心が目に見えるのなら、すべての人が幸せになれる
心は目に見えないから比べてしまいます。
見えない心が不幸せを生みますが、幸せも生みます。
見えない心に思いを馳せることがすべての人が幸せになる道なのかもしれません。
今日は『心が目に見えるのなら、すべての人が幸せになれる』と題して、すべての人が幸せになる道について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
心が目に見えるのなら、すべての人が幸せになれる
すべては同じひとつの道
万教帰一(万教同根)という言葉が好きです。
すべての教えは一つに帰するという概念です。
この世界には、様々な教えがあり、哲学があり、生き方や考え方があります。
それらは、すべて『幸せになる』ことを目指しています。
ひとつの目的のために、色々な教えや哲学や、生き方や考え方があります。
それらは、ひとつひとつが全く違う方法のような体をしていますが、実はひとつの道だと思っています。
ある人は、それを哲学と呼び、ある人は、それを教えと呼ぶ。哲学にも色々な哲人がいて、教えにもそれぞれの教えを伝える宗教があります。
『幸せになる方法』というひとつの道を違う名前で呼んでいるだけだと思うのです。
ただ、それらを言葉にした途端に、その言葉が表す新たな概念が生まれます。
元々は同じだった道が、そこから枝分かれを始めます。
分かれたが最後、どれが正しいか?という争いが始まります。
ですが、忘れてはならないのは、目指すものはひとつだということです。
今書いていることだって、正にそのひとつです。
こうやって文章にすることで、それぞれの教えや哲学を信じている人にとっては、ここに書いてあることは間違っていることになります。
なにしろ、すべては同じだと言っているのですから。
その一歩が明日の幸せへと通じている道
教えや哲学だけではありません。
人も同じです。
人は幸せになるために生きています。
元々、それが目的で人類が誕生したのか?それが生きる意味なのかはわかりませんが、少なくても生きている『私』は幸せになるために、今この瞬間も何かをしようとしています。
学校へ行くのも、仕事をするのも、ご飯を食べるのも、歯を磨くのも、足を一歩踏み出すのさえ、そうすれば幸せになれると心の奥底で信じているから人は行動します。
その一歩が明日の幸せへと通じている道だと信じているのです。
そして、目的は同じでも人の数だけ方法は違います。
目的は、皆同じなのです。
幸せというのは心の状態
残念なのは、方法が違うことで人が争うことです。
目指しているのが『場所』で、場所には限りがあって、入れる人数が決まっているのなら、争うのも致し方ないのかもしれません。
ノアの方舟のように選ばれた人しか乗れないのなら、我こそはと争っても仕方ありません。
ですが、幸せというのは場所ではありません。
幸せというのは心の状態です。
ある心の状態を人は幸せと言っているのです。
たとえば、それを『満たされている心』と呼ぶことにしましょう。
すべての人類が『満たされている心』になることだって可能なはずです。
ですが、この世界は二元性の世界で、『私』と『私以外』があり。
『私』が満たされていると思うためには、満たされない『私以外』がいないといけないのです。
そのために、『私』は誰よりも満たされようとします。
また、逆に『私』は誰よりも満たされていないと思ってしまいます。
『私』が幸せになるためには、『私』より幸せな人がいてはいけないのです。
もし、『私以外』が幸せになると、『私』の幸せが色褪せてしまうからです。
心が目に見えるのなら、すべての人が幸せになれる
もし、心が目に見えるのなら、すべての人が幸せになれると思っています。
それは、幸せは人それぞれ違うからです。
何で満たされるかは人それぞれ違います。
心が見えないから、方法で比べてしまうのです。
最初に戻りますが、哲学にも色々な哲学があり、教えにも様々な教えがあります。
どの哲学で満たされるかは人によって違うし、どの教えに心を動かされるかは人によって違うのです。
どの方法が正しいかなんて答えはありません。
『私』が幸せになれば、その教えが『私』にとって正しいのです。
それを他人に当てはめても、その人は幸せにならないかもしれない。
だからといって、その人が間違っているわけではありません。
もし、心が目に見えるなら、そのすべてが分かるはずです。
そうすれば、誰とも比べない。
それぞれが、それぞれを尊重することも出来るし、助け合うことも出来ます。
だから、すべての人が幸せになれます。
天の邪鬼なことを言いますが、もしそうだったら、この世界はとても退屈な世界だったんだろうなと想像します。
全員がクリアするゲームほど、つまらないゲームはありませんから。(笑)
心が目に見えるのなら、すべての人が幸せになれるのまとめ
今日は『心が目に見えるのなら、すべての人が幸せになれる』と題して、すべての人が幸せになる道について考えました。
すべては同じひとつの道
この世界には、様々な教えがあり、哲学があり、生き方や考え方があります。
それらは、すべて『幸せになる』ことを目指しています。
ひとつの目的のために、色々な教えや哲学や、生き方や考え方があります。
それらは、ひとつひとつが全く違う方法のような体をしていますが、実はひとつの道だと思っています。
その一歩が明日の幸せへと通じている道
学校へ行くのも、仕事をするのも、ご飯を食べるのも、歯を磨くのも、足を一歩踏み出すのさえ、そうすれば幸せになれると心の奥底で信じているから人は行動します。
その一歩が明日の幸せへと通じている道だと信じているのです。
幸せというのは心の状態
幸せというのは心の状態です。
ある心の状態を人は幸せと言っているのです。
たとえば、それを『満たされている心』と呼ぶことにしましょう。
すべての人類が『満たされている心』になることだって可能なはずです。
心が目に見えるのなら、すべての人が幸せになれる
もし、心が目に見えるのなら、すべての人が幸せになれると思っています。
それは、幸せは人それぞれ違うからです。
何で満たされるかは人それぞれ違います。
心が見えないから、方法で比べてしまうのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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