こんな世の中に誰がしたのか?|世の中は余の中

『世直しは余直しである』という言葉があります。
世は余の映し鏡だからです。
人のせいや世の中にせいにしても自分の問題は何も変わりません。
問題は常に自分に起こっているのです。
今日は『こんな世の中に誰がしたのか?|世の中は余の中』と題して、こんな世の中を変える方法について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
こんな世の中に誰がしたのか?|世の中は余の中
世の中は余の中
『世の中は余の中』です。
現実は自分の心の映し鏡だといいます。
こんな世の中に誰がしたのか?の問いの答えは自分自身であるといえます。
いえいえと。
こんなコロナの世にしたのは私ではありませんと。
雇用問題とか、待機児童の増加とか。
そんな大きな社会問題が自分の問題とはとんでもないと思うでしょう。
しかし、世の中の問題というのは、昔からあったのです。
確かにコロナや雇用問題というのは、今の世の中で起こっている問題かもしれませんが、いつの時代にも問題はありました。
つまり問題のない世の中はないのです。
それらの問題は誰にとっても問題なのでしょうか?
きっとそんなことはありません。
こんなご時世でも幸せに暮らしている人もいるでしょう。
社会の問題を変える力はないかもしれませんが、それが自分の問題にならないように努めることは出来ます。
それをしていないという意味で、こんな世の中に誰がしたのか?という問いの答えは自分自身だといえるのです。
問題を放置しない
社会問題を自分の問題と言われるとあまりに酷かもしれませんので、もっと身近なことでたとえます。
人間関係には色々あって、とても良好な人間関係もあれば、最悪の人間関係もあります。
良好な人間関係はいいとして、最悪の人間関係はどうすればいいのでしょうか?
社会問題に比べれば小さい問題かもしれませんが、考えてみてください。
社会問題で自殺する人はいませんが、人間関係で自殺する人はいます。
果たして、本当に自分にとっての問題はどっちでしょうか?
最悪の人間関係がある場合、大きくわけてふたつの対応があります。
ひとつは、最悪の関係を改善する。
ふたつめは、気にしない、最悪のままを受け入れる。
どちらを選んでもいいと思います。
一番いけないのが問題を放置することです。
改善する努力もせず、受け入れる努力もしないまま、悩んだり苦しんだりしている状態です。
つまり、こんな世(余)の中に自分がしているということです。
問題は問題として受け入れる
改善したければ改善する。嫌なら受け入れる。
受け入れるというのは、我慢をするということではありません。
言葉は過激かもしれませんが、闘うということです。
敵は敵として、問題は問題として受け入れるのです。
何を選んでも自由なのです。
世は余ですから。
自分の意志を持って、世の中を創造していくことが大事です。
それをせずに、誰かがなんとかしてくれると期待していると、誰も何もしてくれないことに対して不満や悲しみを抱くことになります。
ですから、こんな世の中に誰がしたのか?の問いの答えは自分自身なのです。
堪忍土(かんにんど)
一番知っておかないといけないのは、世の中は思い通りにならない世界だということです。
もう少し丁寧に言うなら、思い通りになることと、思い通りにならないことで、世の中は成り立っています。
いつも言っていますがふたつで1セットなのです。
思い通りになることは問題になりません。
思い通りになっているからです。
問題になるのは思い通りになっていないことだけです。
だから、世の中は思い通りにならない世界なのです。
仏教では、そんな世の中のことを堪忍土(かんにんど)というそうです。
好きな人とはすれ違い、嫌いな人とは毎日顔を会わせないといけません。
欲しくても持っていないものばかりです。
堪忍土。思い通りにならないことばかりの世の中で、それをなんとか出来るのは自分自身だけです。
それを放置しているとしたら、こんな世の中にしているのは自分自身なのです。
このブログでは何度も紹介しています。
ドラマ『ドラゴン桜2021』の桜木先生のセリフです。
国はな。お前らにはバカでいて欲しいんだ。それが本音なんだ。
何にも疑問を持たず、何も知らないまま、調べないまま、ただひたすら制度に従い働き続け、金を払い続ける国民であって欲しい。
それを別の言葉に言い換えると何だ?
馬車馬だ。
国はお前らにただひたすらに黙々と馬車を引く馬車馬であって欲しいんだ。
その方が都合がいいからな。
世の中は平等だ、国民は自由だ差別なんかひとつもねえ、そう刷り込まれてきた。
だが実際はそうじゃねえ。
どんなに努力しても、どんなに力を振り絞っても本質を見抜く力がなければ権力者と同じ土俵にすら立てねえんだ。
だからお前らはバカだってんだよ。
誰かのせい、国のせい、時代のせい。
他人を叩き、批判をして、文句を言って何が変わる。
ルールを作っている奴らはな、この状況が美味しいからこういう仕組みにしてんだ。
自分は関係ねえからなんて言ってたら、一生騙されて高い金払わされるぞ。
なぜ社会はこうなってんのか? 誰がどんな意図でこの仕組みを作ったのか?
本質を見抜き、自分なりの答えを出す力をつけろ。
その時はじめて馬車馬は人間になれる。
こんな世の中に誰がしたのか?|世の中は余の中のまとめ
今日は『こんな世の中に誰がしたのか?|世の中は余の中』と題して、こんな世の中を変える方法について考えました。
世の中は余の中
こんなご時世でも幸せに暮らしている人もいるでしょう。
社会の問題を変える力はないかもしれませんが、それが自分の問題にならないように努めることは出来ます。
それをしていないという意味で、こんな世の中に誰がしたのか?という問いの答えは自分自身だといえるのです。
問題を放置しない
一番いけないのが問題を放置することです。
改善する努力もせず、受け入れる努力もしないまま、悩んだり苦しんだりしている状態です。
つまり、こんな世(余)の中に自分がしているということです。
問題は問題として受け入れる
改善したければ改善する。嫌なら受け入れる。
受け入れるというのは、我慢をするということではありません。
言葉は過激かもしれませんが、闘うということです。
敵は敵として、問題は問題として受け入れるのです。
堪忍土(かんにんど)
世の中は思い通りにならない世界なのです。
仏教では、そんな世の中のことを堪忍土(かんにんど)というそうです。
好きな人とはすれ違い、嫌いな人とは毎日顔を会わせないといけません。
欲しくても持っていないものばかりです。
堪忍土。思い通りにならないことばかりの世の中で、それをなんとか出来るのは自分自身だけです。
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