人を責めない考え方
先日は『他人から責められてる気がする人』というブログを書きましたが、今日はつい、人を責めてしまう人がどう考えると人を責めなくなるかについて考えます。
今日は『人を責めない考え方』と題して、人を責めない考え方について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
人を責めない考え方
人を責めない考え方
人を責めてしまうのは、自分が信じていること、正しいと思っていること、と違うことを他人がするからですよね。
『なぜ、わからないんだ』、『理解に苦しむ』、『考えられない』など。
そういう責める思いが起こります。
たとえば、掃除をすることが得意な人は、掃除が苦手な人に対して、責める思いが起こります。
料理が得意な人は、料理が苦手な人に対して同じような気持ちになりますね。
しかし、得意なことはそれぞれ違います。
自分と同じことが出来ないからといって、他人を責めない方が良いと思いませんか?
なぜなら、自分にも得意不得意があって、得意なことはいいけれど、不得意なことは同じように他人から責められているかもしれません。
もし、責められていると感じればやはり辛い思いをするでしょう。
掃除や料理の得意不得意は、容姿やスポーツの得意不得意と同じです。
容姿のことやスポーツについては、生まれつきだとか才能だからと出来ないことを責めるという人はあまりいませんね。
それなのに掃除や料理になると出来ないことをまるで人格を否定するかのごとく責める人がいます。
料理や掃除はたとえ話で同じようなことは他にもたくさんあるでしょう。
すべては『違い』です。
不得意なことがあれば、それを補う得意があるものです。
お互いがその得意をいかしあって全体として調和出来れば最高だと思うのです。
お互いを補い合う
職場でも学校でも人が集まれば、その数に応じて『違い』で衝突するということがあると思います。
それ自体は避けられないことだし、衝突することでわかり合えることもあるので、ある意味必要なことですね。
しかし、それはそれとして、個人の尊厳のためにもお互いの価値を認め合うということが必要だと思うのです。
そのためには自分が出来ることと同じことを他人に求めるのではなくて、むしろその逆で、他人の得意に目を向けて、苦手なことは自分が補ってあげるくらいの寛容さが大事だと思います。
夫婦であれ、家族であれ、会社であれ、そしてこの世界すべてがお互いを補い合うことで成り立っているのではないでしょうかね。
一番いい答えを決める
お互いを認め合うために邪魔になるのが、『正さないといけない』という思いでしょうかね。
相手を認めることはやぶさかではないし、むしろ大事なことだとはわかっていても、やはり正しい方向に導かなかいといけないとか、正さないといけないという正義感のようなものがありますよね。
正しいことを主張すること。それを相手に意見出来ることは素晴らしいことですが、そもそも論として『正しさ』というものがどれだけ正しいのか?というのがありますね。
大前提として、その正しさ自体を疑ってみる必要がありそうです。
最近お気に入りのドラマに『イチケイのカラス』があります。
裁判官という仕事を舞台にしたドラマです。
その中で『裁判官の仕事は話しを聞いて聞いて聞きまくって、悩んで悩んで悩みまくって、一番いい答えを決めること』というセリフがありました。
正しい答えではなく、一番いい答えというのが妙に心にしっくりきました。
正しい答えというのはないのかもしれません。
出来るだけ一番いい答えというのはなんとなくあるような気がします。
『これが正しい!』という気持ちではなく、『一番いい』を求める気持ちが一番いい気がするのです。
人を責めない考え方のまとめ
今日は『人を責めない考え方』と題して、人を責めない考え方について考えました。
人を責めない考え方
不得意なことがあれば、それを補う得意があるものです。
お互いがその得意をいかしあって全体として調和出来れば最高だと思うのです。
お互いを補い合う
個人の尊厳のためにもお互いの価値を認め合うということが必要。
一番いい答えを決める
正しい答えではなく、一番いい答えを決める。
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