天国も地獄も幻想|自分の気持ちをニュートラルにする

自分の気持ちをニュートラルにすることの大事さについて。
『すべては私』です。
見ることと在ることは同時にしか存在しません。
自分の気持ちをニュートラルにすることで自分にとって素敵な世界にするのです。
今日は『天国も地獄も幻想|自分の気持ちをニュートラルにする』と題して、『すべては私』であることについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
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毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
天国も地獄も幻想| 自分の気持ちをニュートラルにする
自分の気持ちをニュートラルにする
自分の気持ちをニュートラルにすることがとても大事だというお話をします。
ニュートラルでいることがなぜ大事かというと、この世界をどう感じるか?どう解釈するかは自分次第だからですね。
この世界は唯一無二の世界ではありません。
客観的な世界としては唯一無二でも、それを感じる人の数だけ世界があるわけです。
たとえば4人家族で、4人が同じ家庭を共有していても、4人が4人共幸せとは限りません。
それぞれにその家庭に対して感じる幸福感が違いますよね。
最高に幸福だという人もいれば、まあまあ幸せという人もいれば、不幸せだと思う人もいます。
全員が幸せだと思っていてもその程度はまちまちです。
この当たり前のことから考えても世界は人の数だけあります。
よくこの世界は波動で出来ているという考え方があります。
現代では量子力学でもそう証明されていますが、恐らくお釈迦さまやイエス・キリスト、聖人といわれる方は、2000年以上前から科学的にではなくてもそういう世界の仕組みを見抜いていて、そういう人たちを覚者と呼んだのだと思います。
つまり、あの人もこの人も、あれもこれも、自分が解釈した通りであって、あの人はこういう人なのではなくて、あの人はあなたが思った通りの人なのです。
あれはそういうものなのではなくて、あれはあなたが思った通りのものなのです。
修行は必要ない
じゃぁ、ニュートラルではなくてプラスマイナスでいえばプラスの方がいいじゃないかと思われると思います。
たしかにそうなのですが、これもまた自分が作り出したものではありますが、水が高きから低きに流れるように、人は下ばかりをみてしまうようです。
マイナスにばかり目がいくし、エネルギーは放っておけば下がっていくし、怪我すれば痛いと思うけど、幸せはよほど良いことではないかぎり気づかないし・・・。(笑)
いつでもマイナスが勝ってしまっています。
なので、ニュートラルでいることを心がけることが大事なのです。
人はマイナスに見えるメガネのようなものを常にかけて世界を見ているので、そのメガネを外す必要があるのです。
メガネを外すことで気持ちがニュートラルなって、ニュートラルな目で世界を見ることで、この世界を自分次第で見る、解釈することが出来るようになるのです。
ニュートラルになるというのは、この世界はニュートラルだという目で見ることではありません。
自分の世界を見る心をニュートラルにすることです。
水は高きから低きに流れるとか、下ばかりを見てしまうという人間の性質的なものもマイナスな心ですから、それをニュートラルにすることで、囚われない心になるのです。
心をニュートラルにするために、昔から人は瞑想をしたり、座禅を組んだり、滝に打たれたり、お経を読んだりしてきたのです。
それらの修行系は、修行そのものに意味があるのではなくて、修行をすることで得られるニュートラルな心、気持ちというものを手に入れることが目的なのです。
だとすると修行をしなくても、そういう仕組を見抜いてしまえば、ハナからそういう心で世界見ることが出来ます。
修行では悟れないとお釈迦さまが悟られてスジャータからもらったミルクを飲んだのもそういうことなのです。
すべては私
この世界は波動で出来ていると言われます。
波動というのも言葉ですし、人間が作り出した概念ですから、実際はどんなものかはわかりません。
人間が知っているものでしか表現が出来ませんから波と表現したに過ぎないわけです。
それが何かはあまり問題ではなくて、その波動と言われるものを私たちは心を通して見たいように見ているのです。
その姿、状態を『すべては私』だと表現したのです。
見ているモノは自分が見ることで存在しています。
見ることと在ることは同時にしか存在しないのです。
聞いている音も自分が聞いて感じたときに存在しています。
私が見ることで世界が決定される。それが『すべては私』だということです。
この世界を天国にするのも地獄にするのも自分次第です。
天国があるのではなくて、天国にするのです。
この世界が地獄なのではなくて自分が地獄にしているのです。
どちらにしても自分が作り出した幻想なのです。
天国も地獄も幻想|自分の気持ちをニュートラルにするのまとめ
今日は『天国も地獄も幻想|自分の気持ちをニュートラルにする』と題して、『すべては私』であることについて考えました。
自分の気持ちをニュートラルにする
この世界は唯一無二の世界ではありません。
客観的な世界としては唯一無二でも、それを感じる人の数だけ世界があるわけです。
修行は必要ない
修行をしなくても、そういう仕組を見抜いてしまえば、ハナからそういう心で世界見ることが出来ます。修行では悟れないとお釈迦さまが悟られてスジャータからもらったミルクを飲んだのもそういうことなのです。
すべては私
見ているモノは自分が見ることで存在しています。
見ることと在ることは同時にしか存在しないのです。
聞いている音も自分が聞いて感じたときに存在しています。
私が見ることで世界が決定される。それが『すべては私』だということです。
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