自分の心の声を聞く|空気に流されず、自分の心の声を聞く

他人の言葉に惑わされず、自分の心の声を大切にしましよう。
人が集まると空気という魔物ができます。
空気に流されず、自分の人生を生きる勇気が重要です。
今日は『自分の心の声を聞く|空気に流されず、自分の心の声を聞く』と題して、自分の心の声を聞くについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
自分の心の声を聞く|空気に流されず、自分の心の声を聞く
自分の心の声を聞く
人の言うことって、どこまで聞いたらいいのでしょうか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13283842208)
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
人の言うことなんて聞く必要はないです。
少し誤解を招く表現でした。
何が言いたいのか?というと、他人の言うことを聞いているようで、それでいいという『自分の心の声』を聞いているということです。
それがわかっていないと人のせいにする人生になってしまいます。
上司の言うことだから聞くしかなかったといって自分の人生を台無しにしている人が大勢いると思います。
ドラマでも、リアルなニュースでも出てきます。
不正の片棒を担いでいる人の言い訳です。
本当に悪いことをしたくなかったら告発すればいいのです。
それをしないのは、その方が自分にも都合がよかったからです。
結局は『自分の心の声』に従った結果なのです。
自分に都合が良い自分の声
ドラマ『3年B組金八先生』の第5シリーズはクラス全員で担任教師に暴行する事件から始まります。
もちろん、全員が担任教師に暴行を働いたわけではありません。
影でけしかけるボス的な生徒がいて、数人の実行犯的な生徒がいて、それを笑ってみている生徒がいて、自分は関係ないと下を向いている生徒がいます。
自分は関係ないと下を向いている生徒は暴行事件には関係ないのでしょうか?
暴行された教師が、生徒に暴行されたことを隠したことをいいことに、生徒全員が無言のうちに口裏を合わせて暴行という事実がなかったかのように振る舞います。
こうなると下を向いた生徒も共犯です。
告発しなかったのは、その方が自分に都合がよかったからです。
巻き込まれたくないという自分の都合。そして『告発すれば次は自分がターゲットにされるかもしれない』。そうならないためという自分の都合。
自分は悪いことはしていないと、自分にとって都合の良い解釈をしているにすぎないのです。
ですが、本当に自分が悪くないのなら、なぜそのことを告発できないのでしょう?
それは自分は事件が起こるのを見て見ぬふりをしたという後ろめたさがあるからです。
暴行には加わっていないけど、その方が自分に都合が良いという『自分の心の声』に従ったことがわかっているからです。
『あいつが、こう言ったから』『先輩に言われたから』『上司の命令だから』。そうするしか仕方がなかった。
見つかって問題になってから、そんな言い訳をするくらいなら、最初から戦っておけば良かったはずです。
見つからなければいい。何事もなかったかのように過ぎればいいと思ってしまった『自分』のせいなのです。
空気に流されず、自分の心の声を聞く
人の言うことをどこまで聞くか?ではないのです。
どれだけ自分の心の声が聞けるか?、聞こえたとしてどこまで従えるか?です。
私たちの人間関係の中に『空気』という恐ろしい魔物がいます。
この『空気』はいったんある方向に流れ出すと止めるのが恐ろしく難しいです。
空気を読むことが正義かのように錯覚をしてしまって、冷静なら間違っていると簡単に判断できるようなことでも、空気に逆らうことができなくなってしまいます。
それが『いじめ』や『ハラスメント』です。金八先生の第5シリーズで起こった学級崩壊もそうです。
他人の言うことをどこまで聞くのか?
仮にどこまでと決めていて、それを超えたときに断れるのか?自分だけ違う行動を取れるのか?
恐らく、その時はもう空気に飲み込まれてしまって抗えないはずです。
ですから、最初から自分の心の声を聞くべきなのです。
では、ごきげんよう。さようなら。
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ぜひ、お読みください。m(_ _)m
自分の心の声を聞く|空気に流されず、自分の心の声を聞くのまとめ
今日は『自分の心の声を聞く|空気に流されず、自分の心の声を聞く』と題して、自分の心の声を聞くについて考えました。
自分の心の声を聞く
人の言うことなんて聞く必要はないです。
少し誤解を招く表現でした。
何が言いたいのか?というと、他人の言うことを聞いているようで、それでいいという『自分の心の声』を聞いているということです。
自分に都合が良い自分の声
『あいつが、こう言ったから』『先輩に言われたから』『上司の命令だから』。そうするしか仕方がなかった。
見つかって問題になってから、そんな言い訳をするくらいなら、最初から戦っておけば良かったはずです。
見つからなければいい。何事もなかったかのように過ぎればいいと思ってしまった『自分』のせいなのです。
空気に流されず、自分の心の声を聞く
人の言うことをどこまで聞くか?ではないのです。
どれだけ自分の心の声が聞けるか?、聞こえたとしてどこまで従えるか?です。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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