私とは何者?について考える|世界は私を映している
私とは何者か?、一度は考えますよね。
もし、それがわかったとして人生でどう活かすのか?
それが大切ですね。
今日は『私とは何者?について考える|世界は私を映している』と題して、私とは何者?について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
私とは何者?について考える|世界は私を映している
私とは何者?
『私とは何者?』という言葉は僕の心にずっとあった言葉です。
哲学やスピリチュアルなことに興味を持つ以前、まだ中学生だった頃に、同じ歳だったある人物の中学の卒業文集のタイトルが『私とは何者?』だったと聞かされて、僕の周りにいた大人たちは『あの子がね〜』と感心していたんです。
そのときは哲学という言葉すら知らなかったと思うのですが、なんかすごいこを考えているんだな、ということを思いました。
そこで、僕も『私とは何者?』かを考えていたら、カッコいいのですが、その言葉がただなんとなく心に残っただけで考えることもなく大人になりました。
それ以来、ずっと心にあって、時折思い出す。そんな言葉です。
今日は『私とは何者?』について考えたいと思います。
私とは何者?について考える
私は『黒瀬光庸(くろせみつのぶ)』ですが、『黒瀬光庸』は私の名前であって、『私』ではありません。
私は『会社員』です。これは私の職業であって、やはり『私』ではありません。
では、この肉体が『私』か?というと、それも私ではありません。
これらは私が所有しているものですが、私そのものではないということです。
私が所有している名前、所有している仕事、所有している肉体です。
私が所有しているパソコンとか、私が所有しているテーブルとか、それらと同じです。
所有という言葉がしっくりこなければ、私を表す名前と言ってもいいし、私がしている仕事と言ってもいいと思います。
『私』そのものではなく、私の周りにあるものということです。
すべてのもの。物質だけではなくて、見ている景色とか、聞いている音とか、嗅いでいる匂いとか。
すべてが『私』が所有しているものです。
その所有しているものの中に『私の考え』というものもあります。
さらに言うなら、私の考えを通して、物質を見ているし、景色を見ているし、音を聞いているし、匂いを嗅いでいます。
周りにあるものの真ん中にあるものが『私』といえるのではないか?と思います。
そして周りにあるものは『私』を映している鏡だということです。
目の前にあるマグカップがあって、それが『私』を映していると言われても・・・?!
ですが、それをマグカップだと考えているのは『私』です。
産まれたばかりの赤ん坊はそれが何かわかりません。
持ち手のついた筒?そんな言葉も知りませんから、そんな風にさえ思わないと思います。
それが今の『私』を映しているということです。
世界は私を映している
何ひとつ例外がなく、この世界は『私』を映しています。
職場で、誰かが遅刻をしてきたとしましょう。
『『私』はとても許すことが出来ない』としたら、それが『私』です。
街でケーキ屋さんのウインドウに美味しそうなケーキが並んでいて、食べたいと思った。それが『私』です。
今、ロシアのウクライナ侵攻が起こっています。それを見て、戦争は許せないと思ったら、それが『私』です。
反応しているのが私ではありません。
そこに映っているのが私です。
微妙ですが、違いがわかりますか?
考えているのはもう『私』ではありません。湧き上ってくるモノが『私』ということです。
『私とは何者?』を問い続ける
大切なことは、『私とは何者?』かを知ることです。
正しいとか、間違っているとかをジャッジするためではなく、ありのままの『私』を知ることです。
人が誤解をしがちなことがあります。
たとえば、美味しいものを食べることは人を幸せな気持ちにしてくれます。
ですが、幸せになるから、正しいとは限らないですね。
食べすぎは身体に良くない。ほどほどがいいのです。
幸せになることと、良いことは別のことです。
正しさを証明しようとして『私とは何者?』かを問わないことです。
その時点で正しくないからです。
『私』に正しさも間違いもありません。
私を知り、私がどう生きていくか?
そこには正しさがあるかもしれません。
ですが、それは誰かと比べるようなものではなく、私がどう在りたいか?に対しての正しさです。
そのために『私とは何者?』を問い続けることが大切になってくるのです。
私とは何者?について考える|世界は私を映しているのまとめ
今日は『私とは何者?について考える|世界は私を映している』と題して、私とは何者?について考えました。
私とは何者?について考える
周りにあるものの真ん中にあるものが『私』といえるのではないか?と思います。
そして周りにあるものは『私』を映している鏡だということです。
世界は私を映している
反応しているのが私ではありません。
そこに映っているのが私です。
微妙ですが、違いがわかりますか?
考えているのはもう『私』ではありません。湧き上ってくるモノが『私』ということです。
『私とは何者?』を問い続ける
『私』に正しさも間違いもありません。
私を知り、私がどう生きていくか?
そこには正しさがあるかもしれません。
ですが、それは誰かと比べるようなものではなく、私がどう在りたいか?に対しての正しさです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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