『私は幸せだ』と言うと共感を得られない
本当に幸せな人って自分で幸せ幸せって言わないですよね? 幸せ自慢をやたらしてくる人は、本当は幸せじゃないんじゃないですか?
という質問がyahoo知恵袋にあって、『私は幸せだ』というと、どうやら反感を買うみたいです。
ですが、幸せって溢れてるモノなので、言おうが言わまいが伝わってくるものだと思います。
ですが、今日はそう思わせることが不幸せを作ってしまうという話です。
今日は『『私は幸せだ』と言うと共感を得られない』と題して、『私は幸せだ』と言うと共感を得られないについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
『私は幸せだ』と言うと共感を得られない
『私は幸せだ』と言うと共感を得られない
みなさん、ごきげんよう。
今日もよろしくお願いします。
『私は幸せだ』という言葉は他人の共感を得られないのではないか?と思いました。
なぜか?というと、『私は幸せだ』と言ったとき、『私は他人と比べて幸せだ』に聞こえてしまうからです。
私の幸せを認識するとき、他人のそれと比較して、それ以上であると感じるから『私は幸せだ』となるわけです。
言われた方は、相手の立場になって、その言葉を聞きます。
つまり、かなり深い無意識下で相手の言葉を自分が言った場合を想像して、その言葉を捉えるので、『私は幸せだ』が『私はあなたより幸せだ』に聞こえてしまうというわけです。
それは言い換えると『あなたは私よりも不幸せだ』になってしまうのです。
それは共感できるはずがありません。
つまり、『人の不幸は蜜の味』の逆バージョンです。
『私は幸せだ』言われると、上から言われているような気がして、黒いドロドロとした気持ちが起こります。
ですから、『私は幸せだ』は共感が得れず、それどころか、聞いた人を不幸せにしてしまうのです。
『私は幸せだ』と聞いて、共感してもらえるとしたら、聞いた人も幸せになります。
ですが逆に反感を持たれてしまうので、聞いた人に黒い気持ちを起こさせ不幸せにしてしまうのです。
私は十分に満足している
相手に共感を持ってもらうということが、とても大切だということに気がつきました。
自分も幸せになるし、相手のことも幸せにするからです。
『私は幸せだ』という言葉はそういう意味ではふさわしくないと思いました。
もちろん嘘をついているわけではないし、見当違いな言葉というわけではありませんが、それだけで受け付けないというか、入ってこないと思う人もいるでしょう。
どんな言葉がふさわしいか?と思ったとき、『十分に満足している』という言葉が自分の中に浮かんできました。
満足しているという言葉は、誰かと比べているのではなく自分比という印象があります。
足らなかったものが充足したという意味です。
そして、自分の心の中の状態を表すのによりふさわしいと思いました。
なぜなら、本来幸せというのは他人と比べられるものではありません。
あくまでも自分の中だけで感じるものです。
正しくは自分の中の充足感なのです。
『私は十分に満足している』
これなら、多くの場合、共感を得られるのではないか?そう思いました。
そして、『十分に満足した』という言葉に共感をしてもらえたなら、聞いた人も『十分に満足した』気持ちを味わってもらえます。
つまり、聞いた人にも幸せになってもらえます。
これは素晴らしいと思いました。
本当の意味の幸せ
『十分に満足している』という気持ちを想像してください。
まさに絶妙な幸福感を表していると思うのです。
十分に満足しているというのは、完璧な状態だと言っているわけではありません。
中には不足していることもあるにはあるけれど、それでも私は十分に満足しているのです。
これは本当の意味で幸せを表しています。
『今ここ』は良いことも悪いこともあります。
『人間万事塞翁が馬』ということわざにもあるように、目の前の結果だけで良い悪いを決めることは出来ません。その結果がこの先どちらにも転ずる可能性があるからです。
つまり、今ここには良いことも悪いことも同時に存在しているのです。
それらをすべてわかった上で、『今、十分に満足している』のです。
これこそ本当の幸せではないですか?
では、ごきげんよう。さようなら。
『私は幸せだ』と言うと共感を得られないのまとめ
今日は『『私は幸せだ』と言うと共感を得られない』と題して、『私は幸せだ』と言うと共感を得られないについて考えました。
『私は幸せだ』と言うと共感を得られない
私の幸せを認識するとき、他人のそれと比較して、それ以上であると感じるから『私は幸せだ』となるわけです。
言われた方は、相手の立場になって、その言葉を聞きます。
つまり、かなり深い無意識下で相手の言葉を自分が言った場合を想像して、その言葉を捉えるので、『私は幸せだ』が『私はあなたより幸せだ』に聞こえてしまうというわけです。
それは言い換えると『あなたは私よりも不幸せだ』になってしまうのです。
私は十分に満足している
どんな言葉がふさわしいか?と思ったとき、『十分に満足している』という言葉が自分の中に浮かんできました。
満足しているという言葉は、誰かと比べているのではなく自分比という印象があります。
足らなかったものが充足したという意味です。
そして、自分の心の中の状態を表すのによりふさわしいと思いました。
本当の意味の幸せ
『十分に満足している』という気持ちを想像してください。
まさに絶妙な幸福感を表していると思うのです。
十分に満足しているというのは、完璧な状態だと言っているわけではありません。
中には不足していることもあるにはあるけれど、それでも私は十分に満足しているのです。
これは本当の意味で幸せを表しています。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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