因果応報では説明できない偶発的な運命について|運命論的な世界観
『すべてはこうなると決まっていた説』を信じています。
だとすると、自分の心が現実をどう受け取るかによって、良いことも悪いことも決まると考えています。
今日は『因果応報では説明できない偶発的な運命について|運命論的な世界観』と題して、因果応報について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
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因果応報では説明できない偶発的な運命について|運命論的な世界観
因果応報では説明できない偶発的な運命について
哲学的、宗教的に因果応報からはずれる偶発的な運命について、どのように説明すべきかご教示いただけましたら幸いです。
良いことをすれば良いことが起こり、悪いことをすれば悪いことが起こる、自身を取り巻く環境は己自身が作り、そもそも天国も地獄も自分の心の中に存在するという考えを持っております。
子供にも同じように教えておりますが、天災等の偶発的な事象で悪いことが起きた場合どのように説明すべきか悩んでおります。例えば、上記の理屈で言えば、非業の死を遂げたアンネフランクとか、3.11で被災し、還らぬ人になられた方々が悪いことをしてきたからって話になりますが、そんなことはないので、その部分どのように解釈すべきか悩んでおります。
哲学的な解釈でも、宗教的な教えでも結構なので、模範となる考えや思想、回答がございましたら、ご教示いただけますと幸いです。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12279365647)
みなさん、ごきげんよう。
今日もよろしくお願いします。
『模範となる考えや思想』というと、いわゆる『正解』のようなものお求めかもしれません。
ですが、僕は常々この世界には『正解』はないと思っています。
そして『すべてはこうなると決まっていた説』を信じています。
この世界が始まったときから、すべてが決まっていると考えているのです。
その人の行いに関わらず、すべては決まっているのです。
ただ、それを良いふうに解釈するか?悪いふうに解釈するか?
すべては自分の心次第だと思っています。
だから、天国も地獄も自分の心の中に存在するのではないでしょうか。
因果応報を『良いことをすれば良いことが起こり、悪いことをすれば悪いことが起こる』と解釈することもできますが、たとえば『良いふうに見れば(原因)良いこととなり(結果)、悪いふうにみれば(原因)悪いこととなる(結果)』と解釈することもできるのではと思っています。
幸せだと思えた時、人は幸せになる
どう考えても悪いこと。
良いふうに解釈することなどできるはずがないと思う出来事の時はどうするか?と思うかもしれません。
悪いふうにしか解釈できないとしたら、それは悪いことになるでしょう。
今はそうだとしても、時間が経って振り返ったときに、『あの時は苦しかったけど、今考えればあの時のことがあったから今があるね』と思うことは人生で山ほどあると思うのです。
そう思えたら、その時が『良いふうに解釈』できた時です。その時『良いこと』になります。
悪いふうに解釈している時は悪いことになり、良いふうに解釈している時は良いことになるのです。
すべては自分の心が現実をどう受け取っているか?でしかありません。
受け取ったそのままなのです。とてもシンプルです。
今、自分の中にあるものがすべてです。
正解を手に入れたら、いつか幸せになるのではありません。
幸せだと思えた時、人は幸せになる。ただ、それだけのことなのです。
何が起こっても大丈夫な自分
この世界では『正解を探す人』が大半です。
正解が見つかると幸せになると信じているからです。そして『正解そうなもの』を見ると飛びつきます。
ですが、間違って欲しくないのです。正解は自分の中にしかありません。
『正解そうなもの』は、正解ではありません。
正解があるのではないのです。
どんな出来事が起こっても、どうすれば、それが自分にとって正解になるか?
その考え方や解釈の仕方を手に入れることが『正解』であり『宝物』なのです。
『起こることはすべて決まっている』というのは極論かもしれません。
ですが、決まっていようが決まってなかろうが、それはどちらでもいいのです。
決まっているとしても、それを事前に知ることは、どうせできないのです。
大事なことは何が起こっても大丈夫な自分でいることです。
そのためには、何が起こっても自分にとって『良いふう』に解釈する考え方を持っていることなのです。
では、ごきげんよう。さようなら。
電子書籍を出版しています。
Unlimited会員なら0円で購入できます。
ぜひ、お読みください。m(_ _)m
因果応報では説明できない偶発的な運命について|運命論的な世界観のまとめ
今日は『因果応報では説明できない偶発的な運命について|運命論的な世界観』と題して、因果応報について考えました。
因果応報では説明できない偶発的な運命について
因果応報を『良いことをすれば良いことが起こり、悪いことをすれば悪いことが起こる』と解釈することもできますが、たとえば『良いふうに見れば(原因)良いこととなり(結果)、悪いふうにみれば(原因)悪いこととなる(結果)』と解釈することもできるのではと思っています。
幸せだと思えた時、人は幸せになる
悪いふうにしか解釈できないとしたら、それは悪いことになるでしょう。
今はそうだとしても、時間が経って振り返ったときに、『あの時は苦しかったけど、今考えればあの時のことがあったから今があるね』と思うことは人生で山ほどあると思うのです。
そう思えたら、その時が『良いふうに解釈』できた時です。その時『良いこと』になります。
何が起こっても大丈夫な自分
どんな出来事が起こっても、どうすれば、それが自分にとって正解になるか?
その考え方や解釈の仕方を手に入れることが『正解』であり『宝物』なのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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