性格は顔に出る?|『ありのまま』に見えるものが増えていく
『性格は顔にでる』といいます。『人は見かけによらない』ともいいます。
どっちが正しいのでしょうか?
どちらも正解です。
ということは?
今日は『性格は顔に出る?|『ありのまま』に見えるものが増えていく』と題して、性格は顔に出る?について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
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性格は顔に出る?|『ありのまま』に見えるものが増えていく
性格は顔に出る?
性格は顔に出ると言われますが性格は顔に出るかも知れませんが、人は見かけによらないと言われてるように見た目や性格だけで犯罪者かどうかはわかりませんよね?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10273859620)
みなさん、ごきげんよう。
今日もよろしくお願いします。
『人は見かけによらない』、『性格は顔に出る』。両方正しいです。
人の性格や内面というのは、顔だけではなく、その人の言葉や振る舞い、生き方に表れます。
ただ、見る側の性格や内面にも左右されます。
人は見たいように見るし、聞きたいように聞きます。
自分の都合が良いように見るし、聞いています。
ありのままに見ると、あまり良くない性格なのに、その人がいることで自分にとって都合が良いと、その悪い面を見ないようにしてしまいます。
なので、本当は顔や言葉、振る舞いにその人の内面が表れているのに気づかないということがあります。
もちろん逆もあります。
本当は良い性格だし、みんなのためを思って行動してくれているのに、その言動、振る舞いがいちいち気に障るという人もいます。
『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』といいますが、自分に都合が悪い人のことは、やることなすことが悪いことに映ってしまうのです。
自分の都合でこの世界を見ている
『ありのままに見ましょう』、『素直になりましょう』といいますが、今見えているものがありのままなのか、そうでないのか?がわかりません。
ありのままとそうでないのが、横並びに置いてあって、見比べることが出来るのなら、こっちを選ばないといけないなと判断することが出来ますが、実際は選んだものしか目の前にはありません。
現実はひとつしかないのです。
そんな中で『ありのまま』に見ようと思ったらどうしたらいいでしょう?
そのためには、この方法しかありません。
『自分の都合でこの世界を見ている』ということを『ありのまま』に受け入れることです。
仏教では、人は皆『我利我利亡者』だと教えられます。
これは、我利我利亡者にならないようにしましょうという教えではないはずです。
『我利我利亡者だ』と断言されているのです。
それを自覚し、それを踏まえて、世の中と向き合いましょうと教えているのです。
もし、目の前に自分にとって悪者がいたとしたら、それは自分にとっては都合が悪い人だということです。
『だから、その人は良い人だ』ということではありません。
『自分にとっては都合が悪い人』。
それ以上でも以下でもないということです。
他人には、まったく違うように見えているかもしれないのです。
『ありのまま』に見えるものが増えていく
ここで、『聞く』ことが、とても重要になってきます。
自分には、『悪者に見えている』、だから他人にも同じように見えているという思い込みをしないことです。
人というのは、相手との関係性によって、忖度したり、共感したように振る舞うことがあります。
よほど意見が違わない限り、反論をしないという人も多いのではないでしょうか。
その時に、表面的な忖度や共感の奥にある、その人の本音を見逃さないことです。
そのための『聞く』です。
そして、自分の意見もありのままなら、その人の意見もありのままなのだということを忘れないことです。
他人の話をありのままに聞くということは、自分には悪者にしか見えない人の別の一面が見えるということです。
そうすれば、『ありのまま』に見えるものが増えていきます。
自分の見えている世界が広くなるということです。
では、ごきげんよう。さようなら。
性格は顔に出る?|『ありのまま』に見えるものが増えていくのまとめ
今日は『性格は顔に出る?|『ありのまま』に見えるものが増えていく』と題して、性格は顔に出る?について考えました。
性格は顔に出る?
人の性格や内面というのは、顔だけではなく、その人の言葉や振る舞い、生き方に表れます。
ただ、見る側の性格や内面にも左右されます。
人は見たいように見るし、聞きたいように聞きます。
自分の都合が良いように見るし、聞いています。
自分の都合でこの世界を見ている
『自分の都合でこの世界を見ている』ということを『ありのまま』に受け入れることです。
仏教では、人は皆『我利我利亡者』だと教えられます。
これは、我利我利亡者にならないようにしましょうという教えではないはずです。
『我利我利亡者だ』と断言されているのです。
それを自覚し、それを踏まえて、世の中と向き合いましょうと教えているのです。
『ありのまま』に見えるものが増えていく
自分の意見もありのままなら、その人の意見もありのままなのだということを忘れないことです。
他人の話をありのままに聞くということは、自分には悪者にしか見えない人の別の一面が見えるということです。
そうすれば、『ありのまま』に見えるものが増えていきます。
自分の見えている世界が広くなるということです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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