他人は自分の思った通りの人になる
思った通りになるといいます。
人生もそうですし、実は他人もそうです。
すべては自分が思った通りになります。
それは我々人間は思った通りにしか物事をみないからです。
今日『他人は自分の思った通りの人になる』とか題してる、他人は自分の思った通りの人になるについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
他人は自分の思った通りの人になる
字は体を表すのか?
普段おとぼけキャラで天然なのに、めちゃくちゃ字が達筆だったら、実はしっかりとした人の可能性もありますか?
習字を習ったわけでもなく。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14251975579)
『字は体を表す』といいますね。
『実はしっかりしている』という可能性は大いにあると思います。
少なくても字を書くときはしっかりとしているわけです。
ただ、だからすべてがしっかりとしているといえるほど人間は単純ではないと思います。
『普段おとぼけキャラで天然なのに、めちゃくちゃ字が達筆』
たとえばですが、これがその人の総合的な人間性を表しているといえるからです。
表現を変えるなら、普段は楽しく陽気な人だけど、いざとなったら頼りになるといった感じでしょうか。
字が達筆だからしっかりしていると決めつけるとしたら、それは普段おとぼけキャラだから、とぼけた人と決めつけるのと同じになります。
『普段おとぼけキャラで天然なのに、めちゃくちゃ字が達筆』にしても、その人のすべてを表しているわけではなくて、その人のいち部分であり、自分が知っているその人のすべてでしかありません。
それでさえ、その人の一部にすぎないのです。
字がしっかりしているといっても単に字が綺麗というだけではなくて、字はさほどうまくないけど丁寧に書かれた文字であるとか、字はものすごく綺麗だけどものすごく小さいとか、逆にうまくはないけどわかりやすくて大きいとか。下手だけどわかりやすいとか。達筆すぎて読めないという場合もあります。
字だけで判断するにしてもそれだけ色々な部分が字には表れています。
綺麗だから性格がいいとか、汚いから悪いとか、それほど単純には決められないものだと思います。
他人は自分の思った通りの人になる
私たちは他人のいち部分を見て、その人の全体を決めつけてしまう傾向にあります。
それもかなり自分に都合がいい部分を見てしまう傾向にあるようです。
たとえば、最初の印象で自分に合わないと感じてしまうと、それに符号するような情報ばかりに目がいきがちです。
印象通りの人だと思いたいのか?その人の悪い部分ばかりを見てしまう傾向があるように思います。
逆に男前で好きなタイプの男性を見つけた場合、その人を好きになるに値するといえるその人の情報だけを見ようとしがちです。
最初に感じた自分の印象を正解にしたいがために、それを正解にするのに都合がいい部分を発見しようとし、またそう解釈しようとしてしまうのです。
自分の人を見る目を否定したくないので、最初に思った印象を裏付ける証拠を発見しようという目になってしまっています。
最初に悪い印象を持ってしまうと、もう悪いところしか見えなくなってしまいます。
他人は自分の思った通りの人になります。
これでは正しく他人のことを判断することは出来ないですよね。
人は、なぜ他人を許せないのか?
人は、なぜ他人を許せないのか?
それは、他人を許すということは自分の間違いを認めることになるからですよね。
過去の自分を否定することになるからです。
過去の自分を否定することが出来る大きな人にならないといけません。
間違いをしたら、『ごめんなさい』と素直に謝ることが出来る人になるといいですね。
つまり、過去の自分の間違いを認められる人になることです。
自分の過去を否定したくないばかりに自分に都合がいいところを見ようとせずにありのままの姿を見れる人になることです。
つまり自分に素直に正直に生きること。
それも今の自分の思いに素直に気づきながら、それに素直に行動出来ると最高です。
最初の印象と違う部分を見つけたならば、それも素直に認めることが出来て、素直に他人のいい部分を認めることが出来るということです。
どんなときでも『自分に素直に正直に』が大切なのです。
他人は自分の思った通りの人になるのまとめ
今日『他人は自分の思った通りの人になる』とか題してる、他人は自分の思った通りの人になるについて考えました。
字は体を表すのか?
字が達筆だからしっかりしていると決めつけるとしたら、それは普段おとぼけキャラだから、とぼけた人と決めつけるのと同じになります。
『普段おとぼけキャラで天然なのに、めちゃくちゃ字が達筆』にしても、その人のすべてを表しているわけではなくて、その人のいち部分であり、自分が知っているその人のすべてでしかありません。
それでさえ、その人の一部にすぎないのです。
他人は自分の思った通りの人になる
最初に感じた自分の印象を正解にしたいがために、それを正解にするのに都合がいい部分を発見しようとし、またそう解釈しようとしてしまうのです。
自分の人を見る目を否定したくないので、最初に思った印象を裏付ける証拠を発見しようという目になってしまっています。
最初に悪い印象を持ってしまうと、もう悪いところしか見えなくなってしまいます。
人は、なぜ他人を許せないのか?
それは、他人を許すということは自分の間違いを認めることになるからですよね。
過去の自分を否定することになるからです。
過去の自分を否定することが出来る大きな人にならないといけません。
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