生きるのが上手い?下手?|受け入れられるか?or逆らっているか?
生きるのが上手い人、下手な人というのがあると思います。
ですが、それは表面的なことで、上手い人というのは、『きっとうまくいく』と信じて起こることを受け入れている人ではないか?と思います。
逆に下手な人は起こることに対して逆らっている人ではないか?と思います。
今日は『生きるのが上手い?下手?|受け入れられるか?or逆らっているか?』と題して、生きるのが上手い?下手?について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
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毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
生きるのが上手い?下手?|受け入れられるか?or逆らっているか?
生きるのが上手い?下手?
生きるのが上手い、下手というのはよく聞く言葉ですが、上手い下手なんて本当にあるんですかね?それよりも運の要素が強いのでは?と思います
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13267757528)
みなさん、ごきげんよう。
今日もよろしくお願いします。
上手い、下手という表現よりも、受け入れられる人、逆らう人がいるというのがより適切な表現のような気がします。
神さまからすると(神さまがいれば)『すべてはうまくいっている』のです。
ただ、人間は、『今だけを切り取って』良い悪いというジャッジをしますから、上手くいっているとか、下手だとか、そういう話になります。
ですが、すべては決まっていて、すべて上手くいっているのなら、それを受け入れるか?逆らうか?しかありません。
この世界の始まりから終わりまでを司る存在、神さまのような存在からみたら、すべては決まっているのです。
それを生きるのが上手いとか下手とかで測ることじたいが小賢しいのです。
それを受け入れられるか?それとも逆らうのか?
そういう表現がふさわしいでしょう。
原因があって結果がある
すべてが決まっているということをもう少し詳しく解説します。
神さまのような存在がいるかどうかはわかりません。
ですが、これから話す(書く)、この世界の仕組みこそが、神さまといえば神さまのようなものです。
その仕組みとは、仏教でいうところの因果の道理です。
つまり、原因があって結果があるということです。
原因があって、結果があるわけですが、この結果はつぎの結果の原因になるわけです。
とすると、この世界が起こった最初の原因があって、その結果があり、その結果が原因となり、また結果があります。
そして、これは連綿と繋がっているわけです。
原因と結果の間には何もありません。
原因と結果がただただ繋がっているのです。
だとすると、世界の最初から今この瞬間のこと、そしてこの先のことまで、すべて決まっていたということになります。
途中で人間が関与しているように見えたところで、それも決まっていたことなのです。
ですから、その決まっていたことを受け入れられるか?否か?という話になるのです。
受け入れられるか?or逆らっているか?
この世界は究極のバランスを保って存在しています。
個々にみれば豊かだったり、貧しかったり、上手くいっていたり、下手だったりするかもしれませんし、不公平に映るかもしれません。
ですが、神さま(のような存在)は個々を見ているのではなく、世界全体を見ているのではないでしょうか?
世界全体がひとつの塊として上手くバランスをとって存在しているのです。
なので、表面的な良し悪しで受け入れたり、逆らったりするのではなく、世界全体を受け入れることが出来るか?否か?なのです。
そして受け入れられるということは、『すべてはうまくいっている』ということを受け入れているということになります。
『誰がなんといおうが、本人が「有り難い、幸福だ」と思っていたら、不幸はありえない。
だから幸福は、心が生み出すきわめて主観的なものなのだ。』
– 中村天風 –
幸福とは、心が生み出すきわめて主観的なものです。
つまり、受け入れているということは『すべてはうまくいっている』、つまり幸福を受け入れているということになります。
逆らっているということは、うまくいっていないと感じているということ。つまり不幸を受け入れているということになるのです。
なので、生きるのが上手い下手という表現よりも、受け入れられるか?or逆らっているか?が適切だと思うのです。
では、ごきげんよう。さようなら。
生きるのが上手い?下手?|受け入れられるか?or逆らっているか?のまとめ
今日は『生きるのが上手い?下手?|受け入れられるか?or逆らっているか?』と題して、生きるのが上手い?下手?について考えました。
生きるのが上手い?下手?
上手い、下手という表現よりも、受け入れられる人、逆らう人がいるというのがより適切な表現のような気がします。
神さまからすると(神さまがいれば)『すべてはうまくいっている』のです。
ただ、人間は、『今だけを切り取って』良い悪いというジャッジをしますから、上手くいっているとか、下手だとか、そういう話になります。
ですが、すべては決まっていて、すべて上手くいっているのなら、それを受け入れるか?逆らうか?しかありません。
原因があって結果がある
原因があって、結果があるわけですが、この結果はつぎの結果の原因になるわけです。
とすると、この世界が起こった最初の原因があって、その結果があり、その結果が原因となり、また結果があります。
そして、これは連綿と繋がっているわけです。
原因と結果の間には何もありません。
原因と結果がただただ繋がっているのです。
だとすると、世界の最初から今この瞬間のこと、そしてこの先のことまで、すべて決まっていたということになります。
受け入れられるか?or逆らっているか?
幸福とは、心が生み出すきわめて主観的なものです。
つまり、受け入れているということは『すべてはうまくいっている』、つまり幸福を受け入れているということになります。
逆らっているということは、うまくいっていないと感じているということ。つまり不幸を受け入れているということになるのです。
なので、生きるのが上手い下手という表現よりも、受け入れられるか?or逆らっているか?が適切だと思うのです。
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