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縁起論|お釈迦様が悟ったこと|すべては縁によって起こっている

2020年9月15日

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『縁起がよい』とは何かよいことがおこりそうな様子、その兆しをみたときにいう言葉ですが、
本来は仏教の考え方です。
お釈迦様が悟ったことを説明するためのひとつの喩え話です。

今日は『縁起論|お釈迦様が悟ったこと|すべては縁によって起こっている』と題して、縁起をさらに別の喩え話をすることでお釈迦様が悟ったことの感覚的な部分を解説出来ればと思います。



世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

お釈迦様

釈迦(本名:ガウタマ・シッダールタ、パーリ語ではゴータマ・シッダッタ)は紀元前5〜6世紀頃、ルンビニー(現在のインドとネパールの国境付近にあった小国)に生まれました。 父は釈迦族の国王であるシュッドーダナ、母は隣国コーリヤの執政アヌシャーキャの娘、マーヤーです。
マーヤーは出産のためにコーリヤに帰ろうとしていた道中、ルンビニー園という花園に差し掛かったときに産気づき、出産したといわれています。北伝によれば春暖かな4月8日のこと、ルンビニー園には花が咲きほこっていました。そのため釈迦が誕生したといわれる4月8日は、現在も「花祭り」( “灌仏会(かんぶつえ)”や“降誕会(ごうたんえ)”ともいわれる)としてお祝いが行われています。
釈迦は誕生した直後に立ち上がって7歩歩き、右手で天を、左手で大地を指差したまま「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)と説いたといいます。

 

引用:https://linkuptoyo.com/

縁起論|お釈迦様が悟ったこと|すべては縁によって起こっている

『縁起』とは、すべては原因があって結果があるということです。

良い結果は良い縁によって起こっているし、悪い縁では悪い結果が起こります。

ですから、何かよいことがおこりそうな様子、その兆しをみたときに『縁起が良い』という言い方をします。

しかし、良い悪いというジャッジは人間の主観的なもので、起こった出来事が良いか悪いかは人それぞれです。

ですから、良い悪いということは横に置いて、『すべては縁によって起こっている』というところが大事なのです。

原因と結果は切り離せない1セットだということです。

ここからが大切なところです。

結果は次の結果の原因でもあります。すべては連続しています。

ですから、良い結果を得たいのであれば、今この瞬間を良い縁にすることなのです。

過去にあんなことがあったから仕方がないと考えるのではなく、それを良い縁にするためには今どうあるべきか?

こう考えることで結果に対する解釈が変わります。

良い悪いは人間の主観、ジャッジによるものです。

絶対的なものではありません。

自分の解釈次第で良い縁にも悪い縁にもなるのです。

縁起論|お釈迦様が悟ったこと|あれとこれは1セット

何か悪いことが起こったとき、『あれさえなければ・・・。』と思うことは多いです。

しかし、縁起論で考えるなら、その考え方はナンセンスです。

あれ(縁)とこれ(起)は1セット、切り離せない関係です。

過去を今と切り離して、今の起こっていることの原因を過去のせいにして嘆いても何も変わりません。

今起こっていることは次起こることの原因、縁ですから、今起こっていることを良い縁にするために今どうするべきか?と考えることが『縁起が良い』のです。

縁起論|お釈迦様が悟ったこと|自分は周囲との関係性で成り立っている

『自分』という点のよう存在ではなく、すべてのことと関係を持った存在

紙に自分の開いた手をデッサンするとき手から描くのではなく
手の周囲の風景から描くだけで「手」が浮かび上がる


「自分」って何?と聞かれたら、自分の周囲のことを話しませんか?

どこの生まれだとか。
どこの学校を出たとか。
どこの会社で働いているとか。

自分の性格を言い表すときに、こんなことがあった、あの人にこんな事を言われた。

自分の周囲のことを話すことで、「自分」というものがくっきりと浮かび上がってきます。

これは自分というものは周囲との関係性で成り立っていることを表しています。

自分は『自分』という点のよう存在ではなく、すべてのことと関係を持った存在なのです。

関係性が自分なのです。

縁起論|お釈迦様が悟ったこと|人はひとりでは生きていけない

『人はひとりでは生きていけない』と考えたとき、他人を大切にしないといけないとか、ひとりで頑張っても限界があるとか、助けてもらわないといけないとか。

いろいろなことが頭に浮かびます。

確かにそうなのですが、それを貫く一本の考え方の軸のようなものが欲しくなります。

『人はひとりでは生きていけない』と言ったとき、それはこれからのことを差して言っている印象があります。

しかし、これからだけではなくて、これまでも『人はひとりでは生きていない』のです。

バーチャル・ウォーターの話しをご存知ですか?

「おにぎり1個を作るのにどのくらいのお水が使われているか知っていますか?」

米作りからを考えると実に270リットルもの水が必要なのだそうです。

この見えないところで使われている水をバーチャルウォーター(仮想水)といいます。

ほとんどの人がこの水のことは知りません。

意識にないといった方が適当です。

おにぎり1個の後ろには目に見えないものがたくさんあるのです。

水270リットルだけではありません。

お米を作る人、握る人、土、太陽、電気・・etc.

人だって同じです。

前章で『自分』は関係性で出来ていると言いました。

『人はひとりでは生きていけない』これまでもこれからも。

ひとりでがんばっているつもりで孤独な気持ちの人がたくさんいると思います。

だれも自分を見てくれない、認めてくれないと自己否定をしている人もいるでしょう。

しかし、生きている以上、誰とも関係性を持たずに生きている人はいません。

これまでもこれからも。

生きているだけで素晴らしい。

それは『人はひとりでは生きていない』からです。

迷惑をかけたり、かけられたりしながら周囲との関係性を持ちながら生きているのが自分なのです。

縁起論|お釈迦様が悟ったこと|迷惑をかけることで役に立った鹿野靖明

https://youtu.be/hbQf-qh6678

鹿野靖明さんはとてもわがままでボランティアを振り回すのに延べ500人のボランティアに支えられた人です。

鹿野靖明はひとりでは何も出来きません。

すべてをさらけ出さないと助けてもらうことも出来ない。

出来ないことを出来ないと言わないと助けてもらえないし、やって欲しいことをやってくれと言わないとやってもらえないのです。

しかし、だからこそ強いのだとも感じます。

隠しているところがない。

心も身体もです。

排泄しても自分では拭けません。性処理だって誰かの助けが必要です。

当時のボランティアの方たちもそうだったのではないかと思うのですが、そうやって自分をさらけ出す鹿野靖明という人間をみて自分の弱さや解放されていない心と向き合ったのではないでしょうか。
まさに鹿野靖明は命をかけた生きた教材だったのです。

支える人、支えられる人。これも関係性です。

しかし、それは一方通行な見方です。

支える人は支えられる人がいて成り立っています。

支える人が優位に立ち、支えられる人が卑屈になる。

この映画を観るとそんな固定概念が覆されます。

支えてもらう人が、支えられることで支える人の教えになっている。

まさに人間は等しく平等なのだと教えられます。

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縁起論|お釈迦様が悟ったこと母と妻と、どちらを先に助けるか?

仏教の智慧をうまく言い表した有名なお話があります。

明治時代、ある禅僧(禅宗の僧侶)が大学の倫理学の先生たちに、禅の教えを説いた。
その時に、次のような問題を皆に考えさせた。

「川にあなたの母と妻が溺れている。どちらの方を先に助けるべきか?」大学の先生方はアレコレ議論する。
儒教の立場では、何よりもまず「孝」を重んずる原理であるから、母を先に助けるべきだ………と主張する先生もいる。
いやいや、西洋哲学では家庭の基本原理を夫婦においているから妻を助けるべきだ………と言う先生もいる。
アレやコレや、議論はまとまらない。
「おまえたち、そんなに議論ばかりしていると、二人とも溺れ死にするぞ!早く助けんかい!」
禅僧は、そう叱った。
でも、叱られても、おいそれと結論は出ない。
「和尚さんであれば、どうされますか?」
誰かが禅僧に尋ねた。
すると、和尚はこう言った。
「わしか。わしであれば、まず近くにいるほうを助ける」
そう………これが智慧である。
私たちは凡夫の知恵で、「母が先か、妻が先か」とこだわる。
それでは、とっさの場合に人を救えない。
この場合、母も妻も溺死させてしまう。
仏教の説く智慧には、そんなこだわりはない。

引用:http://www.daianzi.com/howa/howa0089.htm

どっちを助けるかで迷うということは命の重さを測っているということになります。

母の命か?それとも妻の命か?

もし、他人ならどうするか?

命が平等であるなら和尚さんのようにまずは助けられる人から救うのではないでしょうか?

すべてを”ひとつ”と考え『ありのまま』に観ることが、この世のことわりに適った生き方でなのです。

縁起論|お釈迦様が悟ったこと|すべては縁によって起こっているのまとめ

お釈迦様が悟ったことを表現する喩え話のひとつが縁起論です。

原因と結果は切り離せない関係にあり、たとえ原因と結果の間に時間的空間があったとしても『原因と結果』でひとつのものであるということです。

これはこの世に存在するものがひとつであるということのひとつの表現です。

今日は『縁起論|お釈迦様が悟ったこと|すべては縁によって起こっている』と題して、縁起をさらに別の喩え話をすることでお釈迦様が悟ったことの感覚的な部分を解説出来ればと思います。

すべては縁によって起こっている
原因と結果は切り離せない1セットだということです。
良い悪いは人間の主観、ジャッジによるものです。
絶対的なものではありません。
自分の解釈次第で良い縁にも悪い縁にもなるのです。

あれとこれは1セット
今起こっていることは次起こることの原因、縁ですから、今起こっていることを良い縁にするために今どうするべきか?と考えることが『縁起が良い』のです。

自分は周囲との関係性で成り立っている
自分は『自分』という点のよう存在ではなく、すべてのことと関係を持った存在なのです。
関係性が自分なのです。

人はひとりでは生きていけない
『人はひとりでは生きていけない』と言ったとき、それはこれからのことを差して言っている印象があります。
しかし、これからだけではなくて、これまでも『人はひとりでは生きていない』のです。

迷惑をかけることで役に立った鹿野靖明
出来ないことを出来ないと言わないと助けてもらえないし、やって欲しいことをやってくれと言わないとやってもらえないのです。

今日も読んでいただきありがとうございます。

 

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