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筋ジストロフィー鹿野靖明とそれを支えた人たち|『こんな夜更けにバナナかよ』感想

2020年7月14日

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支えられる人、支える人、この構図は固定されたものなのでしょうか?

時には支え、時には支えられる。

それが人と人との関係ではないかと思います。

今日は『筋ジストロフィー鹿野靖明とそれを支えた人たち|『こんな夜更けにバナナかよ』感想』と題して、筋ジストロフィーという難病を抱えながら多くの人に支え愛された鹿野靖明さんの魅力について書いていきます。



世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

鹿野靖明プロフィール

人工呼吸器をつけて自立生活を続けた鹿野靖明さん
引用:https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/banana-watanabe-1

・1959.12.26札幌市生  筋ジストロフィー
・1972   国立療養所八雲病院に入院 15歳まで
・     北海道立真駒内養護学校(札幌市)高等部卒業
・     身体障害者職業訓練校経理事務科入学 1年間簿記、珠算、タイプなどを学ぶ。
・1979.04. 北海道リハビリテーション・センターに訓練生として入所 施設に併設される寮の4人部屋で暮らす
・1982?  札幌いちご会に入会アパートで自立
・1983.09.23施設を出る
・1984   札幌市白石区のアパートに入居
・1986   ケア付住宅に入居 (補欠1位→繰り上げ) 
・1987.06. 結婚
・1992   離婚
・1995   人工呼吸器装着 
・1995.06.18「介助ノート」始まる 2002.08.10まで95冊
・2002.08.12逝去

引用:http://www.arsvi.com/w/sy07.htm

こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話

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こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話

支える人、支えられる人  本当はお互いに支え合っている

2018年公開 大泉洋主演の『こんな夜更けにバナナかよ』は
筋ジストロフィーという障害を抱えた鹿野靖明さんとそれを支えたボランティアの物語です。

筋ジストロフィーは身体の筋肉が壊れやすく、
再生されにくいという症状をもつ難病で今なお治療法が解明されていません。

難病を抱える鹿野靖明さんは障害者にありがちな
障害者だから助けてもらっているからと卑屈にならずに
『ひとりじゃ寝返りも打てないんだぞ』とむしろ偉そうな態度でボランティアたちを振り回します。

『こんな夜更けにバナナかよ』というタイトルは
鹿野靖明さんが夜中にバナナ食べたいとボランティアにわがままを言って
バナナを買いに行かせたエピソードからついています。

映画ですからエンターテイメント性をもたせるために
脚色もされてはいるようですが、
脚色抜きにこの映画が伝えていることは奥深くて笑いの中にも感動があります。

鹿野靖明さんはひとりの人間として対等だということを示し続けたのだと感じました。

健常者と障害者は支える人、支えられる人という固定観念があって
障害者は社会的弱者扱いです。

それをお互いが支え合っているということを命をかけて伝えきったように感じます。

この映画のテーマは生命の平等さだと思うのです。

支える人、支えられる人 どっちが先生?

研修の時の写真。マニュアルを研修者に読ませて、鹿野さんが教える
引用:https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/banana-watanabe-1

鹿野靖明さんは首と手首から先しか動きません。

24時間365日、誰かがついていないといけないのです。

ひとりでは生きていけないのです。

『ひとりになりたい』、我々健常者はそんなことを思うときがあります。

『俺だってたまには一人の時間が欲しい』

それは誰にでも人に見せていない顔というものがあるからです。

鹿野靖明さんはそれをするとたちまち困ってしまうのです。

ひとりでは何も出来ないのですから。

すべてをさらけ出さないと助けてもらうことも出来ない。

出来ないことを出来ないと言わないと助けてもらえないし、
やって欲しいことをやってくれと言わないとやってもらえないのです。

しかし、だからこそ強いのだとも感じます。

隠しているところがない。

心も身体もです。

排泄しても自分では拭けません。

性処理だって誰かの助けが必要です。

当時のボランティアの方たちもそうだったのではないかと思うのですが、
そうやって自分をさらけ出す鹿野靖明という人間をみて
自分の弱さや解放されていない心と向き合ったのではないでしょうか。

まさに鹿野靖明は命をかけた生きた教材だったのです。

支える人、支えられる人 支えてもらっているから弱者ではない

鹿野靖明という人物、そしてそれを支えるボランティアとの関係性をみたとき
障害者だから健常者だからという表面的な部分で
その人の人間として強さとか弱さみたいなものを測ってしまっていると気づきました。

だから鹿野靖明の態度をみたときに大きなショックを受けるのです。

自分の固定観念を打ち砕かれるからです。

しかし、障害者、健常者という表面的な事象を取り外して
人間そのものを見た時、
鹿野靖明はわがままだったのではなくて素直だったのだと思えてなりません。

いや、障害者だからこそ、短いだろう命だからこそ、
自分の生き方にこだわったのだろうと思います。

この勇気を誰もが持てるだろうかと思わされます。

勇気を持つためによりどころになるのは”対等”であるという信念だと思います。

確かに障害者(支えられる人)は健常者(支える人)がいるから生きていけますが、
同時に支える人は支えられる人がいるから支える人でいられるのです。

支えてもらっているから弱者ではないということです。

お互いがその役割であり”対等”なのです。

支える人、支えられる人 人間は心(内面)でその価値が測られる

人間は心(内面)でその価値が測られるのだなと思います。

映画は障害者とボランティアの心温まるような感動の物語ではありません。

人間と人間がぶつかり合うドロドロとした本音の姿です。

わがままで「あれしろこれしろ」と振り回す鹿野靖明さんと、本気で怒って辞めていくボランティア。

障害者と健常者というフィルターを通してみるから
鹿野靖明は『わがまま』『感謝がない』『何様だ』と思う場面もありますが、
人間として強いだけなのです。

自分の身体のハンデを受け入れて、
そんな自分をこの世の中で役立たせている強い人なのです。

自分のことしか考えていない健常者よりも遥かに人間としての価値が高い人なのです。

筋ジストロフィー鹿野靖明とそれを支えた人たち|『こんな夜更けにバナナかよ』感想のまとめ

鹿野さんの方がボランティアを支えているような場面もあった
引用:https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/banana-watanabe-2

今日は『筋ジストロフィー鹿野靖明とそれを支えた人たち|『こんな夜更けにバナナかよ』感想』と題して『こんな夜更けにバナナかよ』という鹿野靖明という重度の難病を抱えた人物をテーマにした映画を紹介し、感想を書きました。

鹿野靖明さんはとてもわがままでボランティアを振り回すのに
延べ500人のボランティアに支えられた人です。

なぜ、これほどの人たちが支えたいと思ったのでしょうか?

可愛そうだから?違うと思います。

本音で生きたからだと思います。

それが人間としての魅力だったのです。

本音で生きる人はカッコいいのです。


今日も読んでいただきありがとうございます。



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