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知らぬまに他人を傷つけてしまった|自分はそれほど酷いことをしたのか?

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他人を知らないうちに傷つけてしまうということは誰にでもあります。

傷つけたことを知ったとき、同時に自分の心も傷つきます。

自分の言動が他人を傷つけてしまったという事実を認め、知らないうちに同じような言動をしている人がいたら、気づく手助けをすることで償いと共に自分の心を癒やすことができます。

今日は『知らぬまに他人を傷つけてしまった|自分はそれほど酷いことをしたのか?と題して、知らぬまに他人を傷つけてしまったついて考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

知らぬまに他人を傷つけてしまった|自分はそれほど酷いことをしたのか?

知らぬまに他人を傷つけてしまった

 

凄い不謹慎な質問なのですが、会社の同僚が自殺で亡くなり、その家族が会社に電話でそれを伝えるついでに同僚が親に話していた社員達の不満事などを話してきて、

その話の中で僕の飲み会での発言が傷ついたと本人が言ってた事を激怒して言ってきたようです。

僕と彼女は昔仲が良くて、彼女が僕に好意を持ってるような事も周りは噂していて、飲み会での時周りの同僚達が彼女を僕の横に行かせようとしたり、くっつけようとしてきた時に、僕は冷やかされるのが嫌なのと彼女に好意はないので嫌!と言いました。

その事で彼女は凄い傷ついたと親に話していたそうですが、僕これそんなに酷い事したでしょうか?

yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12282207082

みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。

 

自殺には至らなくても他人を知らないうちに傷つけてしまうということは誰にでもあります。

だから仕方がないということではありませんが、他人を傷つけてしまうのは質問者さまだけではありません。

これは傷つけてしまった本人だけではなく、その出来事を見た人は『人の振り見て我が振り直せ』で、自分も気づかぬうちに他人を傷つけているかもしれないと我が身を振り返る機会にしなければいけません。

知らぬこととはいえ、自分が他人のことを傷つけてしまったと知ったとき、自分の心も傷つきます。

質問者さまが、これからできることは、自分の言動が他人を傷つけてしまったという事実を認め、知らないうちに同じような言動をしている人がいたら、気づく手助けをすることでしょう。

それは贖罪ということとは別に、気づいた人の役割としてです。

そんなつもりもなく、気づかないままに他人を傷つけ続けている人がいるからです。

当事者となった今、これまでなら気づかなかったことにも気づけるようになっているとも思います。

自分はそれほど酷いことをしたのか?

 

『自分はそれほど酷いことをしたのでしょうか?』

そんな気持ちになるのもわからなくはありません。

ただ、自分にとっての酷いことと、相手にとっての酷いことは違います。

今回の出来事は『相手にとって酷いこと』をしたことにより起こったのです。

つまり、『自分にとって酷いか』、そうでないかは出来事とは無関係です。

仮に、周囲にいる人たちが『あなたは酷くない』と言ったからといって出来事がなかったことにはなりません。

それは、その人たちにとって酷くないだけだからです。

犯罪であれば、法律が罰してくれます。償う方法も法律によって決められます。

ある意味、それでケジメをつけることもできます。しかし、今回のような場合、誰も罰してくれません。目に見える形で償うことも許されません。

犯罪を犯して罰せられるよりも苦しみを背負ってしまう可能性があります。

罰せられないということは、許されることもないということなのです。

これから出来ること

 

そこで最初に戻りますが、これから出来ることは。

自分の言動が他人を傷つけてしまったという事実を認めること。自分と同じように気づかないうちに他人を傷つけている人がいたら気づく手助けをすることです。

そうすることで、誰も許してはくれませんが、自分自身が自分のことを許せるかもしれないからです。

そして、それが先に気づいた人の役割だと思うのです。

ハインリッヒの法則というのがあります。

『ハインリッヒの法則』とは、労働災害の分野でよく知られている、事故の発生についての経験則です。1件の重大事故の背後には、重大事故に至らなかった29件の軽微な事故が隠れており、さらにその背後には事故寸前だった300件の異常、いわゆるヒヤリハット(ヒヤリとしたりハッとしたりする危険な状態)が隠れているというものです。『1:29:300の法則』とも呼ばれます。

他人を傷つけ、その人が自殺までしてしまったというのは、言ってみれば1件の重大な事故です。

その重大事故を引き起こしたのは『飲み会での発言』だったかもしれません。

ですが、その背後には自殺にまでは至らなくても、その人を傷つけてしまう言動が29件もあり、さらにその背後には300件もの傷つける寸前の言動があった可能性があるのです。

1件の重大な事故が起こったとき、人はその事故の原因は何のか?一体どうすればその事故は防げたのか?と考えます。

それも大事なことなのですが、実はもっと大事なことは300件の傷つける寸前の『言動』の方なのです。

そして、この300件の言動には『自分』だけではなく、自分以外の人の言動も含まれているのです。

ですから、自分の言動に気を配ることも大事ですが、他人が知らないうちに他人を傷つけていたなら、気づくように促す。そして300件の傷つける寸前の『言動』が減るように努めるのです。

 

では、ごきげんよう。さようなら。

 

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知らぬまに他人を傷つけてしまった|自分はそれほど酷いことをしたのか?のまとめ

今日は『知らぬまに他人を傷つけてしまった|自分はそれほど酷いことをしたのか?と題して、知らぬまに他人を傷つけてしまったついて考えました。

知らぬまに他人を傷つけてしまった 
他人を知らないうちに傷つけてしまうということは誰にでもあります。
だから仕方がないということではありませんが、他人を傷つけてしまうのは質問者さまだけではありません。

自分はそれほど酷いことをしたのか? 
『自分はそれほど酷いことをしたのでしょうか?』
そんな気持ちになるのもわからなくはありません。
ただ、自分にとっての酷いことと、相手にとっての酷いことは違います。
今回の出来事は『相手にとって酷いこと』をしたことにより起こったのです。
つまり、『自分にとって酷いか』、そうでないかは出来事とは無関係です。

これから出来ること 
自分の言動が他人を傷つけてしまったという事実を認めること。自分と同じように気づかないうちに他人を傷つけている人がいたら気づく手助けをすることです。
そうすることで、誰も許してはくれませんが、自分自身が自分のことを許せるかもしれないからです。

今日も読んでいただきありがとうございます。

 

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