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花実と麦畑の哲学|人生は己の解釈次第

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言葉の意味は解釈次第であり、人生も自らの解釈によって幸せや不幸せが変わります。

幸せとは自分の思い通りになっていることを気づくこと。

絶対的な幸せや不幸せは存在せず、人生の真理は自らの解釈次第で変わるのです。

今日は「花実と麦畑の哲学|人生は己の解釈次第と題して、人生は己の解釈次第について考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

●花実と麦畑の哲学|人生は己の解釈次第

○花実と麦畑の哲学

 

死んで花実が咲くものかというのと、地に落ちて死ぬこととで大きな麦畑となるであろう、そのような信念を持って生きることとは、相対立しませんか。

yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13294873068

※質問は原文ママです。

みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。

 

シスター渡辺和子先生の「置かれた場所で咲きなさい」という言葉があります。

死という言葉の意味に囚われずに解釈すると、どちらの言葉も、今いるところで輝きなさいということだと思いました。

解釈は人それぞれですが、相対立すると感じる人もいれば、しないと感じる人もいるのかなと思います。

まず、「死んで花実が咲くものか」というのは、自ら死を選び、今ここではないところに行ったとしても、そこで花実は咲かないと戒めています。

一方、「地に落ちて死ぬことで大きな麦畑となるであろう」とは、たとえ死んだとしても、その場所が大きな麦畑として実るだろうということです。

前者は自ら死を選ぶ人への戒めの言葉、後者は謀らずも死んでしまった人へのエールです。

たとえるなら、西と東から同じ場所を目指して歩いているような2つの言葉です。

この2つの言葉をひとつにしたのが、渡辺和子先生の「置かれた場所で咲きなさい」だと思うのです。

○相反する2つの言葉

 

言葉的にはまったく反対の言葉なのに、実は同じひとつのことを伝えたい言葉というものが、いくつも存在すると思っています。

すぐに思い浮かぶのが、お釈迦さまの「人生は苦である」と「人生は美しい」です。

とてもシンプルで、言葉を表面的に解釈すれば、まるっきり反対の意味です。

いったい、本当はどっち?と聞きたくなるような2つの言葉です。

ところが、この2つの言葉も同じひとつのことを伝えていると考えています。

「人生は苦である」とは、世の中や人生は自分の思い通りにならないという仏教の教えです。

しかし、思い通りにならない人生の中で、時折訪れる幸せや喜びがあるから人間は生きていけるのです。

さらに言えば、実は思い通りにいっていることの方が多いのです。

ほとんどの朝、人は目覚めます。顔を洗い、歯を磨き、いつものように朝食を取ります。

当たり前すぎて、思い通りにいっているという実感さえありません。まして感謝することなどありません。

ところが、この当たり前だと思っている出来事は、思い通りになっていることばかりなのです。

つまり、世の中や人生のほとんどは自分の思い通りになっているのです。

それに気づけた人にとっては「人生は美しい」のです。

2つの言葉は「人生」を西と東から語っていますが、どちらも同じ「人生」について語っているのです。

○人生は己の解釈次第

 

ひとつのことを西と東から語る2つの言葉たちは、この世界の真理を教えてくれています。

人生は己の解釈次第だということです。

絶対的な幸せも不幸せも存在せず、己の解釈次第でどっちに転ぶこともできると教えているのです。

今、不幸の真っ只中にいる人は、にわかに信じられないかもしれません。

ですが、全く反対側から今の自分を見ることができるのです。

その見方には、コツというか考え方みたいなものがあります。

でも、絶対にあります。

「ある」と信じた人にしか見えませんが、絶対にあるのです。

 

では、ごきげんよう。さようなら。

 

 

 

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●花実と麦畑の哲学|人生は己の解釈次第のまとめ

今日は「花実と麦畑の哲学|人生は己の解釈次第と題して、人生は己の解釈次第について考えました。

○花実と麦畑の哲学
死んで花実が咲くものか」というのは、自ら死を選び、今ここではないところに行ったとしても、そこで花実は咲かないと戒めています。
一方、「地に落ちて死ぬことで大きな麦畑となるであろう」とは、たとえ死んだとしても、その場所が大きな麦畑として実るだろうということです。
前者は自ら死を選ぶ人への戒めの言葉、後者は謀らずも死んでしまった人へのエールです。
たとえるなら、西と東から同じ場所を目指して歩いているような2つの言葉です。

○相反する2つの言葉
2つの言葉は「人生」を西と東から語っていますが、どちらも同じ「人生」について語っているのです。

○人生は己の解釈次第
ひとつのことを西と東から語る2つの言葉たちは、この世界の真理を教えてくれています。
人生は己の解釈次第だということです。
絶対的な幸せも不幸せも存在せず、己の解釈次第でどっちに転ぶこともできると教えているのです。

今日も読んでいただきありがとうございます。

 

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