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死について考える|死んだらどうなるの?

死について考えてみました。

テーマは違うようですが、毎日同じことを書いている感覚です。

結局は、この世界の理について書いているので、突き詰めると同じことになるというわけです。

今日は『死について考える|死んだらどうなるの?』と題して、死について考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

死について考える|死んだらどうなるの?

死んだらどうなるの?

人間が死ぬということはどういうことか?

死ぬまでわからない難問です。

しかし、想像することは出来ます。

死というのは私と世界が一体になることだと思っています。

『私』には2種類の『私』があって、ひとつは肉体、そしてもうひとつが心とか意識とか魂と呼ばれる『私』です。

後者は、死んでからも、そして生きている今も世界と一体です。

ですが、肉体があることで、私は錯覚というか、誤解というか、思い込みをしています。

肉体こそが私だという思い込みをしているのです。

つまり、それは裏を返すと私があり、世界がある。私と世界は別々だという思い込みであり錯覚なのです。



死ぬことによって、その肉体という枠がなくなり、無限に広がる私は世界と同じ大きさに、そして一体になるのです。

その時に、恐らく私が世界そのものだったんだと気づくのではないかと考えています。

ただ、世界と一体になった瞬間に『私』は消えるので、気づくといってもその瞬間さえもないのかもしれないとは思っています。

私が死ぬということ

そのことを『胡蝶の夢』というたとえ話で莊子は伝えているのではないでしょうか。

「むかし、荘子は夢に胡蝶となり、自由に楽しく飛び回っていたが、目覚めると紛れもなく荘子である。しかし、荘子が夢に胡蝶となったのだろうか、胡蝶が夢に荘子となったのだろうか……」

こんな禅問答もあります。

両手を叩いて、『どっちが鳴った?!』と問うのです。

右手が鳴ったのか?左手が鳴ったの?区別がつきません。

道を歩いていたら車のクラクションが鳴りました。

自分がその音を聞いているのか?

それとも音が自分なのか?

本当はどっちなのでしょうか?

これらのたとえば話はすべて私と世界の関係性をたとえたものです。

私たちは、肉体が生きている間、肉体を私だと思い込み、私”が”○○していると信じています。

その思い込みが私と世界を分けているのですが、肉体が死んだときに、肉体という縛りがなくなり、私が世界であり、その一部を私は『私』だと思いこんでいたんだと気づくのです。

それが私が死ぬということだと考えています。

ですから、よく永遠の生命という言い方をしますが、肉体は死んでも心とか意識と呼ばれる『私』は世界として永遠に在るからです。

自分の死は意味がない

なぜ、今日この話なのかというと、不謹慎だと言われるので、あまり口にはしませんが、僕は死ぬことが怖くないのです。

むしろ、今想像しているこれらのことが明らかになるかもしれないと思うと楽しみでしかありません。

痛いとか苦しい思いをするのは嫌です。

もし、それが死とセットなら、それは怖いですね。

でも死そのものは怖くありません。

『バカの壁』で有名な養老孟司先生は、自分の死は論理的に意味がないと言っています。

どういうことかというと、自分が死んでも自分は困らないし、悲しくないのです。

悲しいのは自分の親や子ども、兄弟、友人、恋人、そういう親しい人たちです。

死というのは自分の死ではなく、その人たちにとっての死です。

死んだら自分は考えることもないし、死んだこと自体わかるのかどうかも怪しいわけです。

今日寝るとき、当然明日も目が覚めると思って寝ています。

もし寝ている間に脳出血でも起こして、そのまま死んだら、恐らく自分は何もわからないままです。

だから死というのは自分のものではないのです。

自分の周りの人たちのものです。

昨日も書きましたが、終活というのは自分の死を問題にしているようで、自分がこれから死ぬまでどう生きるかを問題にしているのです。

だから自分の死は考えても意味がないのです。

死について考える|死んだらどうなるの?のまとめ

今日は『死について考える|死んだらどうなるの?』と題して、死について考えました。

死んだらどうなるの? 
死ぬことによって、肉体という縛りが外れます。
その時に、恐らく私が世界そのものだったんだと気づくのではないかと考えています。

私が死ぬということ 
私たちは、肉体が生きている間、肉体を私だと思い込み、私”が”○○していると信じています
その思い込みが私と世界を分けているのですが、肉体が死んだときに、肉体という縛りがなくなり、私が世界であり、その一部を私は『私』だと思いこんでいたんだと気づくのです。
それが私が死ぬということだと考えています。

自分の死は意味がない 
もし寝ている間に脳出血でも起こして、そのまま死んだら、恐らく自分は何もわからないままです。
だから死というのは自分のものではないのです。自分の周りの人たちのものです。

今日も読んでいただきありがとうございます。

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