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分析では知ることが出来ない全体性|自然と共に生きる

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深く知るということは分析することだと思いがちですが、分析は一部を深く知ることは出来ますが、全体を知ることは出来ません。

全体を知りたいと思ったら分析するのではなく一体になるという気持ちが必要です。

自然に生きるということを知りたいなら、自然について研究するのではなく自然と共に生きることなのです。

今日は『分析では知ることが出来ない全体性|自然と共に生きる』と題して、分析について考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

分析では知ることが出来ない全体性|自然と共に生きる

分析とは?

何かを知ろうとすることを分析するといいます。

分析するということは、ひとつの塊をまずは半分にしてみること。それでもまだ分析できなかったら、さらに半分にしてみる。それでもまだ分析できなかったら・・・。それを繰り返していく行為です。

分析して一面を知ることは出来ますが全体を知ることは出来ません。

彼を知りたいと思って、彼を半分にしたら・・・。大変なことになります。

彼女を知りたいと思って、彼女を半分にしたら美しくありませんね。

分析では全体を知ることは出来ません。

一体になることで全体がわかるのです。

何かを学ぼうとすることも同じです。

言葉で説明されて理解出来ることは一部でしかありません。

自分がやってみることで、どういうことか理解することが出来ます。

一体になるとはそういう意味です。

自分を忘れて世界と一体になる

分析をするのは知性です。

人間は知性があることで地球上で発展してきました。

それは素晴らしいことです。

同時に人間はこの世界のすべてを理解したいとも思っています。

分析して一部を知り、それを発展拡大して来ましたが、全体がわかったわけではないからです。

分析すれば分かると思ったのかもしれませんが分析では全体はわかりませんからね。

知性は、分析して一面を知るには優れた道具ですが、知性で全体を知ることは出来ません。

先程も述べましたが全体を知るためには一体になるしかないからです。

そのためには、むしろ知性は邪魔になってしまいます。

昨日のブログで『太陽は動かない』というドラマのセリフを紹介しました。

自分の存在を忘れろ。街と同化するように周囲に目をやれ、そうすれば目にしたものを何もかも記憶することが出来る。

というセリフです。

知性とは言い換えれば自分です。

自分と世界を分けていると、自分が世界を分析することは出来ても自分が世界になることは出来ません。

自分を忘れて世界と一体になることで世界の全体を知ることが出来るのです。

エゴ(自我)を抑える

もう少し身近なことで例えると。

会社全体を把握したいと思ったら、自分の業務だけをしていても全体を把握することは出来ません。

自分の業務という枠を外して全体を見渡すことで全体が見えてきます。

社長は自分の業務という枠がないから会社全体が見渡せます。

会社と自分が一体なのです。

社長と一口に言っても雇われ社長とオーナー社長では違います。

雇われ社長は業務として社長をしているからです。

枠というのは思考が創っているに過ぎないものです。

在るようで無いものです。

いつも言っていることですが、生きている以上、自分を失くすことは不可能です。

ですが、エゴ(自我)を抑えることで自分と世界の壁がぼんやりとしてきます。

なんとなくでもいいから世界と一体になることが大切なことではないでしょうか。

追伸

世界と一体になるということは自然の一部になることです。

自然に逆らわずに生きるということ。

動物や植物が自然と共に生きているように太古の昔、人間もそうしていたのではないでしょうか。

今のように科学的には何もわかっていなかったかもしれませんが、それでも古代の人たちの営みが理に適っていたことを現代の科学は証明しています。

もしかすると科学が進めば進むほど人間は迷路に迷い込んでしまっているのかもしれないですね。

さらに編集後記

ここまで書いて、『自然と共に生きる』というキーワードで写真素材を検索してみると山の中で暮らす写真とか、木の家とか、野菜の写真とか他にも色々と自然を連想させる写真がヒットしました。

当たり前と言えば当たり前ですが・・・。(笑)

そこでハッと思いました。

『自然と共に生きる』で結んでしまうと誤解を招くと。

自然の中で暮らすことが『自然と共に生きる』ことだと思わせてしまうかもしれないと思ったのです。

自然の中で暮らすことが間違っているということではないのですが、僕が伝えたいすべてではないからです。

何を持って自然とするかは人それぞれだから、山や海で過ごすことだけが自然ではありません。

僕が思っている自然とはありのままという意味です。

生まれた時から東京、大阪という都会で暮らしている人が突然田舎暮らしをすることがありのままと言えますか?

むしろ、それは劇的な変化です。(笑)

もちろん、それがその人にとって偽りなくそうしたいと思っているのならそれもありのままです。

しかし、ただ単にブームに乗ってとか、誰それが言っているからと乗せられるのはありのままではありません。

ありのままとは世界と一体になることですから、今目の前に繰り広げられている世界に対して自分が思うままに、ありのまま生きていればそれでいいはずです。

自分の心のままに生きること。

いつも繰り返し言っていることですが、『自分に素直に正直に』です。

分析では知ることが出来ない全体性|自然と共に生きるのまとめ

今日は『分析では知ることが出来ない全体性|自然と共に生きる』と題して、分析について考えました。

分析とは? 
分析するということは、ひとつの塊をまずは半分にしてみること。それでもまだ分析できなかったら、さらに半分にしてみる。それでもまだ分析できなかったら・・・。それを繰り返していく行為です。
分析して一面を知ることは出来ますが全体を知ることは出来ません。

自分を忘れて世界と一体になる 
知性とは言い換えれば自分です。
自分と世界を分けていると、自分が世界を分析することは出来ても自分が世界になることは出来ません。
自分を忘れて世界と一体になることで世界の全体を知ることが出来るのです。

エゴ(自我)を抑える 
生きている以上、自分を失くすことは不可能です。
ですが、エゴ(自我)を抑えることで自分と世界の壁がぼんやりとしてきます。
なんとなくでもいいから世界と一体になることが大切なことではないでしょうか。

今日も読んでいただきありがとうございます。

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