どんな現実を引き出すか?は私次第|朝ドラ【カムカムエブリバディ】
現実が私の人生を左右するのではなくて、私がどんな現実を引き出すか?
現実を左右しているのは私です。
私が信じていることが現実になっているのです。
今日は『どんな現実を引き出すか?は私次第|朝ドラ【カムカムエブリバディ】』と題して、どんな現実を引き出すか?は私次第について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
どんな現実を引き出すか?は私次第|朝ドラ【カムカムエブリバディ】
朝ドラ【カムカムエブリバディ】
『特別な曲なんやと思ってた。泣いてたから前に吹いたとき。でも違うんやな。On the Sunny Side of the Streetはサッチモちゃんにとって、特別な曲じゃなくて、す〜っごく特別な曲なんやな。』
朝の連続テレビ小説『カムカムエブリバディ』エピソード59より
これは、NHKの朝ドラ『カムカムエブリバディ』の中で大月錠一郎(オダギリジョー)が2代目ヒロインの”るい”(深津絵里)に言ったセリフです。
最近、とうとう朝ドラに手を出してしまいました。(笑)
NHKオンデマンドで観ています。
『カムカムエブリバディ』は、3人のヒロイン(上白石萌音・深津絵里・川栄李奈)が、母から娘へとバトンをつなぐ三世代100年のファミリーストーリーです。
さて、観ていない方にセリフを言ったシュチエーションをザッと説明すると、ルイ・アームストロングのOn the Sunny Side of the Streetは二代目ヒロイン”雉真るい”の母親、初代ヒロイン雉真安子(上白石萌音)と戦死した夫・雉真稔の大切な曲です。
るいの名前の由来は、ルイ・アームストロングのルイからとったもの。
戦時中、敵性音楽として英語の歌が禁止された時代に、自分たちの子どもには自由に外国の歌が聴ける時代を生きて欲しいという願いを込めた名前です。
しかし、わけあって母親と離れ離れになったるいには、聴くと母親を思い出してしまう辛い曲でもありました。
母親を忘れるために岡山から大阪に出てきたるい。
On the Sunny Side of the Streetは、ジャズトランペッターのジョーにとっても特別な曲でした。
るいにとっても特別な曲だと察したジョーが、ジャズ喫茶のサマーフェスティバルで、るいのために演奏したのがOn the Sunny Side of the Street。
しかし、それを聴いたるいは、母親のことを思い出して逃げるように会場を出ます。
それを追いかけていったジョーのセリフが・・・、
『特別な曲なんやと思ってた。泣いてたから前に吹いたとき。でも違うんやな。On the Sunny Side of the Streetはサッチモちゃんにとって、特別な曲じゃなくて、す〜っごく特別な曲なんやな。』
サッチモとは、ルイ・アームストロングの愛称です。
文字だけでは伝わらないと思いますが、るいにとって、特別よりも、もっともっと特別な曲だとジョーが気づいたところに『本人さえ気づいていない心の奥の思いがわかる』という部分の深さみたいなものが表現されていて、深いなぁと思いました。
『あなたのせいで思い出したくないことを思い出した』と言う”るい”でしたが、それを聞いたジョーは、自分が感じている以上にもっと特別だったんだとさらに気づかされたという場面だったと思います。
人の心は深い
人の心は深いです。
それに引き換え、それを感じる『私』は実に浅いと思います。
目に見えるものから、それを感じ取ろうとして、しかも、それを『私』の枠の中で解釈してしまいます。
しかし、人の心は目には見えません。
『私』が思っているよりも、ずっと深くて広くて奥行きがある。
当然といえば当然ですが、人は目に見えるものや聞こえるもの、言葉に頼ります。
そこからしか相手の気持ちを推し量ることが出来ません。
そして『私』の枠の中で解釈する以外に方法もありません。
『私』の枠とは、『私』の経験や体験、知識ということです。
つまり『私』に経験がないことはわからないのです。
ジョーはるいの特別よりももっと特別な思いに気づきました。でもそれでも足りなかった。
相手の気持ちが見えない。『私』の気持も相手には見えない。
そこに人間の苦しみがあります。
ですが、実際には苦しみばかりではなくて、またそこに救いもあるのではないか。
そう思います。
どんな現実を引き出すか?は私次第
表面的な言葉や態度から自分が考える相手の気持ちというのは、実に浅いということです。
当たっていたとしてもほんの一部に過ぎないのです。
当たっているのかどうか確かめることも出来ません。
なのに、わかりもしない相手の気持を深読みして(実は浅いのですが)、『私』に都合悪く想像しては苦しんでいる。苦しみとは、そんなものだと思うのです。
『私』の想像よりも現実を重視すればいいのではないか?
そんな気がしています。
たとえば、信頼していた仲間が陰で『私』のことを悪く言っていたということが耳に入ったとします。
あるいはそう感じさせる言動や態度を感じたとします。
ですが、その仲間は『私』の側を離れずに今まで通りにいるとします。
何を信じますか?
目に見えない相手の気持ちを想像した『私』のざわざわした気持ちを信じるのか?
それとも側にいる存在を信じるのか?
どちらを信じても間違いではないと思います。
というのは、信じた方が現実になるからです。
恐らく、どちらの要素もあるのでしょう。
ここはあえて、相手と言わずに、世界としましょう。
『私』と『私』以外(世界)と置き換えるということです。
相手は『私』以外に含まれるから『私』にとって世界なのです。
世界には、ひとつの思いだけではなく様々な思いがあります。
つまり、深くて広くて奥行きがあるのです。
ですから、たくさんの要素があるのです。
何を引き出すかは『私』が何を信じるかで決まるのではないか?
そう思っています。
自分のメリットのために嫌々だけど『私』の側にいると信じれば、それが現実になります。
色々とあるけれど、『私』のことを信じてくれているんだと信じれば、それが現実になります。
それが全面的な信頼でも同じことです。
世界から何を引き出すかは『私』次第なのです。
どんな現実を引き出すか?は私次第|朝ドラ【カムカムエブリバディ】のまとめ
今日は『どんな現実を引き出すか?は私次第|朝ドラ【カムカムエブリバディ】』と題して、どんな現実を引き出すか?は私次第につい考えました。
人の心は深い
相手の気持ちが見えない。『私』の気持も相手には見えない。
そこに人間の苦しみがあります。
ですが、実際には苦しみばかりではなくて、またそこに救いもあるのではないか。
そう思います。
どんな現実を引き出すか?は私次第
世界には、ひとつの思いだけではなく様々な思いがあります。
つまり、深くて広くて奥行きがあるのです。
ですから、たくさんの要素があるのです。
何を引き出すかは『私』が何を信じるかで決まるのではないか?
今日も読んでいただきありがとうございます。
ともいき個人セッションでは、あなたのお話を聞くことで、あなたが見えていないもうひとつの現実をともに探します。目から鱗が落ちる体験になります。
「迷わない」「信じる」ことを超本気でやってます。
ともいき信聞塾はオンラインで開催中!!
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません