自分とは何か?|人生をたとえるとそれは・・|くろちゃん
”自分とは何か?”
よくこのテーマでブログを書きます。
色々な表現を使って書きますが『ある状態』を手を変え品を変え表現しています。
今日は、自分自身、新しい深い気づきがあったので、いつも以上に深い視点からの喩え話が出来たらと思います。
今日は『自分とは何か?|人生をたとえるとそれは・・|くろちゃん』と題して、”自分とは何か?”について深く解説していきます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
自分とは何か?|人生をたとえるとそれは・・
人生をたとえるとそれは・・
川のようなものである
そして”自分とは何か?”川を流れる水のようなもの。
何も障害がなければ川に沿って自然に流れていきますが、そこには大小の岩があり、流木が流れ、ときにはゴミがあったりしてなかなか気持ちよく進ませてくれません。
その障害物たちをどう取り扱うかが人生では問われていて、解釈を変えたり、向き合い方を変えたりして、なんとか人生という川をスムーズに流れるべく私たちは生きている。
人生とはそういうものだと言われると『ま、っそうだよね』思う人は多いと思いますが、実は・・。
くろちゃんは違うと考えています。
川を川の外から眺めているのが”本当の自分”
スピリチュアルに人生を見たとき、”自分は”川の水ではなくて、その川自体を見ている存在なんだと気づく段階があります。
自分を川の水だと思っているから大小の岩があると抵抗し、流木があると避けて進もうとします。
ゴミは排除しなければいけません。
いえいえ、それは。
自分を流れる水だと思いこんでいるから、苦しいんだよと。
そうじゃなくて川を見ているような存在。
川を川の外から眺めているのが”本当の自分”なんだと気づくと人生楽になるよと気づく段階があります。
これでも相当人生を楽に生きることが出来ます。
しかし、実は”本当の自分”は、川を流れる水でも、川を外から眺めている存在でもありません。
自分を通して自分を見ている
”本当の自分”は川を流れる水でも、川を外から眺めている存在でもありません。
実はなんと『川』そのものなのです。
”自分が”の”が”は『我』です。
自分が”自分以外を”見ているという感覚が分離感(自分と自分以外の区別)を創り出します。
しかし、実は自分を通して自分を見ているのです。
『自分を通して自分を見ている』というのがうまく言葉では説明できないのですが。
自分の五感を通して自分を感じているということです。
目を閉じて、自分の顔を両手で触りながら自分を感じているようなものです。
それに気づいていない”私”は、その行為をまるで”自分が”自分の外の世界を見ているような感覚になってしまっているのです。
自分で自分を触っているという感覚が抜け落ちて、まるで自分のことを自分以外だと錯覚しているのです。
これを般若心経では照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう)という言葉で表しています。
照見とは見通すということ。わかった、了解したということです。
五蘊の蘊(うん)は集まったという意味で、五は「色」「受」「想」「行」「識」のこと。
「色」「受」「想」「行」「識」が集まった状態を五蘊。
色=色身といって、肉体のこと。
受=あらゆるものをキャッチして感受すること。
想=感受したことをあれこれ思い返して、その思いにとらわれていくこと。
行=とらわれた想いに、さらに関わっていくこと。
識=分別したことの是非、善悪を認識すること。
仏教ではこう区別していますが、これを違う切り口で区別して五感と言い換えても差し支えないと思います。
照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう)とは、自分が見ていると思っているものは、自分で自分を五感使って感じ、その感じたものを解釈しているに過ぎない、実体は無い”空”だと見通しなさいということです。
自分が見ている世界は『世の中は余の中』であり、実は自分を見ているのです。
本当は自分以外のものなどないのです。
これを見通すことが出来たとき、”なんだ”と。
人生を解釈しているのはあくまでも自分なんだと気づけるのです。
だったら何も出来ることはないじゃないかと。
だからといって何もしないのではなくて、自分に出来るのはその解釈を変えること。
解釈をする考え方次第で人生が決まるのだと気づけるのです。
人生を解釈しているのではなく解釈したものが人生
自分とは何か?について三段階あると解説しました。
こう書くと最初が間違いで最後が正解みたいに感じると思いますが、そうではなくてどれも正しいと思います。
三段階というのもあくまでも表現のひとつで、もっと細かくも出来るのかもしれません。
結局、この世には正解も不正解もないのです。
◯◯を正解と解釈している。◯◯を不正解と解釈している。
そして◯◯には『自分』でも『人生』でも好きな文字を入れてください。
◯◯はただあるだけです。
それを自分がどう解釈するか。
解釈したものが人生なのです。
くろちゃん プロフィール
自分とは何か?|人生をたとえるとそれは・・|くろちゃんのまとめ
今日は『自分とは何か?|人生をたとえるとそれは・・|くろちゃん』と題して、”自分とは何か?”について深く解説しました。
自分とは何か?|人生をたとえるとそれは・・
”自分とは何か?”川を流れる水のようなもの。
くろちゃんは違うと考えています。
川を川の外から眺めているのが”本当の自分”
川を川の外から眺めているのが”本当の自分”なんだと気づくと人生楽になるよと気づく段階があります。
これでも相当人生を楽に生きることが出来ます。
しかし、実は”本当の自分”は、川を流れる水でも、川を外から眺めている存在でもありません。
自分を通して自分を見ている
本当は自分以外のものなどないのです。
これを見通すことが出来たとき、”なんだ”と。
人生を解釈しているのはあくまでも自分なんだと気づけるのです。
人生を解釈しているのではなく解釈したものが人生
◯◯はただあるだけです。
それを自分がどう解釈するか。
解釈したものが人生なのです。
結論として『すべてが自分』ですから、人生でも、他人でも、出来事でもすべては自分なわけです。
自分が解釈したものであり、自分が解釈していないものは何ひとつありません。
だから人生は自分次第なのです。
自分の解釈次第なのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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