工夫は『ない』からするもの|お金をかけずに出来る『工夫』
工夫は何のためにするのか?
お金や時間がないためにするのではないでしょうか。
お金があれば出来る。時間があれば出来るのは当たり前。
ないからこそする価値があるのが工夫です。
今日は『工夫は『ない』からするもの|お金をかけずに出来る『工夫』』と題して、工夫について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
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くろちゃんです。
工夫は『ない』からするもの|お金をかけずに出来る『工夫』
工夫というのは『ない』からするもの
昭和58年の朝ドラ『おしん』をNHKオンデマンドで観ています。
朝ドラ最高傑作と言われるだけあって、ひと言ですごいドラマだと言わなければなりません。
『おしん』をネタにブログを書けば、たくさん書くことはありますが、今回は297話あったうち『おしん』の中でも後半の部分、乙羽信子さんが演じられた再起編でのエピソードからネタを拝借します。
幼少期から子守奉公に出て、苦労をしながらも一生懸命に生きる姿で周囲の人たちから、めんこがられる(可愛がられる)おしんですが、結婚して、事業に成功し、やっと幸せを掴んだと思ったら関東大震災で焼け出され、旦那の実家で姑からいびられるなど苦労が絶えません。
戦争が原因で旦那と長男を亡くしますが、行商から始めた魚と野菜の商いで、なんとか家族が食べるに困らない生活をすることが出来るようになります。
そんな中、次男の仁が結婚して、実業家の娘、道子が田倉家(おしんの家)に嫁いできます。
道子は一家の主婦を任されますが、お嬢様育ちで実家でも家事をしてこなかった道子は、田倉家の家事を切り回すことが出来ません。
与えられた食事代では、いつも同じようなおかずばかりで家族は閉口します。
おしんが道子に工夫次第で同じ食材でも美味しくいただけるのだということを諭しますが、道子はお金さえあれば私だって美味しいものを作れるとふくれます。
さて、前置きが長くなりましたが、この場面で感じたことを書いていきます。
道子のように、お金があれば、時間があればと言い訳をする人がいます。
ですが、お金がないときに工夫を出来ない者が、お金があるからと工夫が出来るものではないですよね。
工夫というのは『ない』からするものです。
ある時にしてもそれほど価値はありません。ないから価値があるし、工夫する必要が出てきます。
時間も同じこと。時間があるなら、ゆっくりやればいい。ないからこそ、限られた時間の中でどうするかが求められます。
お金があれば、時間があれば出来るというのは、そもそも論理が破綻しているのです。
お金をかけずに出来る『工夫』
斎藤一人さんのお話の中で、こんなお話しがあります。
売上を上げたいと相談をされたときに、まずはお金をかけずに売上を上げる工夫を5つ考えてくださいと提案します。
なんでもいいんだと、愛想を良くするでもいいし、飲食店なら味付けを良くするとか、これまでよりも掃除して店をキレイにするとか。そして、それを全部してくださいと。
とにかくお金をかけずに出来る工夫をしてくださいと。
それをせずにお金をかけてお客さんを呼んでも無駄になるというのです。
その通りだと思います。
たとえば、お金をかけて宣伝してお客さんが来たとしても愛想が悪い、味も悪い、店が汚いでは、宣伝に惹かれて一度は来店してくれても二度とは来てくれません。かけたお金が無駄になります。
まずはお金をかけずに出来ることをやった上で、お客さんに来てもらわなければ、かけたお金は無駄になってしまいます。
だから、まずはお金をかけずに出来る『工夫』をしないといけないのです。
お金をかけるのはそれからです。
練習こそ楽しむ
どんなことでもそうですが、やらされていると思うとしんどいものです。
しかし、自らが選んでいると思うとやることが楽しくなります。
たとえ自分で選んだとしても、自分に課してしまうとやっぱりしんどい。
自分がやりたいと思っていることでないと不満が出てきます。
同じ5kmランニングするにしても、自分の趣味でやるのと、部活などの練習でやるのとではしんどさが違います。
趣味は楽しむですが、部活の練習は苦しいでしょう。
趣味のランニンはランニングをすることが目的ですが、たとえ陸上部だったとしても練習は練習です。
それ自体が目的とは言い難い。
本番のための練習ですから、どうしてもしんどいかもしれません。
ですが、考え方次第です。
その練習があるからこそ本番で活躍することができるのです。
本番は楽しいけど練習はキツイというのは、正当なようで正当ではありません。
練習が不十分では本番は楽しめません。
だとすると、練習も自ら選んでやる方がいいに決まっています。
前半に書いた、お金があれば、時間があればと同じです。
本番が楽しいというのは、練習でがんばった人が感じることが出来ることです。
本番のための練習なのだと考えれば、練習こそ思いっきり楽しんでこそ、本番が楽しいのです。
工夫は『ない』からするもの|お金をかけずに出来る『工夫』のまとめ
今日は『工夫は『ない』からするもの|お金をかけずに出来る『工夫』』と題して、工夫について考えました。
工夫というのは『ない』からするもの
気づいていただきたいのは、『今は苦しいけど、明日になれば楽になる』という考えでは、断言しますが、一生楽にはなりません。
ここ最近何度も書いていますが、明日になれば、その時もやっぱり今ですから、その時もまた『今は苦しいけど、明日になれば楽になる』と考えるからです。
無限ループに陥っているのです。
明日に期待するのをやめましょう。
今日を楽しみましょう。
手ぶらな自分を作る
追われるのではなく、自ら追いかけていって、手ぶらな自分を作るのです。
一度手ぶらな自分を作ったら、その自分を維持するために、常に『どうすれば今が充実するか?』を自分のルールにして、とにかく片をつけ続けます。
いつも手ぶらでいる自分。手ぶらを目指して今を生きていることが充実感になります。
私だけが幸せでは、私は幸せにはなれない
今というのは私が見ている世界のことです。
私だけが幸せで、私が見ているたとえば『あなた』が不幸だと、私が見ている世界は不幸です。
つまり今は不幸だということです。
ですから、私だけが幸せでは、私は幸せにはなれないのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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