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思考を観察している自分を観察している自分

映画をみて、感情移入してしまうことがあります。

私たちは、人生という物語の主人公である自分に感情移入しているとも考えられるのです。

人生という物語を生きている自分を観察している自分。

それをまた観察している自分までいれば、もう盤石です。

今日は『思考を観察している自分を観察している自分』と題して、自分を観察する自分について考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

思考を観察している自分を観察している自分

自分を観察する自分

人の話を”深く”聞くということを意識的にするようになってから、ある程度それが深まって来たときに、話を聞きながら、その話に巻き込まれている自分を俯瞰して見ている自分がいることが出来るようになりました。

聞くということを始めたばかりの頃は、たとえば、話し手さんの悩みを聞いているはずなのに、いつの間にか自分に起こっている別の出来事を題材に、話し手の悩みを聞きながら、あたかも自分も悩んでいる状態になっているということが起こっていたような気がします。

でも表面的にというか、頭では自分は話し手の話を聞いている聞き手なので、相手の話を聞いているつもりになっているのです。

ですが、いつの間にか自分のメンタルも一緒になって落ち込んでいくのです。

あれがいわゆる被爆というやつだなと思います。

話を聞くという経験を積んでいくと、話を聞くのなら徹底的に聞くのみに専念するということにだんだんと慣れていったというか、出来るようになっていったのです。

そうすると、仮に話に巻き込まれていたとしても、巻き込まれている自分を俯瞰して観察している自分が表れる感じになります。

ありのままに聞く

最初は、あまりに冷静な自分に、真剣に聞いていないのではないか?とか、冷たくなったのか?と思いました。

更にそれが進むと逆に話し手の話には、話し手の感情が多分に入り込んでいることを感じるようになり、その感情を外して聞くことが出来ると、お話の背景というか全体像がありのままに見えているような感覚になっていきました。

まるで話し手を通して、話し手が話す相手のことも見えてくるような感覚が起こるようになりました。

試しに、話を先回りして、『そのとき相手はこうしたんじゃないですか?』とか『こう言ったんじゃないですか?』と尋ねると、なんてわかるんですか?と言われることが多くなりました。

というのも話し手の話を聞いているうちに、話し手の感情の傾向を感じるようになります。

だとすると、話し手がこういう感情になるということは、相手はこう返してきたからだろうなということが見えてくるわけです。

聞くことは瞑想だった

聞くということが心の修行になるということを確信すると、精神的なことに強い関心を持つようになりました。

どうやら精神的なことを深めるためには、瞑想がいいらしいとわかり、瞑想をしてみたのですが、特にに大きな気づきはありませんでした。

しかし、あるときに気づいたのです。

『聞く』ことが瞑想になっていたんだと。

相手の話を聞くことに専念することは瞑想だったのです。

瞑想とはシンプルにいえば、今あるものに意識をむけることです。

話し手は、過去に起こった悩みや未来に対する課題を話ていますが、話そのものは今ここにあるものです。

その話を聞くことのみに専念することは呼吸に意識をするのと同じことだったのです。

しかも話を聞くという行為は、一日も休むことがありません。

なんだったらテレビを観ている時も話を聞いているし、自分との対話にしても、自分の話を聞いているわけです。

そして、気づけば、いつでも自分を観察している自分がいるという状態になっていました。

ときに感情的になったときに自分が感情に巻き込まれることがありますが、それも大抵は数秒のことです。

また、それを観察している自分が現れます。

いつでも自分の中には人生という物語を生きている現実の自分と、それを眺めている自分がいます。

現実の自分は、ときに悩んだり苦しんだりすることが”実に”まれにですがあります。

そのときはもうひとりの自分が現実の自分と対話します。

話を聞いてあげるのです。

言いたいことを言わせてあげる。

そのうちにどうあるべきが自分で気づいて解決していきます。

瞑想で確認したいこと

座って目を瞑る瞑想もほぼ毎日しています。

僕が瞑想を通して感じたいこと、確認したいことは。

どんな状態でも自分を否定していないということです。

『聞く』瞑想は実践的で、たくさん数をこなすことは出来ますが、少し騒がしいというか、激しいというか。

全力で100mダッシュをしながら自分の筋肉を感じるみたいなところがあります。

自分を感じるといっても大雑把な感じなのです。

本質的にはそれで十分なのですが、ゆっくりと繊細に自分を感じるのも心地良いものです。

それには座って自分ひとりで自分と向き合う瞑想の方がいいのです。

生きる目的とは、ただ生きることです。

川はただ流れているだけ。

そこに魚が住んでいるとか、山を潤すとか、人間の飲水だとかは川には関係ないことです。

確かに地球という全体、宇宙という全体から見れば、そうやってすべては繋がっているのですが、だからといって川が宇宙に忖度して余計な気を回す必要はありません。

むしろ、それは宇宙の循環の邪魔にしかなりません。

それぞれが、それぞれの生命を生き切ることで全体が成り立っているのです。

だから川はただ流れていればいいし、人間はただ生きていればいい。

それを確認するのが、僕にとっては、ひとり静かに座る瞑想です。

何者でもない自分を否定していないか?それを確認しているのです。

思考を観察している自分を観察する。その自分をさらに観察する。

どこまでも深く観察していくのです。

思考を観察している自分を観察している自分のまとめ

今日は『思考を観察している自分を観察している自分』と題して、自分を観察する自分について考えます。

自分を観察する自分 
話を聞くという経験を積んでいくと、話を聞くのなら徹底的に聞くのみに専念するということにだんだんと慣れていったというか、出来るようになっていったのです。
そうすると、仮に話に巻き込まれていたとしても、巻き込まれている自分を俯瞰して観察している自分が表れる感じになります。

ありのままに聞く 
話し手の話には、話し手の感情が多分に入り込んでいることを感じるようになり、その感情を外して聞くことが出来ると、お話の背景というか全体像がありのままに見えているような感覚になっていきました。

聞くことは瞑想だった 
どうやら精神的なことを深めるためには、瞑想がいいらしいとわかり、瞑想をしてみたのですが、特にに大きな気づきはありませんでした。
しかし、あるときに気づいたのです。『聞く』ことが瞑想になっていたんだと。

瞑想で確認したいこと 
川はただ流れていればいいし、人間はただ生きていればいい。
それを確認するのが、僕にとっては、ひとり静かに座る瞑想です。
何者でもない自分を否定していないか?それを確認しているのです。

今日も読んでいただきありがとうございます。

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