もし、自分も私語が多いという自覚があるなら、まずは自分の私語を辞めるとか、注意するにしても、それなりの注意の仕方があるでしょう。
自分が普段から注意をするのを怠っているのなら、ここは毅然とした態度で注意をするというのも素直ですね。
相手を見て自分を知り、それを受け入れるというのも素直な態度のひとつです。
自分で自分を傷つける
他には、頭で考えてしまって、自分の心に素直に行動出来ないということがあります。
これは誰にでもある傾向ですが、実は一番やってはいけないことです。
理由は自分で自分を傷つけてしまうからです。
自分の思った通りに行動出来なかったときに人のせいにします。
あいつのせいで!あいつが悪い!
しかし、本当はあいつは関係ありません。
自分が自分に嘘をついて素直に行動しなかったのです。
それを他人のせいにしているだけです。
そうやって他人に傷つけられたと思っていますが、実は自分で自分を傷つけているのです。
他人に傷つけられるよりも自分で自分を傷つける方が傷は深いです。
自分で自分にナイフを刺したまま下手すると何十年も生きることになります。
人間には『一貫性とコミットメント』という心理作用があります。
『一貫性とコミットメント』とは、一度心に決めたことや実行したことに矛盾のない行動を今後も行いやすいという人間の性質のことです。
これまでの自分を否定したくないために間違っていたと気づいていても同じことを繰り返してしまうのです。
だから自分で自分にナイフを刺したまま生きなければいけなくなってしまうのです。
自分に素直に正直に生きなければいけないと約束するのはそのためです。
これだけ固く心に誓っていても素直になれないときもあります。
それくらい素直に生きるというのはなかなか難しいものなのです。
自分に素直になるということは、自分を消すこと
自分に素直になるということは、自分を消すことでもあります。
自分に素直になるということは、自分の思ったことを主張することだと考える人がいると思います。
最初の『自分とは何か?』でも書きましたが、消さないといけない自分とはひとつめの自分、右手の自分です。
この自分は、自分が信じているものです。
自分というのは信じたものの塊のようなものです。
自我とかエゴと言われるものです。
この自我があると物事をありのままに見ることが出来ません。
つまり素直になることが出来ないのです。
さっき紹介した『一貫性とコミットメント』に縛られるのも自我です。
ですから自分を消さないといけないのです。
自我を消し、ふたつめの自分。
相手を見て、自分を知り受け入れ、素直に行動していく。
これが『自分に素直に正直に』生きるということなのです。
ふたつめの自分|自分に素直に正直にのまとめ
今日は『ふたつめの自分|自分に素直に正直に』と題して、自分と『自分に素直に正直に』について考えました。
自分とは何か?
禅問答の中に両手をパンと叩いて、『どっちが鳴った?』という問答があります。
右手でしょうか?それとも左手でしょうか?
いやいや。
片手で音は鳴りませんから、両手が鳴っているが正解だと言う人もいるでしょう。
どれも正解です。
他人は自分の映し鏡
相手を見て自分を知り、それを受け入れるというのも素直な態度のひとつです。
自分で自分を傷つける
これまでの自分を否定したくないために間違っていたと気づいていても同じことを繰り返してしまうのです。
だから自分で自分にナイフを刺したまま生きなければいけなくなってしまうのです。
自分に素直に正直に生きなければいけないと約束するのはそのためです。
自分に素直になるということは、自分を消すこと
自我を消し、ふたつめの自分。
相手を見て、自分を知り受け入れ、素直に行動していく。
これが『自分に素直に正直に』生きるということなのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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