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自分はどこにあるのか?|上から見ているもうひとりの自分

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自分とは何者か?、自分探し、人生の中で自分というモノについて考えたことが一度はあるでしょう。

今日もその答えのひとつを提示してみたいと考えています。

今日は『自分はどこにあるのか?|上から見ているもうひとりの自分』と題して、自分はどこにあるのか?について考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

自分はどこにあるのか?|上から見ているもうひとりの自分

自分はどこにあるのか?

自分を定義するときに、自分だけでは定義出来ません。

自分を取り巻く世界が必要です。

車のナビを考えてください。

画面に地図だけあっても役に立ちません。

自車の現在地を示す矢印がなければナビになりませんね。

逆に自車を示す矢印だけがあっても地図がなければ同じく役に立ちません。

地図と矢印は両方あることではじめて意味を持ちます。

世界と自分の関係と同じです。

それぞれの人がそうやって自分と世界との関係の中で生きていて、あなたは私にとって世界ですが、あなたにとって私は世界です。

面白いですね。

世界を決めることで自分が決まるし、自分を決めることで世界が決まる。

どこからどこまでが自分でどこからが世界か?

実に曖昧です。

上から見ているもうひとりの自分

車の運転をするときに、上から自分を見ているもうひとりの自分がいることに気づいていますか?

フロントガラスとバックミラーで視えているところだけで運転しているという人は恐らくひとりもいなくて、今視えている情報と数秒前の過去の情報から周囲を想像して運転していると思います。

もし、そうでないという人がいたら、恐らく運転が下手な人ですよね?(笑)

その時の感覚は、あたかも上空から自車と周囲を視ている。

そんな感じではありませんか?

時間差はありますが、その状態は自分と世界を切り替えているような感じです。

イメージ出来ますか?

自分が世界を見ている状態から、世界から自分を見ているに切り替えているんです。

ただし両方とも意識です。

意識の中に自分と世界があって、どちらからどちらを見ているか?というだけの話なんです。

ですから意識とは何か?といえば自分と世界を合わせた”すべて”ということになります。

ワンネスという概念がありますが、不思議なことでも何でもなくて誰でも持っている世界です。

通常は自分のことを自分と思い込んでいるので、神秘的な話に聞こえるかもしれませんが、空間を定義するという脳の機能の話です。

脳が壊れた研究者の話

養老先生のお話で、脳の空間を定義する領域が壊れた脳科学の研究者のお話があります。

その研究者は自分が専門家ですから、自分の様子を観察したそうです。

発作が起きたときに、まずどういう感覚が起こったかというと、自分が水になっていったそうです。

自分というのが流れていったそうです。

水は形がありません。

ブルース・リーの『水のように生きろ』という言葉があります。

水はコップに入ればコップの形になり、ボトルに入れるとボトルの形になります。

つまり自分という枠がないと自分は世界に流れていくんです。

その研究者は最後どうなったか?

自分と世界が一体化したそうです。

自分がなくなり世界がなくなったんですね。

それを見ている我々からすればその研究者も世界ですから、世界は変わらずそこにありますけどね。

自分の存在を忘れろ

『太陽は動かない』という藤原竜也主演のWOWOWプライムオリジナルドラマがあります。

産業スパイが活躍するドラマですが、先輩スパイの藤原竜也が、後輩の竹内涼真に『今マンションの前には誰がいた?』と質問をします。

答えられない竹内涼真に

自分の存在を忘れろ。街と同化するように周囲に目をやれ、そうすれば目にしたものを何もかも記憶することが出来る。

というセリフがあります。

実に興味深いセリフです。

自分という意識が壁のようになって自分と世界を分けているのです。

しかし、それは壁ではなくて自分という塊のようなものかもしれません。

自分という枠があるということは、その中は自分でいっぱいで塊です。

自分以外が入り込む隙間がありません。

だから自分を忘れると記憶するスペースが出来る。

そういう解釈が出来ると思います。

追伸

自分があるから世界があります。

前出しの脳科学者のように、肉体は生きていて意識だけが死ぬということもありますが、自分を失くすというのはある意味『死』です。

自分があることが悪いのではなく、自分とは実に曖昧で当てにならない存在であるということです。

それは言い換えると自分の正しさや信じているものが当てにならないということでもあります。

自信をなくしたり、裏切られたり、絶望することが生きているとありますが、それらの感覚も自分があるゆえです。

それらマイナスの感情も実に当てにならないものだということです。

自分はどこにあるのか?|上から見ているもうひとりの自分のまとめ

今日は『自分はどこにあるのか?|上から見ているもうひとりの自分』と題して、自分はどこにあるのか?について考えました。

自分はどこにあるのか? 
それぞれの人がそうやって自分と世界との関係の中で生きていて、あなたは私にとって世界ですが、あなたにとって私は世界です。
世界を決めることで自分が決まるし、自分を決めることで世界が決まる。どこからどこまでが自分でどこからが世界か?
実に曖昧です。

上から見ているもうひとりの自分 
自分が世界を見ている状態から、世界から自分を見ているに切り替えているんです。
ただし両方とも意識です。
意識の中に自分と世界があって、どちらからどちらを見ているか?というだけの話なんです。
ですから意識とは何か?といえば自分と世界を合わせた”すべて”ということになります。

脳が壊れた研究者の話 
発作が起きたときに、まずどういう感覚が起こったかというと、自分が水になっていったそうです。
自分というのが流れていったそうです。
水は形がありません。
ブルース・リーの『水のように生きろ』という言葉があります。
水はコップに入ればコップの形になり、ボトルに入れるとボトルの形になります。
つまり自分という枠がないと自分は世界に流れていくんです。

自分の存在を忘れろ 
自分という意識が壁のようになって自分と世界を分けているのです。
しかし、それは壁ではなくて自分という塊のようなものかもしれません。
自分という枠があるということは、その中は自分でいっぱいで塊です。
自分以外が入り込む隙間がありません。
だから自分を忘れると記憶するスペースが出来る。

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