真実を見抜く心|神様目線で物事を見る
真実を見抜くためには、素直で感情に囚われないことが大切です。
自分の考えや感情に囚われず、ありのままの視点を持つために心身を常にゼロリセットすることを目指します。
真実を見抜くためには、囚われない心が必要です。
迷いや囚われた感情があれば、可及的速やかに処理してゼロにすることが大事です。
今日は「真実を見抜く心|神様目線で物事を見る」と題して、真実を見抜く心について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
●真実を見抜く心|神様目線で物事を見る
○真実を見抜く心|神様目線で物事を見る
真実を見抜くのに最も大事なことは、私のようにとらわれなき素直な心を持つことではないかと思うのですが、どう思われますか。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10296704345)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
真実を見抜くのに最も大事なことは、素直にありのままに物事を見ることです。
素直に物事を見るということは、なんでもかんでも他人の言うことを鵜呑みにするということでは、当然ありません。
それは、ただの思考停止です。
ありのままにということは、自分の思い込みや感情、囚われを脇において、物事をありのままに見るということです。
自分でもない他人でもない。表現は適切かどうかわかりませんが、神様の視点で見るということです。
松下幸之助さんの言葉で、「素直になるということは神さんになるということや」という言葉があります。
もちろん、人間が神様になることはありませんが、あたかも、そういう視点に自分を置いて物事をありのままに見るということです。
ただし、神様の視点で物事を見ているつもりになってもいけないのです。
どういうことかというと、自分は囚われていないと思うことも、また囚われだからです。
自分はいつも神様目線だと思うことも、思考停止だと言わなければなりません。
それは、いつも肝に銘じておかなければならないのです。
○心も身体もをいつも手ぶら
素直でいるために、心も身体もをいつも手ぶらにしておきたいと思っています。
ここでいう身体というのは、仕事や家事などで、目に見えてやるべきこと、という意味です。
もちろん、完全にゼロということはないにしても、限りなくゼロに近い状態で、視界をスッキリした状態に保つことです。
身体が手ぶらだと、自ずと心も手ぶらになってきます。
心にやるべきこと、気がかりがあると、それに囚われて、ありのままに物事を見ることができません。
自分の都合がどうしても判断する時に影響を与えてしまうからです。
たとえば、普通なら騙されるはずもない儲け話の詐欺などにも、お金に困っているとつい信じてしまうみたいなことが起こります。
仕事でも、本来なら全体のために優先するべきことがあっても、自分のやり残しが大量にあると、自分の都合を優先して後回しにしてしまうようなことも起こります。
ですから、心を手ぶらにしておくことは、素直であるためにとても重要な要素になります。
つねにゼロリセットを目指すことです。
ゼロでいることを標準にして、やるべきことが起きたら、即着手してゼロに返ってきます。
ゼロの状態であれば、何にも囚われることなく、ありのままに物事を見ることができるというわけです。
○迷っていることを受け入れる
即決できないということは、自分の都合があるからできないわけです。
それは、神様目線ではありません。
困っている人が目の前にいたら、すぐに助けることができると思います。
もし、できないとしたら、予定の時間に間に合わないなどの自分の都合があるわけです。
逆に、明らかに、自分の予定を守る方が正しいと判断しているなら迷いがないはずです。
つまり、迷いがあるということは、神様目線ではないということなのです。
それがダメということではなく、それを自覚してどうするかが大事だと思います。
今は自分が迷っているということを、ありのままに受けいれることも、ある意味ありのままだからです。
迷っていることをありのままに受け入れた方が、その理由に深く迫ることができて、解決に近づくことができると思います。
では、ごきげんよう。さようなら。
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ぜひ、お読みください。m(_ _)m
●真実を見抜く心|神様目線で物事を見るのまとめ
今日は「真実を見抜く心|神様目線で物事を見る」と題して、真実を見抜く心について考えました。
○真実を見抜く心|神様目線で物事を見る
ありのままにということは、自分の思い込みや感情、囚われを脇において、物事をありのままに見るということです。
自分でもない他人でもない。表現は適切かどうかわかりませんが、神様の視点で見るということです。
松下幸之助さんの言葉で、「素直になるということは神さんになるということや」という言葉があります。
もちろん、人間が神様になることはありませんが、あたかも、そういう視点に自分を置いて物事をありのままに見るということです。
○心も身体もをいつも手ぶら
素直でいるために、心も身体もをいつも手ぶらにしておきたいと思っています。
ここでいう身体というのは、仕事や家事などで、目に見えてやるべきこと、という意味です。
もちろん、完全にゼロということはないにしても、限りなくゼロに近い状態で、視界をスッキリした状態に保つことです。
身体が手ぶらだと、自ずと心も手ぶらになってきます。
○迷っていることを受け入れる
今は自分が迷っているということを、ありのままに受けいれることも、ある意味ありのままだからです。
迷っていることをありのままに受け入れた方が、その理由に深く迫ることができて、解決に近づくことができると思います。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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