人間の内面は外見に表れる|ありのまま見ることの難しさ
人間の内面が外見に表れるという言葉がありますが、それは見ている側の心が相手の外見に映しだされるということです。
自分の心を消すことはできませんが、そのことを忘れてはいけないのです。
今日は『人間の内面は外見に表れる|ありのまま見ることの難しさ』と題して、人間の内面は外見に表れるについて考えます。
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人間の内面は外見に表れる|ありのまま見ることの難しさ
人間の内面は外見に表れる?
人間の内面(心)は外見に現れるという言葉は本当でしょうか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12279446677)
みなさん、ごきげんよう。
今日もよろしくお願いします。
本当です。
ただし、それは見ている側の心が相手の外見に表れるということです。
相手の外見を評価しているのは、見ている自分だからです。
確かに、その人の内面も外見に表れているのかもしれません。
それにしても同じことなのです。
それをどう見るかは、自分の心次第だからです。
いくら醜い心の持ち主だとしても、それが親であれ子であれば愛おしい顔に映ることがあると思います。
逆に夫婦であったり恋人であったとしても、憎い気持ちを持ってしまえば、やることなすこと、笑顔さえも憎たらしく感じるでしょう。
相手の外見だけではありません。
この世界にあるすべてのモノは、『自分』というフィルターを通して見ています。
それが良いとか悪いということではなく、そのことを踏まえた上で物事を見ないといけないということです。
『自分』がない人はいないからです。
『自分がない』と思っている自分
『ありのままに物事を見る』といいますが、それは無理なことなのです。
『自分』というフィルターを通して見ている以上、それは自分の都合に偏ったものだからです。
その自分を消すことが『悟り』だと考えている人がいるかもしれませんが、それこそ無理なことなのです。
もし、『自分がない』という人がいたら、それは『『自分がない』と思っている自分』なのだと心得てください。
どこまでも自分がある。それを認めなければ一歩も先には進むことはできません。
ありのままに見ることはできないのだと認めることができた時『悟り』があるのです。
ありのまま見ることの難しさ
生きている以上、ありのままを見ることはできません。
常に『私』は二元性でこの世界を見ているのです。
見えているモノと見えていないモノが常に存在しています。
自分がいて、他人がいます。
自分の中にも、自分が知っている自分と自分が知らない自分がいます。
今があり、今以外(過去や未来)があります。
信じていることと、信じていないことがあります。
すべては『自分』があるからです。
生きている以上『自分』がなくなることはありません。
生きている間、物事をありのままに見ることはできません。
仏教では、それを無明と表現しています。
『自分には見えていないものがある』と認めた時、見えないモノに光が当たるのです。
では、ごきげんよう。さようなら。
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ぜひ、お読みください。m(_ _)m
人間の内面は外見に表れる|ありのまま見ることの難しさのまとめ
今日は『人間の内面は外見に表れる|ありのまま見ることの難しさ』と題して、人間の内面は外見に表れるについて考えました。
人間の内面は外見に表れる?
本当です。
ただし、それは見ている側の心が相手の外見に表れるということです。
相手の外見を評価しているのは、見ている自分だからです。
『自分がない』と思っている自分
『自分がない』という人がいたら、それは『『自分がない』と思っている自分』なのだと心得てください。
ありのまま見ることの難しさ
生きている以上、ありのままを見ることはできません。
常に『私』は二元性でこの世界を見ているのです。
見えているモノと見えていないモノが常に存在しています。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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