決断に迷ったときの考え方 『私』の定義 直感とは何か?
生きるということは、決断の連続です。
常に次の行為を決断しながら生きています。
多くのことを自分の快、不快で決めているはずです。
大きな決断を迫られるときもそれでいいと思っています。
今日は『決断に迷ったときの考え方 『私』の定義 直感とは何か?』と題して、決断に迷ったときの考え方について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
決断に迷ったときの考え方 『私』の定義 直感とは何か?
決断に迷ったときの考え方
人生においての相談があります。
人は生きていく中でたくさんの決断をしながら前に進んでいきますが、もし決断を迷う出来事が目の前に起こったら何を基準にして選べば良いでしょうか?僕は一度決断したとしても、今の道は間違っているんじゃないか?あっちの道が正しいんじゃないかと迷ってしまいます。人によって決断の基準は人それぞれですが、みなさんの参考になる話を聞けたらなと思います。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10269160790)
みなさん、ごきげんよう。
今日もよろしくお願いします。
考え方、生き方に正解はないと思っています。
考えた通りになりますし、生きた通りの結果がある。それだけのことだと思います。
なので、どう考えても正解だし、どう生きても正解です。
幸せとか、喜びとか、満足とか、そういう言葉を使うと人生は難しくなる気がします。
要は、それが『私』にとって快か不快か?ということ。
不幸とか、苦しみとか、悲しみというから複雑になってしまいます。
それは『私』が不快だということ。
どう生きれば、『私』が快適な気持ちで生きられるのか?
決断をするということは、その選択をするということです。
『だから、考えてしまうんだ』と。
決断に迷う人は、そう思うかもしれませんが、迷ったら迷った通りになります。
迷う人生になるということです。
迷うことが快適なら、それもいいでしょう。
でも、多分迷うことが快適だと思う人はいないと思います。
正解かどうか?と考えると、決断が難しくなります。
『私』にとって快適な方へ、快適な方へ、進んで行く感じです。
行ってみて、違ったら、そこからまた快適な方へ進んで行く。
すごく簡単でシンプルなことだと思っています。
人生は引き返したり、やり直したりは出来ません。
過去は変えられません。
一度やったことをなかったことには出来ません。
だから、今ここからどうするか?しかないのです。
あの時、間違ったとか、こうしておけばとか、考えたってやり直しは出来ません。
なので、決断するときには、それほど悩みません。
むしろ、速く決めることにします。
迷ったら、迷う人生になるからです。
直感というとふわっとした言葉になってしまいますが、気持ちがいいほうを選ぶだけです。
『私』の定義
『私』が快適な方を選ぶというと、周りはどうでもいいのか?と思うかもしれませんが、『私』の周りの人が不快なら『私』は不快です。
周りが快適ということが『私』が快適ということです。
意味がわからないという人は、『私』の定義が違うのです。
『私』とは?
周囲を含めた関係性のことなのです。
では、関係性とはどういうことか?というと。
『私』の周りにある人、モノ、出来事。すべてです。
『私』とは、それらを結んだネットワークの中心にある概念です。
少し混乱を招く話だと思いますが、そういう考え方もあると思ってください。
たとえば、国がそうなのです。
日本という国は、確かに存在しています。歴史もあります。
ですが、それは概念として存在しているのです。
人々の頭の中にはありますが、実体はないんです。
いやいやと、俺(私)は日本の上にたしかに住んでいると思っていますよね?
だったら、その辺にある石ころを日本だと思えますか?ということです。
『私』に置き換えれば、トイレに排泄した尿をこれは『私の尿』だと他人のモノと区別して考えますか?
そんなことはしません。
だから、これは『私』だと思っているのも概念なのです。
ここから、ここまでが『私』という”ここから”も、”ここまで”も、コロコロと変わるのです。
だから、何を『私』と思うかは、人それぞれです。
定義が違うとはそういう意味です。
直感とは何か?
話を元に戻します。
快か?不快か?を判断出来るのは『今』だけです。
過去のことも未来のことも想像でしかありません。
過去のことは経験済のことですが、そのときは不快に感じたことも今なら違うかもしれません。
でも、たとえ過去を参考にしたとしても『今』そう思うなら、それに従います。
とにかく『今』自分がどうなのか?
それだけを『私』の中に追求します。
繰り返しますが、『私』とは周りを含めた関係性の『私』です。
他人のことも含めて考えるというと誤解を招くかもしれません。
ですが、『私』の決断が他人にも影響を与えます。
その影響を受けた他人の姿が『私』にとって快か?不快か?です。
そして、これを直感で決めます。
考えてしまうと『私』の手から離れてしまうからです。
忖度したり、気を遣ったり、勘ぐったり、恐れが起こってしまいす。
直感といっても、根拠のないものではありません。
これまで経験したことからスーパーコンピューターである脳(脳だけではないもっと大きな何かが私にはあるような気がします)が瞬間的にはじき出した答えです。
ただ、これを数秒寝かせると、色々な雑念が入ってしまいます。
忖度や気遣い、勘ぐり、恐れです。
だから、直感で決断することが大事です。
大事なことは、決断することではないと考えてします。
それよりも大事なことは決断した『後』です。
正解を選ぶことは出来ません。
なぜなら、何ごともやってみないとわからないからです。
なので、選んだものを正解にしていかないといけないのです。
選んだものが、思わしくなければ、そこからまた快適な方へ、気持ちのいい方へ進んでいけばいいのです。
そして、この経験が次の決断のときの直感を支えてくれるのです。
では、ごきげんよう。さようなら。
決断に迷ったときの考え方 『私』の定義 直感とは何か?のまとめ
今日は『決断に迷ったときの考え方 『私』の定義 直感とは何か?』と題して、決断に迷ったときの考え方について考えました。
決断に迷ったときの考え方
幸せとか、喜びとか、満足とか、そういう言葉を使うと人生は難しくなる気がします。
要は、それが『私』にとって快か不快か?ということ。
不幸とか、苦しみとか、悲しみというから複雑になってしまいます。
それは『私』が不快だということ。
どう生きれば、『私』が快適な気持ちで生きられるのか?
決断をするということは、その選択をするということです。
『私』の定義
『私』とは?
周囲を含めた関係性のことなのです。
では、関係性とはどういうことか?というと。
『私』の周りにある人、モノ、出来事。すべてです。
『私』とは、それらを結んだネットワークの中心にある概念です。
直感とは何か?
直感といっても、根拠のないものではありません。
これまで経験したことからスーパーコンピューターである脳(脳だけではないもっと大きな何かが私にはあるような気がします)が瞬間的にはじき出した答えです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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