どうしたら自分の欲を捨てられますか?|欲と共に生きる
欲を捨てるのではなく、欲と共に生きることです。
欲があるのが人間だからです。
それを認められないことこそ欲であり煩悩です。
今日は『どうしたら自分の欲を捨てられますか?|欲と共に生きる』と題して、欲と共に生きるについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
どうしたら自分の欲を捨てられますか?|欲と共に生きる
どうしたら自分の欲を捨てられますか?
他人のために生きてる方に質問です。
どうしたら自分の欲を捨てれますか?
私は自己中です。お腹が空いたらご飯食べてしまうし、眠くなったら寝てしまいます。こういう欲に抗えない自分が情けないです。はやく自分を捨てて他人のためだけに生きたいです。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14263976984)
みなさん、ごきげんよう。
今日もよろしくお願いします。
他人のためだけに生きている人というのはいるのでしょうか?
欲を捨て、他人のためだけに生きるというと、聞こえはいいのですが、それ自体が欲のようにも思えてきます。
というよりも、果たしてそれが素直な心なのだろうか?という気がしてきます。
『誰かのために何かをする、その誰かが喜び、笑顔になる、それを見て自分も嬉しい。だから他人のために何かがしたい』。
『他人のために生きる』という短い言葉の中には、これだけの思いが込められているような気がします。
更に言うと、他人のために自分を犠牲にしてはいけないと思うのです。
決して他人のため”だけ”に生きてはいけないという気がします。
まして自分を捨ててはいけないと思うのです。
自分を捨ててしまうと、きっと他人のこともどうでもよくなってしまいます。
なぜなら、他人が笑顔になっても喜ぶ自分がいないのなら、他人のために何かをすることに興味がなくなってしまうからです。
他人のために生きることと、自分のために生きることは兄弟みたいなものです。
両方あるから輝くのです。
『私』を修める姿こそが美しい生き方
『煩悩具足の凡夫』という言葉があります。
凡夫とは私たち人間のこと。煩悩具足とは煩悩100%ということです。
人間は煩悩の塊であるという意味です。
『誰かのために何かをする、その誰かが喜び笑顔になる、それを見て自分も嬉しい。だから他人のために何かがしたい』
これだって煩悩なのです。
煩悩とは、迷いや苦しみの原因となる心のけがれです。
人間として生きている以上、煩悩があることは当たり前のことなのです。
煩悩があることが悪いのではなくて、悪いとすれば、それを煩悩と気づかずに他人のためだけに自分は生きていると思っていることです。
それでは、とても独りよがりで傲慢な生き方になってしまいます。
煩悩上等なのです。
ただし、その行動が、煩悩に端を発していることを自覚して、謙虚な気持ちでいることが出来れば、傲慢ではなく美しい姿になると思います。
100%煩悩の塊である『私』を修める姿こそが美しい生き方だからです。
欲と共に生きる
欲を捨てるのではなく、欲と共に生きることです。
欲は、あってはならないモノではありません。
あって当たり前のモノです。
消そうとするから、余計に存在に気づいてしまう。
消そうとすることが欲になってしまうのです。
他人のために生きたいということまで、実は欲なんだと気づいて、その欲に素直に正直に生きることが出来たら、素直な自分を誇らしく思い、堂々と自信を持って今を生きられると思います。
追伸
さて、今日から書き出しを『ごきげんよう』から始めることにしました。
理由はふたつあります。
ひとつは2014年のNHKの朝ドラ『花子とアン』の影響です。
貧しいながら給費生として、お嬢様ばかりの女学校へ進むヒロインの花ですが、そこでは『ごきげんよう』が日常の挨拶なのです。
それともうひとつは、花園大学教授で仏教学者の佐々木閑先生のYou Tube動画の始まりの挨拶が『みなさん、ごきげんよう』なのです。
このふたつと、ほぼ同時に出会ったのです。
それで、僕も『ごきげんよう』を使おうと思いました。
現代の日常会話としては、あまり馴染みませんが、文語としてならトレードマーク的にいいだろうと思ったのです。
ということで、今後ブログの書き出しは『ごきげんよう』で始めさせていただきます。
では、ごきげんよう。さようなら。
どうしたら自分の欲を捨てられますか?|欲と共に生きるのまとめ
今日は『どうしたら自分の欲を捨てられますか?|欲と共に生きる』と題して、欲と共に生きるについて考えました。
どうしたら自分の欲を捨てられますか?
他人のためだけに生きている人というのはいるのでしょうか?
欲を捨て、他人のためだけに生きるというと、聞こえはいいのですが、それ自体が欲のようにも思えてきます。
というよりも、果たしてそれが素直な心なのだろうか?という気がしてきます。
『私』を修める姿こそが美しい生き方
煩悩上等なのです。
ただし、その行動が、煩悩に端を発していることを自覚をして、謙虚な気持ちでいることが出来れば、傲慢ではなく美しい姿になると思います。
100%煩悩の塊である『私』を修める姿こそが美しい生き方だからです。
欲と共に生きる
他人のために生きたいということまで、実は欲なんだと気づいて、その欲に素直に正直に生きることが出来たら、素直な自分んを誇らしく思い、堂々と自信を持って今を生きられると思います。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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